100 アサホの狂気
「引継ぎ?」
「そう。前島主が亡くなる直前…」
と、アサホは当時を思い出すように話し始めた。
彼女の話を要約すると、そのとき、前の島主とアサホの間で、少なからぬ事柄に関し引継ぎが行われたようだ。それはまず、ここ蟻巣島がどう始まったのかという説明から始まった。
蟻巣島は元々、古族という今はこの国に存在しない部族によって造られた。だが、彼らは島の経営には参画せず、島の管理は手下である妖族によって行われていた。いうまでもなく彼らは蟻を祖先に持つ者たちだ。彼らはさらに実際の実務を妖獣に担わせていた。それがつまり今の女王蟻の先祖ということになる。
妖獣は、妖族の収入元である薬草地を管理する仕事を担っていた。
薬草地の養分は大量に出る大蟻の糞尿と大蟻自身の死骸で賄われた。それにより、薬草は普通では考えられないほどの速度で成長し、広大な薬草地を維持することができた。
その広大な薬草地が今の聖地だ。
妖獣は自分でも栄養を必要とし、その大半は配下の蟻たちにより獲得供給された。だが、それ以外にも、必要不可欠としていたものがあった。人族の脳だ。女王蟻は脳が異常に発達しており、その力を維持するためには、人の脳髄がどうしても必要だった。
人族の脳は、主に妖族から提供されたが、島へ迷い込んだ人族を妖獣自身が捕獲することでも獲得された。その際に使われたのが、妖獣自身がつくり出す幻覚だ。
幻覚にかかった人族は自ら進んで妖獣の餌になった。
やがて古族がいなくなり、最後には妖族もこの地域を離れるときがやってきた。
力では人族を大きく凌駕する妖族も、人族の繁殖力の高さには太刀打ちできず、移住を余儀なくされたのだ。妖族は徹底して人族と敵対するより、人族の居住地から離れる道を選択した。
こうして蟻巣島からは妖族がいなくなった。
いなくなったあと、それを引き継いだのは、妖獣ではなく、そこで労働力として使役されてきた人族だった。
覇権を奪った際に、彼らは、妖族が残していった妖獣を利用することを考えた。妖獣と契約を結び、人族の脳を餌として提供する代わりに、大量の薬草を手に入れることにしたのだ。
両者はいわば共存共栄する道を選んだ。こうして、今の蟻巣島の経営が始まる。
妖獣は元々薬草を必要としなかったから、人族との契約は、彼らにも多大なメリットを齎した。ときおり島で出る犠牲者が、妖獣に提供される餌だと露呈しない限り、島の経営は順調で安定していたし、何も問題はなさそうに思えた。
そんな中で唯一問題になったのが、妖獣つまり女王蟻の寿命だった。
以前なら、妖族により管理されていたため、世代交代があっても問題とならなかったが、人族が管理する今、混乱が起きる可能性があった。
とはいえ、女王の世代交代は数百年に一度のことで、寿命の短い人族にとって、受け入れらないほどの大問題とはならなかった。
過去にも、世代交代時に混乱が起きたことはあったが、その時期が過ぎれば、島の経営は元に戻った。いうまでもなく、多くの島主は、そうした世代交代を一度も経験することなく一生を終えた。
残念ながら、アサホは運の悪い島主となった。彼女が島主を務める間に、女王蟻の世代交代が起きたからだ。
「それが今の状況というわけか…」
アサホの話が終わると、リョクギダンはすべての謎が解けた思いで頷いた。
「だから、きみは混乱の収束や島の存続に自信を持っていたんだな」
「そう。恐らく今はその最終段階ね」
「しかし、そうした事情があるなら、すべてを島民に話して、一時的に島から避難させることも出来たんじゃないのか?」
彼としては当然の質問をした。
「女王が交代すれば、薬草地の経営も元に戻ったろうし、そのときにはまた、皆を呼び戻せばよかった。餌の話は何とか誤魔化すことも出来たろう?」
「誤魔化すことも出来た? 馬鹿を言わないで」
アサホはにべもなく否定した。
「なぜ?」
「過去に、そうした島主がいたからよ。そして、すべてを失った」
「すべてを失った?」
「島民すべてが島を離れるのは生半可なことではないのよ。一時の誤魔化しで何とかなる話じゃない。使役者が餌として差し出されていたことも結局は明るみになった。自分たちが餌ではないかと疑っているのと、実際に島主がそれを認めるのとでは全然話が違う。島を離れるとなれば、財産の一部を失うことになるから皆必死だしね。島主を待っていたのは破滅だった」
「でも、結局は、今回も同じ結果になったじゃないか」
とリョクギダンは現状を指摘した。
「そうよ。あの半妖のせいで、わたしの計画は台無しになった」
憎しみを抑える口調でアサホは言った。
「あのこどもさえ現れなかったら、誤魔化せたはずだし、そうなっていたら、あとは新しい女王蟻の支配が安定するのを待てばよかったのに」
グドンのことを考えると今も怒りが込み上げるらしく、アサホは唇を噛んだ。
アサホは、数日前、件の組織と交わした会話のことを思い出していた。グドンの殺害依頼をしたあの組織だ。
グドンが聖地へ入ると決まった今、殺害計画などもうどうでもよかったが、金を払った以上、うやむやのまま済ませるのも癪だった。
ところが、通信鏡の向こうに現れるなり妖異な風貌の青年は、すごい剣幕で、
「よくも連絡をしてこれたものだな?」
と吐き捨てたのだ。
「どういう意味?」
と戸惑いを隠せないアサホに対し、
「おまえは大事なことを隠していたろう?」
と、尚も強い口調で非難した。
「大事なこと?」
「そうだ。前回の会話では、小僧の力がおまえの色爺と大差ないと言ったじゃないか」
「そうだけど…」
これ以上ふざけた話はないというように、青年は声を出して笑う。
「わたしは、配下の殺し屋を二人もそちらへ差し向けたんだぞ。言っておくが、人族じゃない。半妖でもない、一人は妖族で、一人は魔族だ」
「妖族と魔族!」
自分で依頼しておきながら、そのことにアサホは驚きを隠せなかった。そんな恐ろしい奴らがこの島へ来ていたとして、グドンを殺害したあと、すんなり帰って行ったろうか? そうでなかったとしたら…。
思わず震えたとき、相手の言葉がアサホを現実へ引き戻した。
「その二人はどうなったと思う? 消えたのさ。いや、はっきり言えば、殺された」
「殺された!? でも、それがわたしの依頼と…」
どんな関係があるのかと言おうとした彼女を制し、青年は、
「彼らは蟻巣島の上空で消息を絶った。我々は配下の者が死ぬとそれがすぐわかる仕組みになってるんだ。そのためのものを体に埋め込んでいる。二人の生命反応は、彼らが消息を絶つと同時に消えた。わかるか? 二人は間違いなく蟻巣島で殺された」
「そ、そんなこと…」
「これで、まだ二人の死と小僧が無関係と思うなら、おまえは愚か者だ」
アサホはもう返事をすることが出来なかった。
グドンというこどもが妖族と魔族の殺し屋を返り討ちにした? そんなことはありえない。だけど…。
アサホの反応に、青年も派遣した二人の死と彼女が無関係であることを察したようだ。
それでも、苦虫を噛み潰した顔で、
「これ以降、いっさいの連絡は断る。夜の遊び相手を探すなら別をあたってくれ」
そう言うと、相手は一方的に連絡を切った。
そのときに受けた衝撃を、アサホは今も忘れられない。
二人の刺客が死んだことはどうでもよい。だが、もし、二人を殺したのがグドンであるなら、これが、今後どう影響してくるかが心配だった。
彼が自ら進んで聖地へ入り死んでくれればこれ以上最高なことはない。だが、もしそうならなかったら…。
アサホの心に一抹の不安が浮かび上がった。
黙り込んでしまったアサホを、単純にグドンへの憎しみを堪えていると誤解したリョクギダンは、
「だから、半妖を甘く見るなと言ったのに…」
と言わずもがなことを言った。
確かに、もし、グドンがこの島へやって来なかったら、結果は大きく違っていたかもしれない。労働者が餌であったことも露呈せず、一時の混乱はあったとしても、世代交代が成功し、アサホは今までどおり島主として実権を握り続けることができたろう。しかし、今はもう…。
「しかし、残念ながらすべてが明るみに出てしまった今、きみがここに残っていても意味がないんじゃないか? 女王蟻の世代交代が終わり混乱が収まっても、きみが元の地位に戻れるとは思えない」
リョクギダンが彼女の注意を促すように言った。
「そう?」
と、我に返ったアサホが笑みを見せる。
「そう?」
平然と自分を見返すアサホの気持ちが、リョクギダンには理解できなかった。
「確かに、使役労働者を餌として差し出すのは、無理でしょうね。でも、何かもっとうまい方法を見つけてみせるわ。薬草が手に入るとなれば、人手はきっと戻ってくる」
とアサホは自信を見せた。
彼女は一番大事なことを忘れている、とリョクギダンは言いたかった。彼女に食い物にされてきた者たちの復讐だ。
世代交代が完了し、島へ人手が戻ってきたとしても、戻ってきた島民が彼女を許すとは思えなかった。たとえ彼ら自身は戻らなくとも、彼女の噂は付近一帯に広まるだろうから、新たに形成される島社会で、アサホが権力を握れるとは思えない。
彼女は噂などとるに足らないと思っているのだろうか? だとしたら、考えが甘すぎるが、アサホがそんな甘ちゃんだとは思えなかった。もしかすると、彼女は、噂の恐ろしさを認識しながら、それでも自分の復活を確信しているのかもしれない。それは自信というより、もはや狂気に近かった。
「やはり、きみはすぐに島を離れるべだと思う。命あっての物種じゃないか。財産の一部を移動してあるのなら、生活に困ることもないだろう?」
一度は愛した女性に対する思いを彼は吐露したが、アサホは事も無げにそれを一蹴した。
「誰がわたしの命を狙うと思うの? 労働者? 彼らの家族? 彼らはもう二度とここへは戻らないわ。わたしを処刑したところで利益はないから。彼らは生活に必死よ。それに、わたしもただでは殺されない。いざとなれば、妖獣を放つ。新たな女王蟻とそうした契約を結ぶのよ。逆らう者を彼らの餌にすれば、一石二鳥ね」
さすがに恐ろしくなったリョクギダンは口を閉じた。
彼女をこれほどの狂気に駆り立てている原因は何だろう? 権力か? 金か? 愛の破綻か?
いずれにせよ、今のアサホは自分の知っている人間とはもうまったくの別人だった。
それでも、リョクギダンが、
「まあ、どうなるにしろ、わたしもこの島に残ることにするよ」
と宣言すると、アサホは意外そうに彼を見た。
「どうして?」
「死ぬなら二人一緒に死のうじゃないか」
彼女が先ほど口にした冗談を、リョクギダンはそのまま繰り返した。
結果がどうなるにせよ、最後まで見届けるのが自分の責任だ。
そう決心し、彼は苦い酒をまた一口口に含んだ。




