第2話 殿下、ご説明願います
休憩のため、ユーグラム殿下が控えの間へと下がられたところで、私はお話の許しを求めた。
ミューズ様は、舞踏の時間までに髪を直すのだと、侍女と共に奥へ消えていく。
殿下は手にした杯を卓上に置き、私の差し出した書類へと目を落とした。
「何か、支払いに問題があったのか?」
「記載内容について、数点ほど確認させていただきたいことがあります」
私は、驚く程冷静な声で、殿下に質問した。
「そちらに記載された、『次期王太子妃』というのは?」
殿下の眉が、微かに上がった。
しかし、即座に平生の表情に戻り、今し方ミューズ様の出て行った扉を顎で示す。
「無論、彼女のことだ。ミューズは間もなく私の妻になる」
あまりにも滑らかなお答え。
滑らかすぎて、私は次の言葉をすぐに紡げなかった。
「……【花嫁試験】が始まる前から、この決定は成されていたのですか?」
「当然だ。衣装は昨日頼んで今日できるものなのか?」
ユーグラム殿下は、呆れたような物言いをする。
「……では、私達五人を、王太子妃の候補としてお集めになったのは……」
「将来の王妃を支える者にも、相応の教育が必要だろう」
殿下はそう言って、脇の小棚から書類を一枚抜き出した。
「ちょうどいい。君は先に伝えておこう。王宮内における、来年度の配置案だ」
差し出された組織図には、私達……【花嫁試験】に挑む、“花嫁候補”五人の名前があった。
水利事業――アイリス様。
交易と資材調達――ダリア様。
魔法設備――ジャスミン様。
会計――ローゼ様。
そして、各部門の折衝と取り纏め。
最後の項目に、私の名前が記されていた。
所属は全員、【王太子妃付き補佐】。
名前の横に記載されている【俸給】の欄には、斜線が引かれている。
一瞬、目の前が真っ白になった。
「報酬は、いただけないということでしょうか……」
「王家への奉仕だぞ? 嫁入り前の令嬢が王宮で学び、名誉ある役職まで得られる。それ以上に何が要る」
「この一年と同じ業務を、来年も?」
「君達も慣れた頃だろう。新しい人員を迎えるよりも効率的だ」
心臓が冷たくなり、指先が震えた。
無論、私だって、必ず妃になれるなんて思っていなかった。
試験に落ちることだって考えていた。
でも、それは覚悟の上だった。
私ではない誰かが選ばれれば、自分は至らなかったのだと素直に受け止め、家へ帰るつもりだった。
けれど、誰も選ばれない。
それどころか帰すつもりさえなく、王宮で働き続けろという。
「私以外の皆様には、まだお話しになっていないのですね」
「間もなく正式に伝えるつもりだが……君は物分かりがいいからわかるだろう? 四人にも、余計な不安を抱かせないようにしてくれ」
殿下の、いつもの言い方だった。
取引先の機嫌を損ねた時も。
急な計画の変更で職人を怒らせた時も。
殿下はそうして、その後の対処を私に丸投げした。
自然と、私は拳を握り締めていた。
「今夜正式に発表された新水路計画についても、お尋ねしてよろしいでしょうか」
「まだ何かあるのか?」
「説明資料に、私達の名前が記載されておりませんでした」
「教育の一環で作ったモノだろう。王家が指導した結果の賜物だ。ならば、掲示すべきは王家の紋章。当然のことではないか?」
殿下は扉の方へ目を向けた。
頃合い的に、いつミューズ様が戻られても不思議ではない。
もう、この話を終わらせたいのだろう。
「些細なことを気にし過ぎるな、ヴィオラ。君には人当たりの良さという取り柄があるんだ。ローゼ嬢のように神経質になる必要はない」
喉まで出掛かった言葉を、無理矢理飲み込んだ。
事業の具体的な内容を発表する場に、名前が出されない……それは、“些細なこと”なのだろうか?
その人が働いた時間、一夜、一日、一年は、“些細なこと”なのだろうか?
しかし、今ここでそれを訴えたところで、ユーグラム殿下は困ったように笑うだけだろう。
そして、少し落ち着け――と、機嫌を直して次の仕事に取り掛かるようお命じになる。
私は、必死に呼吸を整える。
「書類のご確認に、お時間いただきありがとうございました」
頭を下げると、殿下は満足そうに頷く。
すると、「そうだ」と思い付いたように呟いて、手にした来年度の配置案を私へ差し向けた。
「これも清書しておいてくれ。君の文字は読みやすいからな」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
至急の精算業務を終え、私は自室へと戻った。
けれど、仕事はまだ残っている。
机の上には、明朝までに直す予定の書類の束。
いつもなら、何も考えず取り掛かっていただろう。
けれど、私はパーティー用の手袋を外せずにいた。
何だか、そんな気分になれなかったのだ。
私は、机の空いた場所に、先程受け取った配置案を置く。
“花嫁候補”五人の名前が、整然と並んでいる。
王家が舵を取る、大事業の計画書には載せられなかった名前だ。
報酬の出ない仕事を体よく強制する紙切れには、その全員の名前がちゃんと書かれている。
私は机の引き出しを開け、この一年手掛けてきた提出用の書類――その控えを取り出した。
提出日と受領印、交渉の経過、誰が何を担当したか。
捨てずに残しておいた記録を、一枚ずつ確かめる。
そして、頭の中でも思い出す。
アイリス様の、何度も引き直された図面の線。
ダリア様の、余白まで埋められた納入条件。
ジャスミン様の、魔法燃料を少しでも減らそうとする計算式。
ローゼ様の、数字の違いを見逃さない徹底した訂正。
私はそれらを、ずっと“花嫁候補”として採点されるためのものだと思っていた。
ミスはなかったか、他の誰かより上手く出来たか、そんなことばかり気にしていた。
けれど、この計画は、私達の誰が最も妃に相応しいかを測るための試験ではなかった。
張りぼての出来レース。
……でも。
それでも、今日まで積み上げられてきたものは、他の誰でもない――この五人の努力の賜だ。
「……私以外の四人は、あの配置案を知らない」
私達の誰も着ない花嫁衣装が、もう作られていることも。
未来の王太子妃が、もう決まっていることも。
それを難無く告げた、殿下のお言葉も。
――話をしなければ。
この事実を。
どう思うかは、実際に聞いてみなければ分からない。
私達は恋敵――会いたくないという方もいらっしゃるかもしれない。
それでも、声を掛け、話そう。
話すのが、私の得意なことだ。
手袋を外す。
中指に残ったインクを少しだけ撫でて、私は白紙の便箋を四枚取り出す。
明日の午後、王宮東棟の小客間。
便箋は仕事の打ち合わせで使ったことはあっても、お茶会の招待に使うのは初めてだった。
殿下の挨拶文を考える時よりも、最初の一行を生み出すのに苦戦した。
封筒にそれぞれ四人の宛名を書き、差出人として自分の名前を添える。
机の上に、四通の招待状が並ぶ。
内容に微かな差異あれども、全てに同じ言葉を記した。
【妃の座を争う前に、お茶を飲みながら私達の仕事の話をしませんか?】




