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半妖グドンの選択  作者: すいかあたま
第二章 蟻巣島
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99/203

99 世代交代

 最上階の自室の窓から、アサホは島内の様子を眺めていた。

 島内はどこも静まり返り、今は人影さえほとんど見えない。

 以前なら、夜間でも煌々と輝きを放っていた繁華街の喧騒も、今は消えて、町じゅうが生気を失ったようにひっそりと沈んでいる。

 そうした寒々とした光景にもかかわらず、アサホの表情はなぜか晴れやかだった。

「これほど何の騒ぎにも起きず、あっという間に島民がいなくなるとは思ってもみなかったわ。ここへも大ぜい押しかけきて、ひと悶着あると思ってたけど、わたしを非難する声一つあがらなかった」

 彼女が誰にともなく言うと、背後で一人胡坐を組み酒を飲んでいたリョクギダンが、つまらなさそうに鼻を鳴らした。

「罵倒されず、民衆の敵として処罰もされなかったことが、心外というわけか?」

「心外なもんですか! こんなにことがうまく運ぶとは思わなかったのよ。だから、嬉しくて仕方がない。それが今の偽らざる心境よ」 

 やっと背後を振り向いたアサホが笑みを見せた。

「労働者たちに半殺しにされることも覚悟していたし、当然、身ぐるみはがされだろうと予想してた」

「だから、予め財産の一部を島外へ移したのか? 相変わらず何とも用意周到だな」

 彼女は溜息交じりに首を振った。

「それは逆よ。財産を移したのは当て外れ。誰も押しかけてこないとわかっていたら、島から何も持ち出さなかった」

「だが、いずれにせよ、きみも今すぐ島から抜け出し、財産を隠した場所へ行くべきじゃないのか? 誰も信用しないきみのことだ。今は手下の裏切りが何よりも心配だろう?」

 リョクギダンは酒の勢いもあってそう皮肉を言った。

「持ち出したのは、端金よ。大半はまだこの島に隠してある」

 彼女がそういっても、リョクギダンはもう驚かなかった。

 この数日の様子を見ていて、彼女が島の立て直しに自信を持っていることが、リョクギダンにもはっきりわかった。今の島の状況で、なぜそうも自信満々でのんびり落ち着いていられるのか謎だが、アサホに島を逃げ出す気が一切ないことだけは間違いなかった。

 やはり、彼女はまだ何か隠している。

 リョクギダンもそう感じたが、たとえ彼女が何を隠し、自信の根拠が何であるにしろ、自分の行動には変化がないようにも思えた。

 結局、アサホがこの島に残る限り、自分もここに残る以外に選択肢はない。いや、ひょっとすると、彼女がこの島から逃げたとしても、自分はここに留まる以外ほかの道はないかもしれなかった。

 今さら、一人島を出てどこへ行けというのか? 島から出たところで、現状よりいい生活が待っているとは思えなかったし、そのためにあれこれ奮闘努力する気力も残っていない。少なくとも、彼女がここに残る限り、当面はヒモとしての生活を享受し続けられるのだから…。

 リョクギダンは、黙ったままアサホと顔を突き合わせていることに耐えられず、

「命を落とす危険はない、ときみが思っているのはわかったが、これ以上島に残ってどんな得がある?」

 と正直、訊きたくもないことを言葉にした。

「島民は大半が逃げ出した。薬師もいないし、薬草の収穫も見込めない。そんな状態でここに残って何か得るものがあるのか?」

 これはグドンが考えたのと同じ疑問だった。

「得られるものがあるかないかは、すべてこれからね」

 と彼女は思わせぶりなことを言った。

「どういう意味だ?」

「全部壊れたら、一からつくり直せばいいのよ。元々、そうしてこの島は出来たんだし、わたしも今の地位を一からつくり上げた」

 彼女のいう意味がまだ理解できず、リョクギダンは眉根を寄せた。

「わたしが心配していたのは何だと思う?」

 相手の困惑した表情に、アサホが揶揄うような響きを込めて訊いた。

「薬草が枯渇すること? 島民が何人も犠牲になること? 島民が噂している陰の怪物に異常が起きていること? 残念ながら、全部違うわね。わたしが心配していたのは、自分の身に危険が及ぶことだけ。それ以外はすべてやり直せばすむことよ」

「やり直せると思う根拠を教えてくれ、とわたし以外の奴なら言うだろうな」

 リョクギダンがまた皮肉で言い返す。

「やり直せない理由がある? 裏の事情を知った島民が全員出て行ってくれたのは、わたしにとって願ったりかなったりよ。わたしを底なしの悪女だと知る人がいなくなれば、邪魔者なしに一からやり直せる。噂でわたしのことを色々聞くでしょうけど、しょせん噂は噂。島の経営が軌道に乗れば、また大ぜいここへ集まってくるわ」

「わたしが訊いているのはそういうことじゃない。きみはひょっとして、島で何が起きているのか初めから全部知っていたんじゃないか、と訊いているんだ。なぜ薬草が枯渇し始め、なぜ犠牲者が急増しているかだけでなく、陰の黒幕が何者で、そいつが今どんな状態なのかも…」

 訊きたくないと思っていたことを自分が口にしていることに、リョクギダンは内心自嘲した。

 自分にもわずかながらに好奇心が残っていたということか?

 彼の問いに、アサホは答えず、にこりと笑った。

「だから、まだやり直せると余裕を見せていられるのだろう?」

 リョクギダンの詰問に、小首を傾げて何か考えていた彼女は、

「あなたこそ、なぜ、この島を離れないの?」

 と逆に訊き返した。

 話をはぐらかされているのはわかっていたが、それでも、

「今さらどこへ行けというんだ? 本当に命の危険が迫れば別だが、今はまだここでの生活が、わたしにとってはどこよりも快適だ」

 と、リョクギダンは答えた。

 その答えに、アサホは口元を小さく歪める。

「何だ? 軽蔑しているのか? どうしてもっと前向きに生きられないのか説教したいわけか?」

「相手に失望しているのはお互い様でしょうけど、こういうときは、嘘でも、死ぬときはおまえと一緒にいたいからだ、とか甘い言葉をかけてほしいわ」

 今度は、本当に可笑しそうにリョクギダンが笑った。

「まあ、確かにひとりで死ぬより、二人一緒のほうが気が楽かもしれん。残念ながら、きみには、死ぬ気などまったくないようだが」

「そうね」

 アサホは珍しく柔和な笑顔になった。

「どう? わたしがなぜやり直せると思っているか、その理由が知りたい?」

 彼女はリョクギダンの目を覗き込むようにした。

「本心を言えば、知りたくない」

 リョクギダンがあまりにあっさり答えたので、アサホは驚いた顔になった。

「そこまで達観しているとは驚いたわ。今、この島にいる者の中で、強欲にかられたのではなく、別の理由でここに残っているのは、あのグドンを除けば、きっと、あなた一人だけかもね」

 大真面目にいう彼女に、リョクギダンは初めて真剣な表情になると、思いもしなかったことを口にした。

「今さらこんなことを言っても信じないだろうが、きみにはすまないと思っているんだ。こどもができないとわかったとき、きみがどれほど失望し、悲嘆に暮れているかわかっていた。わかっていながら、思いやろうとしなかった。当時は、本当にすべてを終わりにしたいと捨て鉢になっていたんだ。きみの悲嘆が滑稽にさえ見えた。だが、すべては、そうしたわたしの情けなさから始まっていたのかもしれない。セイイツに見捨てられたのも、きみが冷たい女性に変わってしまったのも、わたしに原因がある」

 長い間、二人は黙ったまま互いを見つめ合った。次に口を開いたのはアサホだった。

「今、この島で世代交代が起ころうとしているの」

 突然、彼女は何の脈絡もなくそう言った。

「世代交代?」

「今までの女王蟻が死んで、新しい女王へ世代交代しようとしているのよ。今はその端境期なの。だから、色々な混乱が起こってる。でも、女王蟻の交代が終わって彼らの社会が正常に戻れば、また、何もかも元通りになる。そうなったら、もう一度人集めから始めればいい。薬草が手に入るとわかれば、薬師たちは自然に戻ってくる」

 不自然といってもよいほど明るいアサホの表情に、リョクギダンは違和感を覚えた。新たな循環が生まれれば、これまでの苦しみや悲しみは何も起きなかったことになる、とでもいいたいのだろうか? 薬草地で命を失った使役者やその家族の悲しみもすべて忘れられ、元々存在しなかったことになると?

 彼女には、過去のことなどまるで眼中にないとしか思えなかった。関心事は、新しい人手と薬師たち、さらにいえば、新たな女王蟻が必要とする餌か…。

 彼の目に宿った悲しみに、アサホも気付いた。

 彼女の顔から潮が引くようにすっと笑みが消え、その視線が再び窓外へ向かう。

 彼女が何も見ていないのは、リョクギダンにもわかっていた。

 彼女は腹を立てている。でも、何に対して?

「このまま二人で島を離れようといったら?」

 答えはわかっていたが、リョクギダンは訊かずにはいられなかった。

「今さら、よりを戻そうというの?」

 アサホは冷たく笑った。

「二十年前なら、うれし涙を流したかもしれない。でも今はもう無理ね。あなたも、それはわかっているはず。わたしたちの間に愛は残っていない。誤魔化してもすぐ破綻するだけよ。あなたも本音は、この島での悲劇を終わらせたいだけでしょ。違う?」

 しばらく考えてから、リョクギダンは小さく頷いた。

「最後に訊かせてくれ。どうして、きみは女王蟻の世代交代のことを知っている? それに、なぜ、そのことをもっと早く島の皆に知らせなかった? 知らせていれば、事態は変わったかもしれない」

「どう変わったと思うの?」

 島民が許してくれたと思うのか、と彼女は訊きたいようだった。リョクギダンの幼稚な考え方には少々うんざりした様子だ。

「まあいいわ。わたしが世代交代のことを知っていたのは、前代の島主から引継ぎがあったからよ」

 とアサホは吐息をついた。

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