第六部第三話:可憐な退魔師と、奇怪な退散劇
第六部第三話:可憐な退魔師と、奇怪な退散劇
ブラム王国の南方に位置する、緑豊かながらもひっそりと佇む小さな村。
その集落の中心にある村長官舎の前で、白髪交じりの村長は落ち着きなく右へ左へと歩き回っていた。
村を囲む鬱蒼とした森の奥に、いつの間にか強大な魔王族が住み着いてしまったのだ。
夜な夜な村へと忍び寄る魔王族の魔手によって、犠牲者は日に日に増すばかりであった。
王国軍はあちこちでの戦いで壊滅的な打撃を受けており、到底あてにならない。
世間で噂の傭兵ギルドも、ブラム王国全土にはびこる数多の魔王族退治に追われ、こんな辺鄙な小村にまで手が回るはずもなかった。
頼みの綱を失った村長が最後にすがりついたのは、昨今あちこちで名を馳せ始めている「退魔師」の噂だった。
全財産をはたいて依頼を出し、村長は固唾を飲んでその到着を待ちわびていたのである。
やがて、村外れの小道から、重々しい車輪の音を響かせて一台の黒い馬車と二騎の黒毛の馬が現れた。
車から降り立ったのは、あの夜と同じ漆黒の甲冑を纏った三人の黒衣の騎士――ジェノス、プラン、そして巨漢のスロットであった。
そして、彼らにエスコートされるようにして馬車から降りてきたのは、息を呑むほどに可憐で上品な気品をまとった一人の少女、エルであった。
「おお……! 退魔師の方々! 良くぞ、良くぞいらしてくださいました……!」
村長は感涙にむせぶような顔で駆け寄り、待ちかねたとばかりに両手を差し出した。
「お待たせいたした。なにぶん近頃は、世のあちこちに魔王族が頻出しておりましてな、移動に手間取りました」
ジェノスは鋭い眼光を和らげ、落ち着いた物腰で村長としっかりと握手を交わした。
「いやいや、お顔を拝見するだけで実に頼もしい! これだけの屈強な方々がいらっしゃれば、森の魔王族などひとたまりもなかろうて!」
ジェノス、プラン、スロットの纏う並外れた殺気と頑強な体躯を見て、村長は心底安心したように感嘆の声を漏らした。
「なんの、我らはただの護衛に過ぎません。実際に強力な退魔術を執り行うのは、こちらのエル様です」
ジェノスは丁寧に一歩引き、傍らに立つエルを差し出した。
「初にお目にかかります、村長さま。エルと申します」
エルはスカートの裾を上品につまみ、楚々とした美しい作法でお辞儀をした。
「……はっ? こんな、お若い娘さんが……?」
村長はあまりの少女のあどけなさと美しさに目を丸くし、思わず間抜けな声を漏らした。
しかし、目の前の騎士たちの異様な雰囲気に気圧され、とりあえず彼女たちを自宅兼用の応接室へと丁重に案内した。
「いやはや、それにしてもお若いのに……! さぞや、凄まじく厳しい修行を積んでこられたんでしょうなぁ……!」
村長は質素ながらも最高の酒と料理をもてなし、感心したように髭を揺らした。
エルは微かに遠い目をし、その顔を少しだけ青ざめさせた。
「それはもう……作法だの勉学、教養にテーブルマナー……毎日が地獄のような厳しい日々でしたわ……」
「ほうほう、流石は一流の退魔師の育て方ですな! しかし、それが魔物退治と一体どう関係が……?」
「は、花嫁修業――」
「それはそうと村長、おしゃべりはそのくらいにしておきましょう。で、その出没する魔王族というのは、どのようなヤツでありましたかな?」
すかさずプランが冷徹なトーンでエルの言葉を遮り、本題へと話を切り替えた。
「え、ええ……! それはそれは恐ろしい、山のように巨大な獣のような姿をしておりました! 村人を太い爪でひょいと掬い上げると、一噛みでバリバリと……ひぃっ、思い出すだけでも恐ろしい……!」
村長が恐怖に震えながら身振り手振りを交えて説明すると、プランはフッと冷笑を浮かべた。
「ご安心なさるがいい。エル様のお力にかかれば、どんな巨獣の魔王族であろうと一撃でございます」
「おお……! なんと心強い!」
その時、応接室の窓を激しく叩く音が響いた。
「た、大変だぁ! 化け物が出たぞーーっ!!」
血相を変えた村人が、戸を突き飛ばすようにして部屋へと飛び込んできた。
「ふむ、では早速参りましょうか」
ジェノスは静かに立ち上がり、隣に座るエルに視線を向けた。
エルはゴクリと唾を呑み、小さく、しかししっかりと頷いた。
「行きましょう……!」
村長や村人たちが固唾を呑んで見守る中、エル一行と村人たちは村の外れ、鬱蒼とした森の境界へと急いだ。
唸り声を上げながら、木々をなぎ倒して姿を現したのは、村長の言葉通り、異様に肥え太った狂暴な野獣の如き巨体の魔王族であった。
血走った目を剥き、鋭い牙からヨダレを垂らしながら、人間たちめがけて突進しようと地鳴りのような咆哮を上げる。
「エル様をお守りしろ!!」
ジェノスが怒声を上げ、三人の騎士がサッとエルの周囲を護衛の陣形体勢で固めた。
エルは一歩前に進み出ると、細い両手を胸の前で固く組み、目を閉じてなにやら不可解な呪文をブツブツと呟き始めた。
周囲の空気がピリピリと張り詰める。
村人たちは恐怖で息を潜め、彼女の背中を見つめた。
そして、エルは目を見開き、天に向かって力強く叫んだ。
「――メル・フェ・レーンッ!!」
その瞬間。
ピクリ、と魔王族の巨体が硬直した。
――だが、周囲で眩い光が放たれることも、凄まじい業火や雷撃が巻き起こることも、何一つとして「物理的な現象」は起こらなかった。
ただ風が吹き抜けただけである。
「えっ……? えっ……あれ……?」
村長が首をかしげかけたそのコンマ数秒後。
「ぎゃあああああぁぁぁっっっ……!!」
魔王族の喉から、先ほどまでの威圧感が嘘のような、恐怖に満ちためそ泣くような悲鳴が上がった。
その巨体からは冷や汗が滝のように流れ、全身の毛が逆立っている。
何かに耐えがたい恐怖を感じたのか、魔王族は自慢の巨体をひっくり返さんばかりの勢いで急旋回し尻尾を巻いて、一目散に森の奥へ向かってまっしぐらに逃げ出してしまった。
「な……っ!? い、今のは一体……!?」
あまりの呆気なさと、戦わずして凶悪な魔王族が逃げ出した光景に、村人たちは一瞬ぽかんと口を開けて茫然自失となった。
しかし、それが「魔王族の撃退(逃走)」であると理解した瞬間、周囲は割れんばかりの歓喜の喚声に包まれた。
「す、凄まじい……!!」
「退魔術だ! 姿を見ただけで化け物が逃げ出したぞ!!」
「万歳――! エル様万歳――ッ!!」
「ありがとうございます! ありがとうございますエル様……! なんとお礼を申し上げてよいやら……!」
村長は感極まり、涙をボロボロと流しながらエルの小さな手を両手で包み込んで激しく上下に揺すった。
「礼など無用。ただ……我々が成したこの事実と、エル様の偉大な退魔の力を、どうかこの周辺一帯に広く伝聞していただきたいのです」
ジェノスは静かに、しかし威厳のある声で村長に告げた。
「もちろんですとも! 明日にでも使者を飛ばし、この地方の英雄譚として、末代まで語り継がれましょうぞ!」
「はらへったぁぁ!!」
感動の雰囲気を豪快にぶち壊すように、巨体の戦士スロットがお腹を押さえて野太い声を張り上げた。
「お、おお! これは失礼した! さあさあ、我が村の最高の馳走を用意いたしますゆえ、どうぞこちらへ!」
すっかりエルを神のごとく崇め奉るようになった村長は、満面の笑みを浮かべ、退魔師の一行を再び村の中心へと手厚く招き入れたのだった。




