91 トクサワの訪問
グドンたちが七号薬草地から戻った、そうした情報に、いっとき島民たちは興奮し色めき立った。だが、薬草地に入った者たちの収穫がゼロで、しかも、その内の何人かが命を落としたとわかると、興奮はやがて失望へ、それから絶望へと変化した。
半妖のグドンでさえ何も持ち帰ることができず、仲間を守ることもできなかった。この事実は、彼らにとって大きな衝撃であり、心理的に強い痛手となった。
ある者はすぐに島を離れようと準備を始め、船の切符を手配した。
この期に及んで、契約期間がどうのといっている場合ではなかった。今後、薬草地へ向かうことは自殺を意味する。薬草摘みは一切不可能となった。誰もがそのことを理解した。
何の利益も望めないのに、誰があえて命を落とす危険を冒すだろう? 契約違反で財産を没収するというならすればよい。何事も命あっての物種だ。
だが、実際には、契約違反で使役者を拘束するどころか、管理する側にさえ、そんな余裕のある者はいなかった。誰もが大慌てで島を離れる準備にとりかかっていたからだ。
この島にはもう希望も未来もない。それが彼らの一致した意見だった。
それでも、薬師協会のトクサワがグドンに会いにきた。
島を立て直せるか確認するためではなく、島にまだ持ち出せる薬草があるかどうかを確認するためだ。グドンとの約束だった妖獣の一件を尋ねる目的もあった。
「奴らの我慢の限界を探る試みは、失敗したと考えていいのかね?」
グドンと顔を合わせたトクサワの第一声がそれだった。
グドンも余計なはぐらかしはせず、薬草地で起こったことを彼に詳しく話して聞かせた。薬草地そのものが幻覚だったことや、トクサワが想像していたように薬草は人族を誘き寄せるたの餌に過ぎなかったことなどだ。
そのあとで、
「彼らの我慢の限界は、きっと、薬草地が幻覚だと知られる危険性の有無にあったんだと思う。だから、幻覚に気づきそうな者がいると、そこから気を逸らそうとした。薬草を根こそぎにされることを恐れたわけじゃなかったんだ。元々すべて幻覚だったんだからね。だけど、彼らにはもう。その幻覚を維持する能力がなくなり始めている。実際、小犬の妖獣も現れなかったし。ひょっとしたら、小犬の幻覚を見せるには、強い幻覚能力が必要なのかもしれない」
トクサワはうーんと一頻り唸ったあと、
「だが、きみの話だと、薬草地は別にあって、大蟻が運んでくるんだろう? それなら、そこへ直接行って収穫する手はあるんじゃないかね? 蟻たちが弱っているのなら、我々には、それがチャンスともいえる」
トクサワが尚も食い下がると、グドンは彼の強欲さに驚いた様子もなく、
「もちろん、それはあると思うよ。でも、本物の薬草地がどこにあるのかわからないし、今、どうしてこうした状況が起こっているのかもわからない。あなたには、もうそれを調べている時間はないと思うけど、違う?」
トクサワは初めて本心から渋い顔になった。
グドンはそれを見て微笑む。
「何でも諦めが肝心という言葉があるでしょ? 今がそのときじゃないの?」
いくらトクサワでも、これで納得し諦めて帰るのではないか、そう期待したグドンの思いに反し、三重顎は再度彼の目をじっとのぞき込むようにした。
「おいらの顔に何かついてる?」
「いや。しかし、もう一縷の望みも残っていない状況なのに、きみはすぐここを離れるつもりがないようだね? それはなぜだろう?」
グドンはあははと声をあげて笑った。
トクサワは、グドンがこっそり自分だけおいしい思いをするつもりなのではないか、と疑っているのだ。
「何だね?」
トクサワが不満そうに訊く。
「強欲もそこまでいけばたいしたものだと思って。おいらに何か期待しても、もう何も手に入らないよ。それどころか、あなた方には余り時間が残されていない」
「どういう意味だね?」
「今回のことで、今後、薬草地へ入る使役者はいなくなるはずだよね? そうなれば、向こうは二度と大事な餌を手に出来なくなる。それを彼らが黙って見てるだろうか? 普通に考えれば、なりふりかまわずもっと攻撃的な手段に打って出るんじゃない? そのときは、餌の対象は使役者じゃなくて、あなたかもしれないよ。トクサワさんは太っていておいしそうだしね。おいらなら、すぐに荷物を纏めて逃げ出すけど、どう思う?」
トクサワが苦虫を噛み潰した顔になると、グドンはさらに続けて、
「おいらに、今すぐこの島から離れるつもりがない、というあなたの読みは正しいよ。でも、あなたが期待していることとは全然違う。おいらは、陰に隠れているのが誰だろうと、それを探す出して殺すつもりなんだよ」
「陰に隠れている奴を殺す?」
さすがにトクサワの顔が蒼ざめた。グドンが何を引き起こそうとしているか、彼にもようやくわかったようだ。
「そう。そうなれば、奴も必死だよね。もう、この島の存続自体、かまっていられないかもしれない。まさに死ぬか生きるかの死闘だから。もし、あなたが、聖地や薬草地へ近づかなければ安全だと考えているとしたら、おいらは少しがっかりだけど」
突然、トクサワが椅子から立ち上がった。
「帰るの?」
一瞬、返事もせず踝を返そうとしたトクサワだったが、思い直したようにグドンへ向き直った。
「わたしや薬師協会はごく近いうちにここを離れるつもりだ。もし、きみにその気があるのなら一緒に来ないか? わたしたちはこれからもよい付き合いができると思う。どうだろう? もちろん、陰の奴を殺すなんて計画はやめるんだ。この島から、人族が誰もいなくなればそれで十分だろう?」
グドンは束の間考える目になったが、結局首を振った。
「なぜだかわからないけど、それじゃ終わらない気がするんだ」
溜息をついたトクサワは、グドンに向け手を差し出した。
グドンはその手を握り返し、
「出来る限り、大勢連れてここから逃げてくれると助かるよ。無理かもしれないけど、力のない人がいたら助けてあげて」
頷くと、トクサワは黙って部屋を出ていった。
三重顎もあながち悪いだけの男じゃなかったのかもしれない…。
初めてトクサワを少し見直す気持ちになり、グドンは内心そう呟いた。
グドンは聖地へ入る予定日をひと月後と決めた。
島の危機が差し迫っているとは思ったものの、それ以上に島民が島を離れる時間を確保したかった。
もちろん、状況は常に変化する可能性がある。とりわけ、幻覚の件をグドンに暴かれたことで、黒幕がどれほど攻撃的になるかわからなかった。それゆえ、油断はできないが、契約の問題を島主と話し合い、島民が財産を持って逃げるだけの時間的猶予を、出来るかぎり確保したいとグドンは考えていた。
グドンは一人でも多くの島民が逃げてくれることを願った。




