第六部第八話:龍の洞窟の激闘と、炎に焼かれた背中
第六部第八話:龍の洞窟の激闘と、炎に焼かれた背中
竜の洞窟の奥深く、湿った岩肌と硫黄の臭いが立ち込める広大な空洞。
その中心で、漆黒の鱗に覆われた巨体が静かにうねるようにして眠りについていた。
「ほう……伝えられる伝説の巨獣にしては、あまり大きくはないな」
洞窟の影から様子を窺っていたジェノスは、安堵の色を滲ませた声音でそう呟いた。
しかし、いかに小ぶりであろうとも、相手は王国を脅かす本物の『ドラゴン』である。牙の一振り、尾の一薙ぎですべてを灰燼に帰す圧倒的な暴力の化身。
人間の仮面を被った魔王族の彼らが三人がかりで全力を尽くしたところで、勝利の確率は五分、あるいはそれ以下という危険な賭けであった。
言葉を交わすまでもなく、三人はアイコンタクトで意思を通じ合わせると、音もなく三方に分かれて巨大な竜を取り囲んだ。
――次の瞬間。
人間の皮を脱ぎ捨てるように、彼らはその忌むべき「本来の姿」へと変貌を遂げた。
ジェノスは鋭い爪と漆黒の毛並みを誇る凶暴な黒豹の化身となり、プランはしなやかな肉体と圧倒的な跳躍力を持つ豹の魔獣へ、そしてスロットは筋肉の塊のような、岩をも砕く突進力を持つ圧倒的な猪の如き巨獣へと姿を変えた。
「グアアアアアッ!」
地鳴りのような咆哮とともに、三方向から一斉にドラゴンへと飛びかかる。強靭な牙が硬質な鱗に突き立てられ、洞窟全体が激しい衝撃で揺れ動いた。
しかし、ドラゴンもただでは終わらない。凄まじい熱量を孕んだ巨体を激しくうねらせ、襲いかかる三人を力任せに弾き飛ばしていく。
鋭い爪と鱗が擦れ合う凄まじい金属音が響き渡り、一進一退の血で血を洗う攻防が繰り広げられた。
「ジェノス様――っ!」
その時、激しい戦闘音が響く洞窟の入口から、恐怖に青ざめたエルの悲鳴が飛び込んできた。
暗殺者たちの襲撃を振り切り、いてもたってもいられずエルの足がここまで走ってきてしまったのだ。
戦闘の只中でその声を聴き、ジェノスは反射的にハッと背後を振り返った。
――致命的な隙だった。
目を覚ましたドラゴンは、逃げ遅れたようにぽつんと立ち尽くすエルの小さな姿を捉え、その巨大な喉の奥を赤々と燃え上がらせた。
「ガアアアアアッ!」
容赦なく放たれた灼熱の炎の息吹が、凄まじい熱風を伴ってエルへとまっすぐ直撃する。
「エル様っ……!」
反射的に飛び出したジェノスは、自らの肉体を人間の姿へと戻しながらエルの前へと躍り出た。
彼が取った行動は、逃げることではなく、その無防備な少女を自らの背中で完全に覆い隠すことであった。
「ぎゃあああああああああっ……!」
エルの悲鳴とも絶叫ともつかない声が洞窟の天井を突き抜け、彼女の意識は極限の恐怖と熱量の中でプツリと途絶えた。
ジェノスの背中めがけて猛威を振るう灼熱の炎。
衣服は一瞬で焦げ落ち、彼の強靭な肉の皮膚がジリジリと音を立てて激しく燃え上がっていく。
「ジェノス!」
その致命的な光景を目の当たりにし、プランが鬼気迫る表情で叫んだ。
しかし、その隙をスロットが見逃さなかった。
猪の如き怪力を誇る巨獣の姿のまま、スロットは狂乱した勢いでドラゴンの分厚い首筋へと飛びつき、全体重をかけてその両腕を締め上げた。
バキィッ……!
鈍く、しかし周囲の空気を凍りつかせるような凄まじい骨の砕ける音が響き渡る。
ドラゴンの巨体はガクンと力を失い、そのまま地べたへと崩れ落ちて動かなくなった。
戦闘の静寂が戻った薄暗い洞窟の中で、プランは素早くジェノスのもとへ駆け寄り、その両手から濃密な魔王力を放出して猛烈な炎を消し止め、必死の治癒の術をその背中へと叩き込んだ。
その夜。
星明かりだけが頼りの静まり返った野営地で、エルとジェノスは同じ一枚の天幕の中に並べて寝かされていた。
幸いにも、ジェノスが身を挺してすべての炎を受け止めてくれたおかげで、エルの身体に負わせた火傷は浅い奇跡的な軽傷で済んでいた。
しかしその代償として、身を焦がしたジェノスの方の損傷は深く、命に関わりかねない致命的な負傷となっていた。
やがて、長い闇の底からジェノスの意識がゆっくりと浮上した。
重い瞼を開けると、視界のすぐ傍らに、あの少女――エルが小さな寝息を立てながら、まるで寄り添うようにして静かに眠っている姿が目に入った。
彼女の無事を確認した瞬間、ジェノスは胸の奥底から込み上げる激しい安堵感に包まれ、ほっと長い吐息を漏らした。
痛む背中の激痛など気にも留めず、ジェノスは静かに横たわったまま、その穏やかなエルの寝顔をじっと見つめ続けたのだった。




