第六部第七話:追跡者たちの影と、悍ましき愛馬の牙
第六部第七話:追跡者たちの影と、悍ましき愛馬の牙
エルと黒衣の三騎士たちが王都をあとにして西の山へ向かった直後、その後を追うようにして、王都の城門からは全く異なる目的を持った二つの軍勢が密かに出立していた。
一つは、第一王子ヴェリテが自ら率いる精鋭の騎士団であった。
ヴェリテは、あの可憐な少女エルがドラゴンの棲む死地で命を落ことなど到底耐えられなかった。
何が何でも自分が先回りして窮地を救い、その恩に着せることで彼女の心を奪い、あわよくば自分の女に収めてしまおうという、熱っぽくも短絡的な下心をむき出しにしていたのだ。
そしてもう一団は、そんなヴェリテの動向を苦々しく見つめていた有力貴族たちが放った、冷酷な暗殺者たちの集団であった。
彼らの思惑は明白だった。
将来王位に就くべきヴェリテ王子に自分たちの娘を嫁がせ、権勢の礎とするはずが、どこからともなく現れた素性の知れぬ「退魔師の小娘」にすべてを横取りされるなど、断じて許されるわけがなかったのである。
ヴェリテが追いつくよりも早く先回りし、エルを闇に葬り去ってしまおうという殺気立った魂胆だった。
一方、これらの動きを冷ややかに見下ろしていた第二王子サジェスは、あえてこの暗殺計画を止めようとはしなかった。
もしこれで兄ヴェリテがエルを追う道中で何らかの不慮の死を遂げたとしても、それはそれでサジェスにとっては好都合だった。
自らの手を血で汚すことなく、厄介な謀略や暗殺の汚名を綺麗に免れながら最大のライバルを排除できるからである。
また、第三王子レヴリは、遠く離れた宮殿の一室でエルの身を心から案じてはいたものの、自らの無力さと病弱な身体ゆえに、彼女を助けに向かうための兵を動かす力を持っていなかった。
そして第四王子オルギーもまた、サジェスと同様に、兄ヴェリテの失脚と破滅を心の底から待ち望んでいたのだった。
その頃、ドラゴンの棲む不気味な洞窟から少し離れた足場では、エルが一人、落ち着かない様子で立ち尽くしていた。
「……やっぱり、じっとなんてしていられないわ……!」
洞窟の奥から微かに響いてくる得体の知れない気配や、ジェノスたちの身を案じるあまり、エルはいてももっていられず、思わず足を踏み出そうとした。
しかし、彼女のすぐ目の前に、あの黒毛の巨馬――ンマが巨体をどっしりと横たえ、まるで壁のように立ちはだかって道を一歩も譲ろうとしなかった。
「もう……! お願いですから、通してください!」
「ブヒン! ブヒンッ!」
低く威嚇するような声を上げ、鼻息を荒くしながらエルの進路をガッチリとブロックするンマ。
二人はしばしの間、緊迫した様子で押し問答を続けた。
――その瞬間だった。
「はっ……! ブヒヒヒヒンッ!!」
突然、ンマの目が血走ったように見開かれ、その強靭な鼻先でエルの身体を猛烈な勢いでドンッと突き飛ばした。
シュッ――!
乾いた風切音とともに、エルが先ほどまでまさに立っていたまさにその足元の地面に、冷酷な輝きを放つ一本の矢が深く突き刺さった。
「え……?」
青ざめるエルの背後で、物陰から不気味な影が次々と姿を現した。
貴族たちが放った冷酷な暗殺者たちである。
「おのれ、邪魔立てする馬め……! 一緒にあの小娘を蜂の巣にしてやれ!」
暗殺者の一人が弓を構え、容赦なくさらなる矢を放とうとしたその時、ンマの巨体が信じられないほどの俊敏さで跳ね上がった。
「グオオオッ!」
人間のような、あるいはもっとおぞましい獣の怒号のような声を上げながら、ンマは一瞬で一人の暗殺者の懐へと飛び込んだ。その強烈な前足の蹴撃が、男の胸郭を凄まじい音とともにペチャンコに粉砕する。
暗殺者たちが混乱し、悲鳴を上げるその隙間を縫うようにして、ンマは再び巨体を翻した。
そして、その鋭く巨大な鼻先で、呆然と立ちすくむエルの背中を優しく、しかし確固たる意志を込めてぐいと押し、ジェノスたちが向かった「洞窟の方向」へと強引に促した。
「え……? 私に、あそこへ行けって……?」
ンマの漆黒の瞳を見つめ、エルはその意図を瞬時に悟った。
ここで足止めを食らっては危険だと、この愛馬は自分を安全な場所(あるいは騎士たちのいる場所)へ逃がそうとしてくれているのだ。
「ありがとう、ンマ……!」
エルは覚悟を決め、泥を蹴って洞窟の入口へと走り出した。
「おっ、待て! 小娘を逃がすな!」
暗殺者の一人が血相を変えてエルを追おうと走り出したが、ンマはその進路に素早く立ちはだかり、太い後肢で容赦なく男の首を蹴り飛ばした。
首の骨が不気味な音を立てて折れ曲がり、男はそのまま血の海へと崩れ落ちた。
「ひっ……! け、化け物だ……こんな馬がいてたまるか……っ!」
仲間が瞬く間に蹂躙される光景を目の当たりにし、恐怖に顔を歪めた残りの暗殺者たちは、武器を取り落として一目散に逃げ出そうと背中を向けた。
しかし、ンマはその逃げ道を許さなかった。
巨体を風のごとく軽やかに宙へと躍らせ、逃げる男たちの頭上を飛び越えると、道の真ん中に仁王立ちとなって立ちはだかった。
その漆黒の瞳には、冷酷なまでの殺意が宿っている。
「い、嫌だ、来るな――ぐあっ!」
暗殺者たちの悲鳴と肉が裂ける鈍い音が、山間の静寂を無惨に引き裂いた。
ほんのわずか数瞬の後、エルの周囲を囲んでいたはずの暗殺者たちは、一人の例外も残さず、すべて地面に沈み、血の泥まみれとなって絶命していた。
静まり返った山道に、ただ返り血を滴らせた黒馬の荒い鼻息だけが響き渡り、エルは息を切らせながらジェノスの待つ洞窟の闇へと足を踏み入れていった。




