決意
塔子は唇を噛んだ。ここで獅子になりたいと言えたら、良いのかもしれない。
けれど、やはり踏ん切りがつかなかった。一歩踏み出すことが、どうしても怖いのだ。
むっつりと押し黙る塔子に、しばらくして直哉は苦笑した。根負けしたような笑みだった。
冷たい言葉を吐かれたあとだけに、彼の笑顔には、塔子をほっとさせるものがある。
「答えが出ないようだね。まあ、きみがそんなに悩んでいるんだったら、役員をしながら決めればいいよ」
直哉はゆっくりと諭すように言った。逃げ道を作ってくれたのだと、即座に塔子は理解する。
「それでも……獅子を降りたくなったときは?」
姑息かもしれないと思えたが、彼に率直に聞く。直哉はまた苦笑する。
「できればしてほしくないことだが……そのときは、現獅子に直談判すればいい。緑風会に決定権はないからね。でもその前に……獅子がだれかを見きわめなければ苦情も言えないから、難儀なことではあるが」
直哉の言葉に、塔子はゆっくりと頷いた。
結局は獅子になるにしても、降りるにしても、今の獅子を見出さなければ話にならないのだ。逆に目的がひとつに定まったようで、少しすっきりとした気分になる。
(いまは、その人を見つけることだけ考えよう。見つけてから……そのとき思ったことを口にすればいい)
素直にそう思えた。
塔子は静かに決心をして、ゆっくりと直哉に向き直る。その視線に感じるものがあったのか、直哉は笑う。
「納得してくれたようだね。うれしいよ。まずは役員として、これからよろしく」
「こちらこそ、お役に立てるかわかりませんが。それに獅子のことも……棚上げにしてしまっていますし」
「おれがそう申し出たんだ。気に病むことはない。それに、予算報告も近いしね。いまは猫の手も借りたいくらい忙しいんだ。十分戦力になると思うよ」
からっと、直哉は請けあう。塔子は彼の笑顔を見て、ようやく肩の力が取れたように思った。強ばっていた身体も徐々にゆるんでいく。
同時に、固くつぐんでいた口もとが綻んだ。こぼれるような笑みをつくる。
直哉はまぶしそうに、目をすがめた。
「はじめて見たよ、その顔。さっきよりずっといい」
「さっきよりって……」
塔子の声に、悪びれなく直哉は笑った。そうだ、と思い出したように、話を変える。
「きみ、坂本と同じクラスだろう。あいつにも伝えてくれ。もうあきらめて、大人しく役員になれと」
「……坂本って、あの坂本くんのことですか」
ふいを突かれてぽかんとした塔子に、彼はこともなげに言う。
「そう。坂本良司。あいつの場合、入学したときから内定していたようなものだよ。総司先輩の弟なんだから、覚悟しておけばいいものを」
「総司先輩……」
「あいつの兄だよ。おれが一年のとき、三年だった。あの人は伝説だから」
ふと懐かしむような顔をする。意外な事実に塔子は目を見開く。良司の敬愛する兄は、予想以上に凄い人物のようである。
伝えておきます、と告げると、直哉は鷹揚に頷いた。そして塔子の背後に視線を移す。
「鷹宮。まだいるんだろう」
塔子がぎょっとして振り向くと、静かにドアが開いた。柊一だった。気まずげに目を伏せたのは一瞬で、また傲然と顔を上げる。直哉はため息をついた。
「……まったく。つくづくおまえも執念深いね。盗み聞きとは、氷の王子の名が泣くよ」
「好んで付いた異名ではありません」
むすっとして柊一が返す。盗み聞きについては、完全に開き直りを決め込むつもりらしかった。やれやれと首を振り、直哉は柊一に告げた。
「まあ、とにかくそういうことだから。今後はふたりの面倒を見てやってくれ。おまえは少し先輩なんだから、教えてやれることもあるだろう」
「嫌です」
言下にはねつける。こちらの台詞よ、と塔子は思った。自分に反感を持つ人間に、ものを教えてほしいなんて、だれが思うだろうか。直哉は面白そうに、それぞれの様子を観察していたが、やがて静かに口を開いた。
「鷹宮」
有無を言わせぬ口調だった。柊一は無言を貫いたが、直哉の視線は強い。そのまま射抜くように見つめられて、やや身じろいだ。人が無言のプレッシャーに押されるところを、塔子は初めて見た。やがて柊一は根負けして、微かに頷く。表情は屈辱に満ちており、額に青筋が立っているように見えた。
彼の態度を知ってか知らずか、直哉はにっこりと笑う。いいこだ、と言って柊一に追い打ちをかけるので、塔子は気が気ではなかった。直哉の性格の悪さに閉口していると、気配に気づいたのか、ようやく遊ぶのをやめた。
とにかく、ともっともらしく話題を戻す。にこやかに彼は告げた。
「篠崎さんに、坂本。二人が入ったら、本格始動は五月かな。申し分ないタイミングだね。そのときに、正式に流すから。――次期獅子が決まったと」
「え」
ぎょっとして直哉を見れば、彼はまた肩をすくめる。
「ごめんね。これは慣例なんだ。次の指名がおこなわれたことは、必ず噂で流さなければならない。たとえ……きみが今後獅子を降りることになっても、それは先の話になるだろう? 今の決定は、その時点で公表する必要があるんだ」
「それはどのように」
「次の獅子が決まったと、それだけだよ。名前が出るわけないだろう?」
直哉は平然と言った。
ちらと柊一を見やれば、相変わらずの無表情で、しかし冷淡なまなざしで塔子をとらえていた。どんな反応をするか、見逃すまいという目つきだった。
彼を前にして塔子は不本意ながらも、狼狽えてしまう。
大丈夫、きっと自分だなんてわからない。そう思うが、不安は収まらない。
(どうしよう……)
落ち着かない日々は、まだまだ終わりそうになかった。




