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獅子の系譜【旧版】  作者: 谷下 希
第3章 王の血統
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影の中

 

「いつ、気づいたの」


 小さな声で、やっとそれだけ聞き返す。

 次期獅子が指名されたことは、まだ公になっていない。確証が何もない今、塔子にはいくらでもしらを切ることができたが、あえてそれをしなかった。良司には見破られても良いと思えたのだ。

 それが言外の肯定であることは、彼ももちろん分かっていた。真面目な顔つきを崩さず、しばらくは何も言わなかったが、やがてゆっくりと息を吐き出す。

「だから、鷹宮が来たときだよ。直感だったけど」

 塔子は絶句した。

「まさか……その場で?」

 良司は何でもないことのように頷く。そしてしみじみとした様子で苦笑し、頭をかいた。

「いやあ、やっぱ、あらためて驚くな。自分で当てても。とーこさんってすごいのな」

「驚くのはこっちよ……」

 塔子は愚痴っぽく呟いた。

 上級生に知れるならまだしも、情報の少ない良司が真っ先に答えにたどりつくとは思わない。きょとんとした良司を見て、塔子はゆるゆると首を振る。

「それに、全然すごくなんてない……。自分でも、よくわからないの。さっきも言ったけど、わたしは普通の生徒だもの」

 ぽつりと呟く。

 良司はいつのまにかこちらに向き直っており、椅子の背に両腕を乗せて塔子をのぞきこんだ。


「……嬉しくないの?」

 そっと見上げれば、良司の丸い目とぶつかる。

「嬉しいも何も。……獅子ってものがわからないの。だから決心もついていないのに」

「でも、悪い話じゃないだろう? それどころか、名誉なことだよ。本気で獅子って尊敬されているみたいだし。上級生の心酔ぶりは半端じゃないもん」

 おれら一年には、まだあまりわかっていないけどさ、とけろりと続ける。

 塔子は詩織を思い出した。心酔しているかまではわからなかったが、しかし彼女も獅子を敬っている。塔子は眉をひそめた。

「でも……だからこそ、自分には不釣り合いだと思えるわ」

「とーこさん」

 良司が心配そうにのぞきこむ。


 大きな風がまた吹き、彼の後方にあるカーテンが舞い上がっている。塔子の肩にかかる髪がさらさらと襟足を撫でた。しばらく口をつぐんだが、やがてきっぱりと彼を見上げた。ひそめていた眉をとく。

「いいの。もう少し考えるわ」

 微笑んでみせるが、良司はまだ窺うようにこちらを見ている。塔子はさらに笑んだ。

「……そういう坂本くんだって、役員の誘いから逃げ回っていたくせに。それも名誉な話だと思うけれど」


 意図してまぜっかえすと、彼はうっと詰まった。軽く目をそらしながら、もごもごと呟く。

「ここで返されるとは思わなかったな……」

「会長からの伝言よ。いい加減あきらめろ、って」

 さっきからずっと伝えたかったことが、やっと自然に口にでき、内心でほっとする。

 塔子の気も知らず、良司は言いにくそうに続けた。

「あれは、兄貴の七光りみたいなもので……」

「それだけじゃない。実力だと思う」

「勉強できないし」

「優秀さにはいろいろあるわ」

 思っていることを素早く返していると、良司はさらに目をそらす。かたちの良い耳がうっすらと赤くなったように思えたが、影のなかにいるためによく分からなかった。


 それに、と塔子は続ける。良司を見上げ、首を傾げた。

「それが役員になりたくない本当の理由? わたしは別のことを想像していたんだけど……」

「別のことって」

 良司がきょとんとする。不思議そうにこちらを見つめるので、塔子は少し自信が無くなった。

「いいよ、違うなら」

「話してよ。気になる」

 そう言って彼は顔つきをあらためる。塔子は居心地が悪くなり、そっと目を伏せた。それでも注がれ続ける彼の視線を感じて、とうとう根負けする。怒らないでよ、と呟いた。

「……坂本くんは、本当は傍観者でいたい人なんだろうなって、思っていたの。人との関わりを強く要求されるポジションが、実は苦手なんだろうなって……だからずっと渋っていたんだと、思っていた」

 良司は怪訝な顔をした。眉をひそめて射るようにこちらを見る。塔子はひやりとした。

「ごめん。気に障ったなら、聞き流して」

「いや」

 素早く良司は返し、少し口をつぐむ。こちらをまっすぐ見つめた。

「詳しく言うと?」

 さらに突っ込まれるとは思わず、塔子は詰まる。思ったままを口にするしかないと、彼を見つめた。

「台風の目……みたいな」

 唐突な言葉だ。え、と彼が頓狂な声を上げた。塔子は顔を赤らめ視線を落とす。本人に印象を伝えるのは何と言いにくいものか、面映ゆくて唇を噛む。

「ものの例えよ。……台風の中心は無風地帯でしょう? そんな感じだなって。いつも人の中心にいるようだけれど、じつは騒いでいるのは周りだけで、坂本くんはその真ん中でじっとその様子を眺めているような……渦はつくるけれど、その渦中には入っていない。参加していないように見えたから」

 塔子はひと息に告げた。

 だからまさに渦中の緑風会にも足を踏み入れないのだと、勝手に思っていたのだ。そしてそんな保守的なところが、自分と少し似ているとも。


 ゆっくりと見上げれば、ぽかんとした様子の良司がいる。彼はそうして、しばらくは何も言わなかった。

 沈黙が降り、がらんとした教室の静けさが際立った。校舎に響いていた生徒の声も、いつのまにかやんでおり、葉擦れの音だけが耳に届いている。

 やはり自分の誤解だと思い、塔子はさらに顔を赤らめる。気にしないで、と言いつのると、真顔の良司と目が合った。彼はまじまじとこちらを見つめており、思わず言葉を失う。

 良司の背後にあるカーテンがふわりとまた浮き上がる。しばし見つめ合ったまま、ふたりで風に吹かれていると、良司がようやく口を開いた。

 とーこさんてさあ、とゆっくりと口にする。


「まじで兄貴に似てるよ」

 しみじみと、彼は笑った。複雑な笑みだった。

「お兄さん?」

「そう。……そんなに似てると、ほんと参る。なんか説教食らったみたいだ」

 ぽかんとする塔子をよそに、良司は額に手をやり、思い切り苦笑した。 

「説教してるつもりはないんだけど……」

「おれは一発やられた気分だね」

 塔子は困って肩をすくめた。彼はそのままゆっくりと息をつき、横目でちらりと窓を見やる。つい視線を追うと、アカマツの太くて赤い幹と茂る針葉が目に入った。そして上から射し込む、赤く輝く夕陽。

「そろそろ潮時なんだろうな」

 窓に目をやったまま、ぽつりと良司は漏らした。声に振り返ると、彼は視線を戻し、しっかりと塔子と目を合わせる。

「もう兄貴だけじゃなくなったってことなんだよな」

「何が?」

 良司はにこりと笑う。 


「おれ、緑風会に入るよ」

 質問には答えず、唐突に告げた。塔子は展開に付いていけず、ぎょっとする。

「……えっ? 今まで渋っていたじゃない」

「とーこさんのせいだよ。責任を取ってほしいくらいだ」

 どこをどう辿れば、自分のせいになるのかがわからない。眉をひそめている塔子を見て、おかしそうに良司は笑った。先程とは違い、とてもさっぱりとした、明るい笑みだった。


「とーこさんが獅子になるなら、最後までついていくことにする。きみがホンモノだと思う」

 塔子はさらに眉をひそめた。

「ホンモノって……。それにわたし、引き受けないかもしれないのに」

「そのときはおれもやめる」

 え、と固まった塔子に、良司はおかしそうに笑った。

「まあ、いいじゃないか。先のことは。とりあえずは、これからよろしくってことで」

 屈託のなさや押しの強さは、完全にいつもの良司だった。疑わしく見つめ続けると、彼はすっと右手を差し出してくる。良司は制服を腕までまくりあげており、筋張った腕と大きな手のひらが間近でよく見えた。


「ほら、見せものじゃないぞ。握手だって」

 良司の手が、胸の前でひらひらと動いている。訳が分からないまま、塔子はおずおずと手を差し出した。ぎゅっと良司の大きな手に包まれ、おっかなびっくりで彼を見上げる。良司は笑顔のまま、ぶんぶんと腕を振った。

 ふと手の温度で、入学式のことを思い出す。あのときから、良司はずっと塔子の味方をしてくれていたと、不意に思った。経緯や意図はさっぱりつかめなかったが、しかし何にせよ、彼はやる気になってくれたのだ。塔子と一緒に頑張ると言ってくれているのだった。


 塔子は彼を見上げる。複雑な顔になったが、それでも、ありがとう、と声を漏らす。

「よく……わからないけど。坂本くんがいてくれると、わたしも心強いから。うれしいと思う」

 しっかりと告げた一言に、良司は眉を跳ね上げた。見つめられきょとんとした塔子に、盛大にため息をつく。

「……あのねぇ、そういう言葉は、簡単に言うもんじゃないから」

「そうなの?」

 呆れた声や表情とは裏腹に、手はさらに強く握り返される。すっぽりと大きく硬く、そして温かい手だった。おずおずと見上げていると、良司はしようがないといった風情で苦笑する。つられて塔子もそっと微笑んだ。


 教室の壁には、日が傾き、さらに濃くなった松林の影がある。風に揺れて震えるその影と、そして真っ赤に染まる夕焼けの光が、美しく教室を彩っている。窓から入る涼しい夕刻の風はカーテンを揺らし、そして繋ぎ合うふたりの手も優しく包みこみ、やがて静かに吹き過ぎた。



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