95 煉薬
「おいら、その試験を受けてみたい」
グドンはせがんだ。
「駄目だといったろう」
「なぜ? やってみても損はないでしょ?」
「時間が勿体ないじゃないか。可能性のないことに時間をかけるのは阿呆だ」
グドンは声をあげて笑った。
「何が可笑しい?」
気分を害したように老人が眉を顰める。
「じゃ、試験じゃなくて、競争なら?」
「競争? 誰が何の競争をするんだ?」
老人は益々不愉快になった。
「あなたとおいらで、煉薬に使う薬草を選別する速度を競うというのは?」
「馬鹿々々しい」
いったん背を向けた老人は歩きかけ、突然、足を止めると、改めてグドンを振り向いた。その顔になぜか笑みが浮かんでいる。先ほどまでと違い、やや狡猾そうな笑みだ。
「何?」
「いいだろう。試験をしてやってもいい。だが、試験方法に絶対に不満をいうな。それでよければ、試してやる。どうだ?」
「いいよ」
グドンも笑顔になる。
「条件を聞いてから、やっぱりやめるというのは許さないぞ。いいか?」
「大丈夫」
「よし。じゃ、一緒に来なさい」
老人はそのままグドンを先導するように三階へ上がった。
三階は薬師の作業場のような造りになっていた。ただ、正式な煉薬場ではなく、何か研究開発途中の丹薬を試すときに使う、臨時の施設といった感じだ。
部屋の規模も小さく、煉薬のための鼎型をした丹炉も一つしかない。
入って左の壁は一面が小さな無数の抽斗で埋まっている。抽斗にはそれぞれ名札がついていて、一つ一つが違う薬草の保管箱になっていると思われた。
薬草はもちろん保存のための処置が施されているはずだ。
つい先ほどまで、誰かが炉を使っていたのか、室内は煉薬の匂いに満ちていた。
もちろん、作業していたのは目の前の老人に違いなかった。
「今から丹薬の名前をいうから、その煉薬に使う薬草を必要なだけ全部集めて持ってきなさい」
と、老人は壁の抽斗を指して言う。
「使う薬草が分からなければ、先ほどの書庫に戻って調べてから作業を始めること。いいかね? わたしもここで作業するから、その邪魔は絶対にするな。わたしが帰宅するまでに薬草を集められたら、合格ということにしよう。どうだ?」
「いいよ」
あまりにあっさりグドンが受け入れたので、老人はつまらなそうに口を窄めた。極端に面倒な作業を一杯押し付ければ、グドンは恐れをなしてすぐ逃げ出すだろうと揶揄い半分に提案したのだ。だが、そのあてが完全に外れてしまったようだ。
「本当にいいのか?」
「いいよ。でも、あなたのいう丹薬じゃつまらないから、別のにしたい」
「別の? どんな丹薬だ?」
老人は怪しむように訊く。
薬草を二三種しか使わない丹薬を選んでズルをしようとしているな、と考えたようだ。
「書庫で見た神経を修復する丹薬というのは、どう?」
「何だと! あれは出鱈目だといったはずだろう?」
とたんに老人は怒鳴りだす。
「ここにない薬草をどうやって集める?」
「え? 大半の薬草はあるはずでしょ? 嘘だと思うなら、書庫へ戻って調べてきたら?」
老人はうっと言葉に詰まってグドンを睨んだ。それはさっきわたしがいった台詞じゃないか!
まんまと主導権をグドンに握られ、老人は苦虫を噛み潰した顔になる。
「あの丹薬に必要な薬草なら全部覚えている」
グドンを睨んだまま、老人が言った。
「だが、何種類かはこの世に存在しない薬草だ。それをどうやって持ってくる?」
「別の薬草で代用できるよ。それに、代わりの薬草のことはしばらく脇へ置くしても、それ以外の薬草で十分試験の役目は果たせると思うよ。違う?」
老人は唸ったが、グドンの言うことを認めないわけにはいかなかった。代用薬を別にしても、十種近い薬草が必要になる。
「いいだろう。じゃ、作業に取り掛かりなさい。わたしが帰宅するまでだ。いいね?」
再度グドンに念を押し、老人は自分の仕事へ戻って言った。
グドンは早速作業を開始する。
老人はと言えば、グドンの動きが気になって仕事どころではなくなっていた。グドンが涼しい顔で薬草の抽斗を確認していると、益々不安が募ってくる。このこどもに薬草を集める力があるとは思えない。それに、集められたとして何だ? 自分には何の損害もないじゃないか? それなのに、不安になるのはなぜだろう?
カタリと音がして振り向くと、グドンが引き出しの一つを閉めたところだった。
あれは、ヌラタキボウの抽斗ではなかったか?
確か、グドンが集めるべき薬草には、ヌラタキボウも含まれていたはず…。
だが、あの少年はどうして、こうも早くヌラタキボウの抽斗が見つけられたのか?
それぞれの抽斗には確かに、薬草の名札が貼られている。
とはいえ、ヌラタキボウとフルネームで書かれているわけではない。タキボウ科、タキボウ科のように、科目名しか書かれていない。あとは自身でどれがヌラタキボウか判別しなければならない。
こうなっているのは、薬草の種類に対し抽斗の数がどうしても十分でないからだった。ごく稀だが、二種類の薬草が一つの抽斗に収納されていることさえある。もし、少年の選択に間違いがなければ、数あるタキボウ科の薬草の中から、正確にヌラタキボウを選別したことになる。だが、そんなことがありえるだろうか? この半妖は薬草の基礎さえ満足に学んでいないはずなのだ。
老人の疑念にもかかわらず、グドンはあっという間に、必要な薬草を集め笑顔で彼のところへ戻ってきた。
「これで、大丈夫だと思うけど」
「え! もう終わったのか?」
驚きに瞠目する老人の前で、グドンは、集めてきた薬草を作業台の上に並べた。
その薬草を目にした老人は、あ!と声を上げたまま身動きができなくなった。書籍に紹介されていた薬草のほとんどがその中に含まれていたからだ。
もちろん、ヌラタキボウも含まれている。
紹介になかったヨウベノホボツとヨウフも含まれているが、それはきっと、現存しない薬草を代用するためのものだろう。
もし、神経を修復する丹薬が本当につくれるなら、これは世紀の大発見ということになる。
並べられた薬草の何本かを品定めする老人の手が思わず震えた。
「きみは、煉薬の経験はあるか?」
老人はこの丹薬を煉薬したいという欲求を抑えることができなかった。
グドンが首を振ると、
「じゃあ、わたしが代わって試してもかまわないね?」
と決めつけるようにいう。
「もちろんいいけど、あの書籍の丹薬は出鱈目じゃなかったの? 何かあっても、おいらは責任をとらないよ」
これは彼の本心だった。グドンの持っている情報に、書籍にあった丹薬は存在しない。本当に嘘八百である可能性もあった。
だが、老人はもうグドンの返事など聞いていなかった。脱兎のごとく部屋を飛び出すと、階段を駆け下りていく。
どうやら、煉薬法や服用の仕方を確認するため例の書物を取りに行ったようだ。
案の定、しばらくすると、老人は奇薬百選と書かれた本を手に駆け戻ってきた。
とても老人とは思えない身のこなしの速さだ。
老人は書籍の記述を確認すると、丹炉の準備を開始した。
「おいら、ここで見ててもいい?」
老人は思わず駄目だ、と怒鳴りかけた。素人が見学したところで無駄なだけでなく、薬師の気が散って煉薬の邪魔になる。煉薬には何より精神の集中が必要なのだ。
だが、結局は思い直し、
「かまわないが、絶対にわたしの邪魔をするな。話しかけてもいかん」
とだけ注意した。
代用するヨウベノホボツとヨウフも含め、薬草を揃えたのはグドンだ。この少年がいなければ、この丹薬を試作してみようとも思わなかったに違いない。
準備が整うと、老人は丹炉に火を入れた。
書物には、煉薬の際の火加減も克明に記されている。
ほんの少しの不注意が煉薬の失敗に繋がる。まだ作業を開始したばかりだというのに、老人の額には汗が滲み始めていた。




