101 聖地
七号薬草地から戻ってひと月、グドンは予定通り聖地の入口へ向かった。
ここ数日、グドンは宿舎でのんびり惰眠を貪った。
修練はしなかった。
今の自分に、黒幕と戦うための十分な能力があるかどうかわからなかったが、やれることはすでに全部やった気がした。
それでもすぐに聖地へ乗り込まなかったのは、犠牲者を一人でも減らしたいとの思いがあったからだ。計画の実行を一日でも遅らせれば、巻き込まれて犠牲になる人間を一人減らせるかもしれない。出来れば、自分の計画のために一人の犠牲者も出したくなかった。
だが、彼のそんな希望は叶わなかった。
今も島内には数十人の島民が残っている。島主たちを含め、彼らの多くは、欲の呪縛から逃れられない愚か者たちだった。未だに一攫千金を夢に見、しかも、グドンの陰に隠れていれば、自分は危険を侵さずに済むと甘く考えている。こうした脳天気な者たちに、グドンはもう、かける言葉が見つからなかった。
とはいえ、島民の避難に関しても、グドンはやれることはやったと自分を慰めた。
そう思いつつ聖地の入口へやって来たが、そこで彼をひどく落胆させる出来事が起こった。入口で、彼がやってくるのを待ち伏せしていた者たちの中に、何とホウカがいたからだ。
グドンは驚くと同時に呆れて言葉が出なかった。彼女が行方を眩ませたとリンタロウから聞いてはいたものの、まさか今も島に残っていて、ましてや聖地の入口へ現れるとは思っても見なかった。彼女はいったい何を考えているのだろう?
「ここで、何をしてるの?」
しばらくの間、呆然と彼女を見つめたのち、グドンはやっとそれだけ口にした。
「あなた一人を行かせないと言ったでしょ?」
ホウカが憤然と言い返す。
こんなのは嘘だ、と思いたかった。あれだけ苦労して皆を離島させたのに、彼の数少ない知人であるホウカが残っているなんて…。彼女がどれほど嫌な奴でも、ほとんど面識のない島民よりは、グドンにとってずっとかけがいのない存在だった。
しかも、彼女は自分が嫌っていたあのホウカではない。
「きみは、誰なの?」
今こそ、この質問を相手にぶつけるときだった。
グドンは、彼女が嫌がらせや薬草を手に入れるために、ここで彼を待ち伏せしていたとは思わなかった。ここにいる理由はただ一つ。心からグドンのことを心配し、できれば、聖地へ入ることを思いとどまらせ、連れて帰りたいと願っているのだ。
しかし、本物のホウカがそんなことを考えるはずはなかった。
突然、脈掠なく放たれたグドンの問いに、相手は絶句したように見えた。
「きみが誰なのか、おいらには凡その見当がついてるよ」
黙ったままの相手に対し、グドンは静かに言った。
どうやってホウカに変装しているかはともかく、不渉城からずっと自分をつけてくるような相手を、グドンは一人しか思いつかなかった。
「なぜ、きみがそんな姿をしているのか、なぜ、変装しておいらをつけてくるのかはわからない。でも、今はそれもどうでもいい。ここは本当に危険なんだ。おいらを心配してくれるなら、すぐにこの島を離れてほしい。きみがここにいると、自分だけじゃなくきみまで守らなくちゃいけなくなる。元々、勝ち目がどれほどあるかわからないのに、それじゃ、自殺行為だよ。わかってくれる?」
蒼ざめていた彼女の頬に、ほんの少し血の気が戻った。
「そんなに危険とわかっているのに、なぜ、まだ聖地へ入ろうとするの? この島のことなんて放っておけばいいじゃないの。あなたは元々ここの住民ですらないでしょ? だいたいこの島にはもうほとんど人が残っていない。どうなっても、大きな被害は出ないはずよ」
「おいらもそれは考えた。でも、駄目なんだ」
「何が駄目なの?」
「この島の陰の怪物が復活して、島がまた元通りに戻ってしまう可能性がある。そうなったら、また大ぜいここへ集まってきて、結局は沢山の犠牲者が出る。悪の根源を断つには、怪物が弱っている今がチャンスなんだ」
「でも、もうこの島の秘密は暴露されしまったでしょ? ここへ戻ってくる人がいるはずないわ。まさか、その怪物がこの島を離れて、人族狩りを始めると思ってるの?」
「そうじゃないけど、この島はきみが考えているようには壊滅しない、とおいらは思う」
グドンはホウカの背後に立つ男たちへ目を向けた。
「欲にかられた人は何でもする。この人たちだけじゃないよ。もっと始末が悪いのは、アサホのような支配者だよ。さすがにもう使役者を騙して餌にすることは出来ないだろうけど、そうなると今度は、もっと過激な手段を使う可能性がある。たとえば、誘拐してきた人族をそのまま餌として差し出すとかね。大量の薬草が手に入るとなれば、多くの者がそのことに目をつぶると思うよ」
「残念ながらグドンのいってることは正しい」
突然の声に、グドンとホウカが振り向くと、男たちを押しのけるようにリョクギダンが姿を現した。
「アサホは島を復活させる夢を捨てていない」
ホウカの目つきが厳しくなる。
「たとえそうだとしても、なぜ、グドンが人族のために命をかけなくてはいけないの? これは彼らの問題よ」
リョクギダンは片手をあげて彼女を制した。
「言っておくが、わたしはグドンが聖地へ入ることに賛成しているわけじゃない」
「え?」
ホウカは意外そうに彼を見た。
「賛成しない? それは、おいらに陰の怪物を殺されると困るから? だったら、あなたも、アサホと同罪じゃ…」
「違う」
グドンに皆まで言わせず、リョクギダンが否定する。
「きみに勝ち目があるとは思えないからだ。きみのいう陰の怪物とは女王蟻のことだが、現在の女王蟻は確かに弱っている。しかし、問題はその後だ」
「その後? 現在の女王蟻? それはどういうこと?」
グドンには、そのどれもが初めて聞く話だった。
「この島では今、島を支配している妖獣、つまり女王蟻の世代交代が起ころうとしているんだ」
「妖獣の世代交代…?」
リョクギダンは、驚くグドンとホウカにアサホから聞いたことをすべて話した。
それから、続けて、
「恐らく、グドンは弱った女王蟻だけでなく、次の若い女王蟻とも戦うことになると思う。若い女王蟻は全盛期とまではいかないだろうが、それでも、若く力に溢れているだろう。いってみれば、きみは奴の代わりに今の女王蟻を始末しに行くことになる。助っ人としてね。そして、戦いで傷ついたあと、さらに奴と戦うことになる」
強い緊張感でさらに顔を蒼くしたホウカがグドンの反応を窺う。
グドンはリョクギダンの話に驚く様子も見せず、
「あなたは、どうして、そんな話をおいらに聞かせるの? これはアサホに対する裏切りといってもいいと思うけど?」
「裏切り? どこがだ? アサホはきみが何をしようがもう興味はないよ。確かにきみを恨んでいるから、女王蟻に殺されればいい気味だと思うだろうが、それだけのことだ。きみがここで尻尾を巻いて退散しても大きな変化はない」
「彼女の関心は、世代交代が済んだあと、島をどう立て直し再び権力を握るかにあるから?」
とグドンが訊く。
「その通りだ」
「だから、彼女は島から逃げないで、ここに留まっているの?」
グドンの問いに、リョクギダンは無言で頷く。
「大事なのは、そこじゃなないでしょ?」
二人の会話に割って入ったホウカが強い声を出す。
「アサホのことなんてどうでもいいわ。この島の将来や人族の強欲にはかまわず、グドンは今すぐここを離れるべきよ。そうでしょ?」
「わたしもそれに賛成だ」
とリョクギダン。
グドンはしばらく沈吟したあと、ホウカの目をひたと見据えた。
「きみは、今後も多くの犠牲者が出るとわかっているのに、島から逃げ出すおいらが見たい? 本当に? 次からは、攫われたこどもが直接女王蟻の餌になるかもしれないよ。それなのに、それを無視して逃げたほうがいい? どうなの、ボウ」
ホウカがはっと息をのむのがわかった。




