推測
窓から夕暮れの赤い光が射し込んでいる。
この時間になると、教室はすっかり松林の影のなかだ。松特有の針のような葉房がくっきりと教室の壁に映りこみ、風に揺られて生き物のように蠢いている。
塔子はふと顔を上げ、それをぼんやりと眺めた。
静かな放課後の時間だ。クラスメイトはいそいそと部活や帰途に着いてしまい、室内はがらんとしたものである。どこか遠くで生徒たちの笑いさざめく声が聞こえていた。開け放した窓から吹く風で、カーテンがふわりと浮き上がっている。
塔子はそっと前の席へ目を移した。
目の前には、良司の姿がある。いつも何くれとなく塔子に声をかける彼は、なぜか今日に限って黙り込み、物憂げに窓の外を見つめている。横座りした椅子を、そのまま長い足で手持ち無沙汰に揺り動かすので、キイキイと軋む音がした。その音ばかりが二人のあいだに響いている。
教室には塔子と良司のふたりきりだった。塔子は彼をしばらく見つめて逡巡し、やがて小さくため息をついた。
「……坂本くん、いいよ。部活行っても。もうすぐ終わりそうだし」
当直日誌のことだ。塔子の手元にある日誌は、もう三分の二は書き終えている。ふたりは今日の日直にあたっていた。
んー、と良司はぼんやりと返す。
「いいよ。悪いし。とーこさん終わるまで、待ってる」
窓を見つめたまま呟く。手元にある日誌を見るために席を移ったくせに、さっきから視線はずっと外なのだ。塔子は小さく肩をすくめた。
「気が乗らないんでしょう。いてもいなくても、同じよ」
「ひどい言われようだな」
良司がようやくこちらを向いた。明るい目で苦笑する。
だって事実だもの、と塔子は口を尖らせた。普段の塔子なら絶対に口にしない言葉だが、彼には思っていることを素直に言うことにしている。
良司は笑った。
「わかった。ごめんって。続き書こうか?」
丸い瞳で塔子をのぞきこみ、けろりとして言う。相変わらずの屈託のなさに、塔子はひそかにほっとした。いつもの良司だ。
「もうちょっとで終わるから、いいよ。書いちゃう」
「あ、そう」
あっさりと引き下がる。塔子は口を開きかけたが、また閉じた。何度目かの逡巡だった。言いたいことが言えないままに、再び沈黙が降りる。
風に煽られて、カーテンが大きくはためいていた。葉擦れの音がして、教室の壁の枝葉が大きく震える。風のせいで長い前髪が浮くので、手でそっと押し留める。静かな夕刻だった。塔子はまた小さく息をつき、シャープペンを握りなおす。
「ねえ」
ふと頭上から静かな声がかかった。先程とは違う、どこか神妙な声音だ。訝しく思って顔を上げると、硬い表情の彼と目が合う。良司は茶色の瞳で、じっと塔子を見つめた。顔つきがあらたまると、彼の精悍な顔立ちが際立って、急に大人びて見える。
意味深な良司の雰囲気に、塔子はどぎまぎとした。
「……なに?」
微かな声で返す。
「…………とーこさんって、何者?」
こちらを穴が開くほど見つめ続けながら、ゆっくりと囁いた。
塔子は思わず息を詰める。それでも顔に出さないよう努め、彼を見返した。良司はどんな変化も見逃すまいと、真っ直ぐな瞳でこちらを窺っている。
塔子は息をついた。
「……何者でもないわ。普通の一生徒よ」
「でも、きみは獅子だ」
確信をこめた低い声だ。言葉に詰まり、じっと彼の目を見つめた。
「なぜそう思うの」
それだけを口にする。
良司は探るように見つめ、またしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……昨日、鷹宮がきみを迎えに来たから」
静かな声で続ける。
「役員になるんだろう?」
「……そうだけど」
塔子は内心で舌を巻いた。昨日の今日にして、緑風会役員になることはまだ誰にも伝えていない事実だった。
良司はさらに言葉を重ねる。
「入寮式直後のタイミングでの、役員抜擢。鷹宮は露骨に意識していたし、とーこさんもただならぬ様子だった。不確定要素は多いけど……でもこれしか考えられない」
きっぱりと言う。
「きみが獅子だ」
良司の真っ直ぐな瞳が、林の影のなかでも光って見えた。塔子は目を伏せる。
塔子自身が現獅子を探すため推測していたことを、まさか良司も考えていたとは、思いもしなかった。しかも、その推測が早くも自分に向けられていたとは、恐れ入る。
(まだ何も決心できていないのに……)
塔子はまた息をついた。
獅子は必ず、緑風会の関係者でなければいけない。これが良司と塔子の推測であり、確信だった。
獅子はその性質上、自らの正体を明かすことができない。それゆえに自治活動も獅子が表立つことはなく、緑風会を仲介にした、間接的なものになるという。つまり獅子と緑風会は、相互で連絡を取り合うほどの、非常に緊密な関係にあると考えるべきだった。
しかし緑風会は緑の館という特殊な環境で執務をしているため、そこに関係のない人物が頻繁に出入りすれば、いささか目立ちすぎてしまう。獅子の正体を明るみにせず、連絡を不自然なくおこなうには、獅子自身が緑の館の関係者であることが得策なはずだった。
すなわち獅子を探すなら、役員とその周辺の人物をにらむべきなのだ。
良司はそれを踏まえ、さらに次期獅子の指名が行われるはずの、入寮式直後のタイミングで塔子が役員抜擢されたことを、決定打にしたようだった。




