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獅子の系譜【旧版】  作者: 谷下 希
第2章 獅子の娘
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平穏の終わり

「この学校にはね、ある一人の王様がいるの」


 詩織は静かに口火を切る。

榊葉の言っていたことだ、と塔子は内心で思った。王様、と小さくつぶやくと、詩織はゆっくりと頷く。

「そう。わたしたちは、“獅子”と、呼んでいる。……いつの頃からかは、わからない。けれど戦前にはすでに、獅子は存在していたらしいわ」

「獅子とは……」

「学園を統べる者よ。この校内において、最高の権限を持つ人。事実上、緑風会よりも、立場が上だわ」

 きっぱりと告げられた言葉に、塔子は目を見開く。懲戒権限を持つ緑風会よりも立場が上ならば、たしかに生徒が持ち得る、最高の権力だろう。

「……今どきに? この民主主義の世の中で?」

 頓狂な声をあげてしまう。詩織はおかしそうに塔子を見やった。

「そう、わたしもそう思っていた……。時代錯誤も甚だしいわよね。でも、この学校は、そうなの」

 少し言葉を区切る。眼鏡を押し上げ、話を続けた。


「獅子が自治活動にどこまで手をのばしているのかは、本当のところ、わたしもわからない。けれど、緑風会役員の人選は、獅子が関わっていると聞いているわ」

「人選……」

 うちは指名制でしょう? と塔子をのぞきこむ。

「たとえば、会長職ね。緑風会の役員のなかから、会長となる人物を獅子が指名して、選挙に出しているという話。獅子のお墨付きの人物を、わたしたちは信任投票しているわけ。これも定かではないけどね。まことしやかに囁かれてる」

「そんな……」

 そんなことが許されていいのだろうか?

 戸惑って眉を下げる塔子に、詩織は笑った。

「あくまでも噂だから、そんなに気に悩まないで」

「ですが……なぜそうまでして続けるんです」

 塔子はつかえながらも、率直に聞き返す。

「自治活動なら……わたしたちや、緑風会の手で十分出来るのでは。……わたしには、わざわざ獅子が必要な理由が、わかりません」

 この時代に、そうまでして君主政治が生き残る理由が、塔子には理解できないと思う。

 しかし返ってきたのは、あっけないほど簡潔な一言だった。


「いいえ、必要よ」

 きっぱりと、詩織は言ってのける。ただ後の言葉は、少しもどかしそうに続けた。

「……必要だけれど、その理由は、わたしからは伝えられないの。あなた自身が考えるべきことだから。……獅子の必要性は、言われて知るものじゃなく、自分で理解するものよ」

「必要性を……?」

「そう。……わたしもそれが理解できたから、こうしてあなたに話している」

 詩織がそっと目を伏せる。

 塔子はまだどんな判断も下せず、疑問が疑問のまま、自分のなかで消化しきれないことを感じた。その喉につかえたような様子を見て、詩織は微かに笑ったが、やがて真剣な眼差しに戻る。

 それと、と言葉を足した。


「聞かれる前に伝えておくけれど。……今の獅子が誰か、という質問もタブーよ。今日だけでなく、これからも。獅子になった瞬間から、その人は獅子とだけ、呼ばれるようになる。個人の名前はないものと見なすの。暗黙のルールよ」

 塔子はまた眉を下げた。腑に落ちないことばかりだ。詩織の言葉は謎かけのように思える。

「なぜ……そこまでして正体を隠すんですか。生徒達にさえも。それでは、統率しようにも、できないのではないですか」

 詩織は目つきを柔らかくし、言い含めるように伝えた。

「統率することは、間接的なものよ。実際には緑風会が動いているから、獅子が表立つ必要がないの。名前をなくすのは……それが獅子というものだから。そして」

 わたしたちからすれば、と詩織は言葉を継ぐ。

「自分たちの王は、自身で見つけるものだから」

 静かな言葉に、塔子は何も返せない。つまりは、獅子に関わる重要事項は、何もかも自分で見つけろということだった。


 詩織はすまなそうに、塔子の肩にかかる髪を梳いた。時間が経ち、もうすっかり乾ききっている。

「いろいろと言えなくて、悪いわね。でも、獅子は校内の伝統のなかで、最も秘められるべきものなのよ。だから伝える日も、今日と限られている。わたしが伝えられるのは、ここまで。これ以上は、塔子が頑張って見つけて」

「はい……」

 か細い声で返答すると、小さく笑う。

「まあ、知らなくても、当分の間は支障のない話だと思うわ。ゆっくりでいいからね。それから――最後に、大事なことをあともう二つだけ。わたしたちの義務と権利の話よ」

 塔子は視線を上げて、詩織を見やる。すると彼女は少しこちらへ近づいて、ゆっくりと話しだした。


「まず、ひとつ目は、“獅子の名において”という伝令について。……獅子はね、王という立場から、あらゆる規則や慣例を超える存在になるの。ごくまれに、その立場を使って、指示が下されることがある。さっきの言葉が出たら、獅子からの直接の伝令ということ。これには、必ず従わなければいけない」

 怪訝な顔をする塔子に、予想していたというように、笑ってみせる。

「もちろん、めったにあることじゃないわ。もしあっても、無茶苦茶な内容じゃないはずよ。必ず理由があってのことだから、安心して」

「でも、その伝令はどうやって流れるんですか? それに……もし万が一、従えないような内容だったら?」

 矢継ぎ早の質問に、詩織は鷹揚に頷いた。質問があがったことに、どこかうれしそうに笑う。

「そうね。まず伝令はね、噂で流れるの」

「うわさ?」

「そう、口伝えにね。あの合い言葉を出せば、獅子からだとわかるでしょう? 証拠も出ないし、うちの学校は噂の回りが早いから、合理的なのよ。どこからともなく、流れてくるわ」

 塔子は小さく相槌を打つ。やはり唯一の伝令であっても、獅子が表立つことはないようだった。徹底ぶりが窺えるというものだ。


 それから、と詩織は言った。

「伝令が従えない内容の場合、よね。それは大事なことのふたつ目に関わるわ。……わたしたちはね、自ら獅子という王を選ぶことができないの。獅子は指名によって、密かに受け継がれるものなのよ。だからそのかわりに、王への挑戦権が与えられているの」

 挑戦権、とまたオウム返ししそうになり、塔子は口をつぐむ。上目で彼女を見やると、にこやかに告げた。

「獅子の決定や伝令の何らかに、納得ができない場合、広場の中心にあるクスノキの、一枝を折るの。そして根元の地面にまっすぐ突き立てておく。これで、獅子に不服を申し立てることができるわ。すると、緑風会が間に入って、協議、もしくは……直接対決をすることができるの」

「対決って……どんなことを?」

 ずいぶんと物々しいことだ。塔子は目を丸くする。詩織は眉をひそめた。


「うーん。じつはわたしも、そこまでは分からないの。不服の内容によって、いろいろと変わるものらしいわ。まあ、伝令も挑戦も、よっぽどのことがない限り、まずないからね。わたしもまだ経験したことがないし」

 それくらい、まれなことなのよ、と詩織はいたずらっぽく笑った。

「でも……この二つが獅子に対する、わたしたちの二つの約束だから。それだけは覚えておいて」

 はい、と塔子は頷くしかなかった。

 今日一日の情報量があまりにも多く、頭がパンクしそうな気がした。そっとこめかみに手をやると、詩織が気遣うようにのぞきこむ。

「沢山話したわね。いまはこういう伝統があることだけ、分かっていればいいから」

 塔子は安心させようと、もう一度、ゆっくり頷いてみせた。だが気にかかることがあり、顔を上げる。

「あの、獅子って、生徒の間で密かに受け継がれているんですよね……?」

「そうよ」

 頷く詩織を、塔子はじっと見つめた。見つめたまま、少し唇を噛み、考えあぐねる。 ずっと聞くに聞けないことがひとつ、塔子にはあった。それを聞くのが、とても不安でならなかったのだ。

 しかしここまで来れば、たずねてみるしかない、と思う。

 ゆっくりと息を吸った。


「…………その……その継承は……どうやって、おこなわれるんですか」


 思い切ってたずねた一言に、詩織は少し詰まったようだった。なぜか瞳が揺れて見えたが、すぐに目を伏せたので、それ以上はわからない。そして一呼吸のあとには、詩織はいつもの表情に戻っていた。顔を上げ、淡々と答える。


「わたしも詳しくは知らないの。でも次期獅子を指名するのは……入寮式か、進級式の日。必ずそのどちらかにおこなわれると、聞いているわ」


 背筋が震える。

 塔子には、返す言葉が見つからなかった。




 あとになって、塔子は思うことになる。

 もし、あのときトンネルに入らなければ、全ては変わっていたのだろうか、と。

 気付いたときにはもう、何もかも遅かった。

 すでに緑の王国は、塔子をからめ取ってしまっていたのだ。茂る緑のその奥。深い深い森のなかへと。

 こうして、塔子の穏やかな学生生活は、静かに終わりを告げたのだった。



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