92 二つの可能性
トクサワと別れたあと、グドンはすぐリンタロウに会いに行った。
リンタロウも彼が訪ねてくることを期待していたのか、宿舎の部屋を離れず待っていた。
扉をノックしたグドンを出迎えたのはコンだ。
彼女は目に見えて顔の血色がよくなり、グドンを部屋へ迎え入れたあとも、リンタロウの寝台に腰をかけ、ずっと足をぶらぶらさせていた。
今は、余った元気を若い体が持てあましているようだった。
そのこどもらしい姿に、グドンは本当に微笑ましい気持ちになった。何かから自分を守るようにじっと身動きしなかった以前の彼女を思い出し、少し感傷的になったりもした。
「妹さんの薬は届けてもらった? トクサワは約束を守ってる?」
グドンの問いに、二人はそろって笑顔になり、改めて彼に礼を言った。
「本当にあるところにはあるもんさ。一生かけて働かないと手に入らないと思っていたものが、まさに右から左だからな」
リンタロウは感慨深げにいって、妹に向かい親指を立てて見せた。
「それ、何の合図?」
彼女は兄を馬鹿にしたように言うと、
「病気が治るまでに必要な薬は十分に手に入ったわ。これでお兄ちゃんにも、グドン兄さんにも、迷惑をかけないで済むと思う」
「ほらな」
とリンタロウが冷やかす。
「兄思いで泣かせるだろ? でも、もう何年かしたら、おれのことなんか知らん顔になるよ、きっと」
「心の中では今でもそうよ」
彼女がすまし顔でいうと、グドンとリンタロウは声をあげて笑った。
「冗談はともかく、七号薬草地では大変だったようだな」
真顔に戻ったリンタロウがグドンの苦労を労った。
「それこそ、グドン兄さんには感謝しないとね。もしお兄ちゃんがいい気になって乗り込んで行っていたら、今はもうここにいないはずだから」
リンタロウも重々しく頷く。
「そのことを話そうと思ってやってきた」
とグドン。
「きみとコンは今すぐここを離れるべきだ」
「そんなに危険が迫ってるのか?」
リンタロウが緊張に顔を引き締める。
グドンはもう一度、七号薬草地での経験を詳細に話し、次に聖地へ入るときには、黒幕を殺す計画であることも告げた。
実際に、グドンから七号薬草地の様子を聞いた二人は顔を青くした。
「それに、ここに残っていたところで危険なだけで、もう薬草は手に入らない。七号薬草地もそうだけど、ほかの場所でも薬草の幻覚は消えているはずだから。聖地だけは例外かもしれないけど、あそこに入るのは、死にに行くのと同じだ」
リンタロウとコンはそれでも何やら考え込む表情になった。
「もし契約に拘束されているのなら…」
彼らの心配の原因を察して、トクサワに頼めないか試してみようとグドンが提案しようとすると、
「それはもう解除されたんだ。おれたちはいつでも好きなときに島を離れられる」
と、リンタロウが答えた。
「契約が解除された?」
「うん。トクサワがやってくれた。おれと島の間にはもう何の契約関係もない」
「そう…」
契約が解除されたのは、トクサワがグドンと会う前だろうから、自主的にリンタロウを助けてくれたようだ。グドンとの関係を考えてのことかもしれないが、今はトクサワに感謝すべきだと感じた。
「だけど、それなら、渡りに船じゃないか。障害がないなら、すぐに島を出たほうがいい」
「わたしたちはいいけど、ほかの人たちはどうするの? 皆を置き去りにしたまま、自分だけここを離れるのは気が引けるわ」
とコン。
彼らが気にしているのは、このことかとグドンは気づいた。
「今はもう、島民がここを離れることをたぶん誰も邪魔しない。トクサワのことがなくても、きみたちの契約は解除されたはずだよ。これからは、島主や、管理する側の人間も逃げ出そうとするはずだから」
「だけど、逃げることを躊躇っている者たちがまだ大ぜいいる」
リンタロウが暗い顔のまま言う。
「うん。でも、逃げるかどうかは、結局、彼ら次第だよ。いくらそのことで他人が気を揉んでも、向こうに逃げる気がないなら、どうしようもない」
「少なくとも、島を離れるように皆を説得しないと」
と、コンが尚もいう。
説得して効果があるだろうか、とグドンは疑問に思った。
七号薬草地へ入る際、彼が再三思いとどまるよう説得したにも関わらず、多くの者が聞く耳を持たなかった。結果として、入口を入ったのは三人だけだったが、それは目の前で仲間が死ぬのを見たからだ。
言葉というのはそれほど強い力を持たない。厳しい現実を目の当たりにして初めて自分の愚かさに気づくのだ。
「説得するのはいいけど、耳を貸さない人がきっと大ぜいいる」
とグドンは言った。
「おいらは、土下座してまでその人たちにここを出るよう頼む気はない。この手で引導を渡す気はないけど、どうするかを決めるのは結局彼ら自身だ」
冷たいグドンの物言いに、つと胸を突かれた様子で、リンタロウとコンは顔を見合わせた。グドンの意外な一面を見た気がしたのだ。
グドンは優しく微笑んだ。
「おいらはこどものころ、浮浪者として路上生活をしていた。だから、ひとの汚れた面も、残酷な面もいっぱい見てる。財産のために命を落とす人がいたとして、その全員に同情したりしない」
リンタロウは自分のことをいわれた気がして視線を伏せた。妹コンのためだったとはいえ、自分も金のために何度も危険を冒してきた。
グドンも彼のそんな思いを察したようだ。
「リンタロウは、七号薬草地へも行かなかったじゃないか。おいらがいうのはそういうこと。彼らときみは同じじゃないよ」
溜息交じりに頷くリンタロウを見て、グドンは、
「きみたちが説得したいというのを止める気はないよ。そのときは、陰に隠れている奴のことを話すといい。奴はどんどん危険な状態になっている。これまではわずかの餌で満足していたようだけど、今ではまるで歯止めがきかなくなってる」
「それはなぜだと思う?」
とコンが訊く。
「可能性は二つあると思う」
とグドン。
「一つは陰の黒幕が弱っているか、死にかかっている場合だよ。何とか命を長らえようと、必死で栄養を求めている。薬草地が枯渇し始めているのも、奴がそれにかまう余力がないからだ」
「それなら、皆が島から離れて餌がなくなれば、奴は自然に死んでしまうな」
リンタロウの顔が少しだけ明るくなった。
「じゃ、もう一つの可能性は?」
とコン。
「陰の奴が脱皮しかかっている場合だ」
「脱皮?」
二人が驚いて声をそろえた。
「脱皮というのはたとえで、成長過程で大きく変化しようとしているという意味だよ。青虫から蝶に変わるといえばわかりやすいかも。そのための沢山のエネルギーを必要としている」
「じゃ、もっと凄くなるわけだな。それなら、大変なことになるかもな。脱皮したあと、グドンはどうなると思う?」
「わからない」
と、グドンは正直に首を振った。
「でも、将来のことを心配しても仕方ない。今、きみたちにできるのは、一刻も早くここから逃げ出して身を守ることだよ」
グドンはさら何かいおうとして言い淀んだ。
「何?」
とリンタロウ。
「出来れば、今の話をホウカにも伝えてほしい。なぜか、最近避けられているみたいだから。できれば、きみらと一緒にここを離れるよう説得してくれると助かる」
グドンの頼みに、リンタロウがなぜか気まずそうな顔つきになった。
「何? お兄ちゃん」
それに気づいたコンがすかさず、リンタロウに問いただす。
「何か隠してるでしょ? そういう顔をするのは、何かヘマをしたときよ」
リンタロウは思わず苦笑した。
「人聞きの悪いことをいうなよ。でも、グドン、おれはひとつきみに話さないといけないことがあるかも」




