第1話 殿下、これはどういうことですか?
「今回の大計画は、流石の私も一筋縄ではいかず、随分と心を砕いた」
ユーグラム王太子殿下の雄大で自信に満ちた声が響き渡る。
スピーチが終わると、大広間は詰めかけた貴族達の拍手で満たされた。
私――ヴィオラ・シルクロードは、参加者に配られた説明資料を手の中で持ち直す。
盛大な拍手の音が、どこか虚ろに感じた。
殿下が今読み上げたのは、昨夜、私が何度も推敲した挨拶文だ。
「水路が整えば舟が通る。舟が通れば地方から、異国から、様々な流通が栄える。流通が栄えれば民の暮らしも豊かになる。私が、この国の隅々まで繁栄を届ける」
最後の一文も私が考えた。
――あまり難しい言葉を用いず、短く、崇高に。
宮廷指導による事業を束ねる役所――宮廷事業庁、庁長のブラハム様からの注文通りに整えた文章を、ユーグラム殿下は実に堂々と、胸を張って読み上げていらっしゃる。
私は周囲を見渡す。
磨かれた石床、金で縁取られた杯、天井で輝く幾つもの魔法灯。
王国全土を席巻する“新水路開発計画”――その発表を祝う宴は、とても華やかなものだった。
私は、手袋に包まれた右手の中指をさする。
今夜は絶対に手袋を外せない。
指先が、昨夜のインクで汚れているのだ。
ペン先が皮膚に食い込み、そこから染み込んだインクは、いくら洗っても落ちなかった。
「まるで、囚人のイレズミみたい」
自嘲気味に呟きながら、私は手にした説明資料をめくる。
新水路の図、工事に必要な物資、魔法設備の生産と燃料費……。
そして、川沿いの土地を管轄する領主達との合意事項。
それは私が……いや、私だけではなく、何名もの功労者達が心身を捧げ成した仕事。
全て、私が書き上げ、提出したとおりの内容。
ただ、最後の頁にあった作成者の名を記す欄だけがない。
そこに記されているはずの、私達の名前がない。
代わりに、大きな王家の紋章が刷られていた。
「………」
喉の奥に湧き上がってくる何か。
その頁をそれ以上直視していられず、私は振り払うように視線を上げる。
大広間の奥に、アイリス様の姿が見えた。
資料の水路図に視線を落としたまま、苦しげに目を細めている。
――あの図面を描いたのは彼女だ。
昨夜も共同の作業室で、窓の外が白むまで線を引き直していた。
声を掛けようと思ったけれど、出来なかった。
私達は同じ場所で働いていても、気軽に話せるような間柄ではないから……。
――私達は、王太子の“花嫁候補”。
――候補者は五人。
――最終選考は明後日。
――選ばれるのは、たった一人。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ヴィオラ・シルクロード――それが、私の名前。
シルクロード伯爵家の一人娘であり、この一年、王太子妃の候補に選ばれ、王家の【花嫁試験】を受けている。
候補に選ばれた当初は、素直に嬉しかったし、努力も惜しまないと思えていた。
私を含め五人の妃候補は王宮へと招かれ、【花嫁試験】に挑む。
まず私達に課された課題は、未来の妃に相応しい教養と実務を学ぶというものだった。
当時、王家は大規模な水路の開発計画に着手したところ。
まるで用意されていたかのように、私達はその事業に関わる役割を与えられた。
私は人と話すことが好きだったので、この事業に携わる関係者達との折衝を任された。
水路を通す場所を変えて欲しいという村。
作物を運ぶ季節までに工事を終えて欲しいという商人。
費用は出せないが、自領の取り分は減らしたくないという領主。
様々な人達と言葉を交えた。
無論、全員の願いをそのまま通すわけにはいかない。
だから、何なら譲れるのか、何だけは守って欲しいのか、丁寧に、一人ずつ、尋ねて回った。
妥協点……いわゆる、落としどころを見付け、摺り合わせるのが私の役目だと思ったからだ。
仕事は難しく時に苦しかったが、少し楽しくもあった。
最初は怒鳴られ、険悪な第一印象だった相手が、次の訪問では椅子を勧めてくれたりした。
わかり合い、互いを理解し、信頼を築けた。
その感覚が嬉しくて、次の仕事も、その次の仕事もと引き受けた。
――いつの間にか、仕事に終わりがなくなっていた。
「流石はユーグラム殿下。これほどの壮大な計画をお纏めになるとは」
新水路計画発表――その宴の場。
客人達から口々に称賛され、殿下は鷹揚に頷いている。
その傍らでは、シュラム伯爵家のご令嬢――ミューズ様が微笑んでいる。
候補者の私達よりも殿下のお近くにいるのは、いつものことだ。
握り絞めた説明資料の角が、手の中で食い込む。
――新しい水路が出来れば、多くの人が救われる。
私は、資料を伸ばして元の形に戻す。
国の端……川辺の小さな村で、舟を待つよりも自分で歩いた方が早いと、そう言って笑っていた商品の顔を思い出した。
舟が通れば、あの人も、もっと遠くの街や国まで荷物を運べるようになる。
それが叶うなら、この計画を支えた者の中に、例え自分の名前が残らなくても……。
そう思い掛けた時、背後から声がした。
「ヴィオラ様、ブラハム事業長から精算書類を確認して欲しいとのお申し付けです」
宮廷事業庁の職員の方だった。
「え……今から、ですか?」
宴の最中に舞い込んだ突発業務に、私も思わずそう漏らす。
「明朝には会計へ回したいそうでして」
楽団が次の曲を奏で始めた。
殿下は、隣のミューズ様と一緒に、変わらず楽しそうに笑っている。
私はそんな広間を一度だけ振り返り、宴の席を去った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
王宮の中――広間から遠く離れた事務室には、当然、暖かい料理も無い。
机には書類が積まれ、その向こうでローゼ様が帳簿を閉じるところだった。
「こちらは照合を終えました。右の束が、事業長から今届いた分です」
「ありがとうございます」
「礼には及びません。私の業務ですので」
私と同じく、花嫁候補のローゼ様。
トレードマークの眼鏡を指先で持ち上げ、淡々と告げると、彼女は席を立つ。
目元に疲れが見えた。
かと言って、掛ける言葉も思い付かない。
以前、私が纏めた予算案を、彼女に何箇所も赤入れされたことがある。
その時、ブラハム事業長から苦言混じりに言われた。
『ローゼ嬢は気付いたぞ。王太子妃候補として、少しは焦りを持ちなさい』
それ以来、彼女の前で失敗を見せるのが怖くなっていた。
ローゼ様を見送ると、私は気を取り直し、右側の束の一番上の書類を手にする。
今開催されている宴の費用に関するものだった。
会場の装花。
楽団への謝礼。
魔法灯の追加費用。
ジャスミン様の小さな字で、燃料の数量が訂正されている。
魔法設備に関しては、彼女の管轄だからだ。
その時、廊下からダリア様が事業庁職員と話す声が聞こえてきた。
ハッキリとして力強い、いつものダリア様の声。
「その納期に変更するなら、運び人の手当も上げることになります。そこを省いては約束できません」
いつにも増して強い声が、閉じた扉の向こうから聞こえる。
会場では、水路に関する説明補助としてアイリス様がてんてこ舞いになっているはずだろう。
私達五人は全員、今夜も仕事をしているらしい。
本当にあと二日で妃が決まるのだろうか……信じられない気分だ。
「はぁ……」
一枚、一枚。
チェックを進め、私は次の書類へと手を伸ばす。
絹地と真珠の明細が並ぶ請求書。
その下には、発注時の支出承認書が添えられていた。
文字を辿っていた私の目が、ある一行で止まる。
【用途――次期王太子妃ミューズ様の、婚礼衣装制作費の為】
………。
今回の請求は、完成した衣装の最終納入分だった。
宛名を見る。
ユーグラム殿下の名前。
次に、承認日を見る。
去年の春。
【花嫁試験】の募集が始まる、一ヶ月前。
もう一度……何度も、日付を確かめる。
数字も、文字も変わらない。
下にはユーグラム殿下の署名と、承認印。
私が父上に、試験を受けたいと話した日よりも早い。
何度も、何度も、私は食い入るようにその書類を読み返す。
何度も、何度も、実際に口に出して文字を繰り返しても、その言葉が脳に入ってこない。
「………」
王太子妃になれば、困っている人達の声を王宮に直接届けられるかもしれない。
そう話す私に父上は、よく考えた上でのことなら、お話を受けなさいと言ってくれた。
その時にはもう、本当の妃は決まっていて、婚礼衣装まで注文されていたのだ。
経費は、私達の仕事の成果から落とされる形で。
大広間の歓声が、遠くから聞こえた。
胸の奥で、ストンと、何かが落ちる音がした。




