9 住民の変化
一晩中牢獄にいたにもかかわらず、町なかの空気が一変したのをグドンは感じた。
翌朝、牢獄内でもその影響が様々な形で表れた。
まず、朝一番で牢内の様子を見回りに来た看守の様子があまりにも奇妙だった。グドンに対する態度が、なんともそわそわして落ち着かず、不可解な同情の視線を何度も彼へ向けたと思うと、去る際には入口の扉を施錠せずに行ってしまった。
鍵をかけるのを忘れた?
当初、本当にそんなことが起きたとは信じられず、これはホウカの差し金で、彼をここから逃がすための策略か何かかと疑った。だが、その後すぐに施錠のために戻ってきたことから、ただの閉め忘れだとわかった。
さらに、朝食を運んできたホウカの様子が彼の疑念を深くした。
いっさいグドンと視線を合わせようとせず、何を訊いても上の空で、逃げるように牢内から出ていこうとしたのだ。
「それは何かの仄めかし? それとも、単なる嫌がらせ?」
グドンの皮肉にも、いったんは無視して出ていこうとした彼女も、結局、思い直したように戻ってきた。
その後も散々逡巡したのち、ようやく昨夜コウギシの身に起こったことを打ち明けた。
コウギシが、グドンと親しい関係にあり、実力者としては唯一のグドンの味方であることを、ホウカも知っている。それだけに、昨夜の犯行を話すべきか否か迷ったようだ。だが、隠したところでいずれは知れてしまうと観念したわけだ。
グドンは、昨夜、町の雰囲気ががらりと変わった理由がわかった気がした。
副城主であるコウギシが襲われたのだ。それも、犯人を捕まえるどころか、逆に大怪我をさせられる羽目になった。住民たちの緊張のレベルが、これまでと比べ、一段上がったとしても不思議ではなかった。
グドンは、このことが自分にはどう影響するだろう? と冷静に考えた。
コウギシに起きたことは確かに悲劇的だが、自分と彼女の関係は、ホウカが誤解しているほど親密なものではなかった。確かに、彼女がいつもグドンを守ろうとしてくれたのは事実だが、それはグドンが可愛いからではなく、どちらかといえば、敬愛するセイイツの力になりたいと思ってのことだった。そのことはグドンもコウギシもよく理解している。
そうした事情もあり、グドンは現状を冷静に分析できた。
コウギシが襲われたことは、自分にとって一つの契機となるかもしれない、グドンにはそんな予感がした。もう少し具体的にいえば、今回の件が転機となり、牢獄に軟禁されたままの状況から解放されるかもしれない、と。
そうした予感をグドンは遠まわしにホウカへぶつけた。
「彼女の怪我の具合はどうなの?」
ホウカが小さく首を振る。
「まだ生死の境目を彷徨っている状況よ。たとえ助かったとしても、完全な回復は難しいだろうと父はいっている」
ホウカの父ムダイは、この町唯一の治療師だ。地位が城内一なのも、そのことが大きく影響している。ある意味、住民たちの健康はムダイが握っているといってもよかった。その唯一の治療師がお手上げ状態ということは、傷の具合がかなり深刻ということだろう。
「おいら、コウギシのお見舞いに行きたいけど、それは構わないよね?」
ホウカはとたんに困った顔になる。
「それは今すぐにという意味?」
「もちろん。彼女はおいらの親代わりだったし、見舞いをするのは当然でしょ? それとも、ムダイが反対する?」
「反対はしないと思うけど…」
彼女の返事は何とも歯切れが悪かった。とにかく、自分を自由の身にしたくないのだろう、とグドンは感じた。だが、それは顔には出さず、
「そうだと思った。コウギシが襲われたことで、事情が大きく変化してくるだろうしね」
「事情が大きく変化する?」
意味がわからず、ホウカは訝る表情になる。
「そう。ムダイは何か話してなかった? 町の雰囲気も昨日までとは全然違うでしょ? それは、ここで耳を澄ませるだけでもわかるよ」
ホウカが眉根に皴を寄せ、
「何の話をしているの?」
「ほら、昨日まで聞こえていた怒号が聞こえないでしょ? もう、おいらのことなんて誰も気にしていないみたいだ」
グドンが笑うと、とたんにホウカは警戒する目になった。
「わたしには違いなんてわからないけど? もう行くわ。こんなところで、無駄話ばかりしてたら、父にも怒られるし」
と入口の扉へ向かおうとする。
「ムダイは、おいらがここを離れることをもう許したんじゃないの?」
グドンは彼女の背中へ声をかけた。ホウカはびくりと背筋を震わせ足を止めたが、振り向こうとはしない。
「おいらが不思議なのは、なぜ、コウギシが襲われたかだよ。たぶん、皆がそう感じたと思う。彼女は戦う力が強いし、ことさら敵を作るタイプでもない。その上、いつもおいらを庇ってくれていた。それなのに、なぜ、襲われたんだろう?」
やっとホウカは彼に向き直った。
「何が言いたいの?」
「襲われる対象として、コウギシは一番相応しくない住民だと思わない? もし仮に、おいらやおいらの関係者が住民殺しの犯人とするなら」
ホウカは何も言わずじっと彼を凝視する。
「でも、彼女は襲われた。皮肉だよね。こんなことで町の雰囲気が変わるなんて。前回の犯行が行われたときは、おいらは牢獄の中にいた。それなのに疑っておいて、コウギシが襲われたとたん、疑いが晴れて無罪放免なんだから。いったい皆の頭の中はどうなってるんだろう?」
今朝、看守が扉の鍵を閉め忘れたのも、そのあたりが影響しているのかもしれない、とグドンは考えていた。ほんの少し残っていたグドンに対する疑いが心の中から消えたのだ。ひょっとすると、ムダイから釈放してもいいと指示が出ていた可能性もある。それをホウカが止めたのだろうか?
「正直いって、住民の大半はおいらが犯人じゃないと元々わかっていたんだよ。でも、おいらを叩くことで憂さを晴らしてた。でも、もうそんなことしてる場合じゃない。副城主が襲われたんだから。今は窓という窓に鍵をかけて、家に閉じこもるときだよ。違う?」
「あなたの言いたいことはよくわかったわ」
ホウカが静かに言う。
「でも、今はまだ駄目。出すわけにいかない」
「それはきみが決めること? それとも、まだおいらのことを疑っている住民がいるの? だいたい、ここにいるのは保護が目的で、監禁じゃないと思ってたけど」
彼女の心を見透かしたようにグドンが笑った。
「笑えばいいわ。でも。ここから出るのは認めない。ここを出て、うちへ来るというなら話は別だけど」
やっと理解できたというように、グドンが頷く。
「ムダイがそれを望んでるから? でも、彼がおいらにそこまで拘るのはなぜだろう? コウギシのように大事に思ってくれているわけでもないのに。何か魂胆があるの? ここを出たら、そのことを皆に訊いて回らないとね」
ホウカの顔が強張った。
ムダイとホウカの父娘はどこか信用できないところがある、とグドンは思っていた。ムダイが彼を自宅に引き取りたがるのも、彼に対する愛情といった単純なものではなく、裏があるに違いない。恐らくそのことは、娘のホウカも感じているはずだ。だから、ムダイの思惑を住民の前で根掘り葉掘りされることは、父娘にとって決してプラスにはならない、とわかるだろう。
二人は無言で睨みあった。
先に目を逸らせたのはホウカのほうだ。
「わかったわ。父に話してみる。でも、ここを出るのは早くても夕方以降よ。渉不城を出ようとする人の数がどんどん増えてるの。あなたが彼らに見つかると、また面倒なことになりかねない」
これには、グドンも頷くしかなかった。




