王の血統
「獅子の、娘……」
思わずオウム返しをしてしまった塔子に、直哉が鷹揚に応じた。
「そう、次期獅子は“獅子の子”とも呼ばれる。それが女性だと“獅子の娘”。女獅子っていうだけで、昭和の当時はとても珍しかったからね。特別にそう呼ばれたんだ。今では古い言葉だけど」
怪訝な表情を見て、さらに説明を足す。
「獅子は王だからね。王の血統を持つ者だけが、後を継ぐことができる。だからその呼び名で、血統の正しさをあらわすんだ」
血統、とまたも呟く塔子に、彼は“もののたとえ”だと言い添える。ゆっくりと顔を上げれば、直哉は笑みを深くして、こちらを見つめていた。
「つまりね、ここでいう、血統とは資質のことだよ。王の資質を受け継ぐ者。それが獅子の子。――獅子の娘というわけ。ね、篠崎さん」
こちらをのぞきこむように、顔を傾ける。
塔子はといえば、返す言葉が見つからない。それでもと口を開くと、か細く頼りない声が漏れた。
「わたしには……自分がそんな大それた存在だなんて、とても思えません。どこにでもいる、目立たない、普通の一生徒です」
「でも、獅子はきみを選んだ」
直哉は、立ちすくんでいる塔子を見て、柔らかく微笑む。
「トンネルのなかできみに肩を叩いたのは、理由あってのことだよ。偶然なんかじゃない」
静かに告げる。塔子は一度目を伏せ、またすぐに直哉に向き直った。
「わたしは、獅子についてよく知りません。なぜそれが必要なのか……今の獅子が誰かさえも、わからない。そんな状態で獅子になるなんて、おかしいと思うんです」
つかえながらも言いつのる。
鷹揚に直哉は頷いた。ほっとした塔子を見て、彼は苦笑する。そして腕を組み、ゆっくりと話しかけた。
「だから、きみに猶予期間を設けようと思っているよ。獅子の本質や、現獅子がわからないのは、きみも気付いたとおり、話にならないだろう? それがわかるようになるまで、緑風会に籍を置いてもらうつもりだ。現獅子もそれを強く望んでいるしね」
「役員になるということですか……?」
塔子は目を見開く。
もちろんこき使わせてもらうけれど、と彼は首をすくめて言った。
「ただ少なくともおれたちは、きみの理解が行き着くまで、フォローできると思うよ。有用なアドバイスもできるはずだ。それに、おれたちとしてもきみを近くで見守りたい。猶予期間が長引くのも、都合が悪いしね。……悪くない話だろう?」
にこやかに、直哉は告げる。たしかに塔子のことを、よく考えてくれている提案だ。しかし塔子がそこに踏み切るには、いくつもの高いハードルがあった。そっと目を伏せる。
「けれど、獅子は統率者なのですよね? わたしには、そんな才覚もありませんし、自治やそれをおこなう人の人選など、できるとは思えません」
「できるはずの人間を、獅子は指名しているんだけどね。……なんでそんなに自分を過少評価しているんだろうな。おれにはわからないな」
少し口をつぐみ、首を傾げて塔子を見る。
「……きみは聡明で慎重だ。思慮深く、懸案事項も視野に入れて先を見通せる。周りがよく見えている。それにきちんと自分の考えを、意志を持って伝えられる。……たぶん本当は内気でもないんじゃないかな」
入寮式のときなんて、食って掛かってきたじゃないか、と彼は茶化す。
塔子は少し口ごもったが、直哉を見据えて言葉を返す。
「それは臆病だからです。何もかも。……わたしは、自分のことで手一杯の人間なんです。王になれる人間じゃありません」
この大役は自分のキャパシティを超えている、と塔子は思う。
唇を噛む塔子の様子をしばらく黙って見つめ、直哉は呟くように言った。
「きみは早いうちに、だれかに頼るということも、覚えた方がいいね」
組んでいた足をほどいて、机から立ち上がる。
長身の直哉が対峙すると、とたんに自分が小さくなったように塔子には感じられた。直哉は目を細めて塔子を見る。
「ねえ、獅子はただ一人ですべてをおこなう、孤高の王なんかじゃないんだよ。獅子とはいえ、十代の若い生徒だ。完璧なんて、そもそも求めちゃいないし、間違いだってある。けれどそれすらも学んで、色んな人の助力を借りて、そして立つものなんだよ。そんな風におれたちは、きみを心から支えたいと思っているんだ」
ゆっくりと、彼は言った。だから大丈夫、と。
「きみはちゃんと、王になれるよ」
塔子は口を開こうとして、そのままつぐんだ。瞳が揺らぐ。
直哉の言葉は、何か胸に染み入るようなものがあった。思わず頷いてしまいそうになる。けれど、と塔子は思う。やはり、やり遂げられる確信が持てないのだ。
返答できず目を伏せると、直哉は首をすくめる。ゆっくりと、さらに話を続けた。
「獅子という伝統はね……かつてある理想の名のもとに、ひとりの統率者が立ったことが始まりなんだ。当初は理想を叶えるための継承だった。けれど時を経て、その目的は変化している」
少し口をつぐみ、塔子をまっすぐに見つめる。
「……今に残る獅子の本質は、継承なんだ。獅子が絶えず続くことこそが、今では重要なんだよ。統率することには、それほど重きを置いていない」
謎めいた言葉に、窺うように彼を見る。つまり、と直哉は続けた。
「つまり、きみがこの緑の王国を束ねる気がないというのなら……難しいというのなら、最低それでもいいということだよ。自治は、おれたち緑風会に任せればいい。ただし次の獅子を正しく見出し、“獅子の系譜”を継承することは、きみの責務だ。獅子として、それだけはおこなってほしい」
「獅子の系譜……」
「王の証だよ。名もなき王が、ただひとつ持つもの。きみが、それを受け継ぐんだ」
直哉は簡単に説明した。
塔子は少し眉根を寄せる。彼の言いようから、ずいぶんと譲歩していることだけは伝わってきた。王の役目は継承だけで、あとはしなくても良いとは、驚くほどの妥協案だと思える。
だからこそ塔子は首を振った。
「わかりません……。そんな譲歩をしてまで、わたしが獅子になる必要はあるのですか。もっと積極的に獅子になりたいと、統率したいと思う人の方が、ずっと良いと思いませんか?」
「ああいえばこういうね。きみは」
苦笑して直哉は声をあげた。塔子は恥じ入って目を伏せる。ずいぶんと根気強い説得だとは思うが、塔子のなかで煮え切らないものがある。彼を見つめ、さらに言葉を尽くす。
「会長だってわかっているはずです……わたしが相応しい人間じゃないことくらい。分不相応だと、鷹宮くんのように思う人は、この先沢山いるはずです。わたしもそれを当然だと思っています」
自分で言っておきながら、塔子は胸が痛くなった。すぐに柊一の顔が浮かぶ。ゆっくりと息を吸い、話を続ける。
「この立場を求めている人が、他に沢山いるのではないですか? そういう……もっと良い適任者へ譲ってください」
塔子の声は、静かに部屋に響いた。直哉は塔子を探るように見つめ続け、その声の余韻が消えるまで、口を開かずにいた。しばしの沈黙が続く。やがて彼はふと気を緩めて、笑った。
「それが、一番の心配だったのか」
何でもないことのように言う。塔子は少しむっとした。
「……だれでも思うことです」
「でも、よした方がいいんじゃないかな。周りの評価の物差しで、自分を測るのは」
きっぱりと彼は言った。口調や表情は穏やかだが、そこには有無を言わせぬものがある。塔子はひやりとした。
「少なくともおれたちは――獅子は、きみを認めているんだ。卑屈になることなんて、ひとつもないはずだ」
直哉の言葉に思わず顔を伏せる。




