8 おいらは勾玉?
「我々と一緒に船に乗ってほしいんです。坊ちゃん」
と、年配者が言った。坊ちゃんとはもちろんグドンのことだ。この町に来て以来、グドンは何人もの年配者からそう呼ばれた。彼らにとってグドンの父親は、やはり特別な存在であり、自分たちの主人なのだ。
「一緒に船に乗る?」
グドンの眉間の皴が深くなる。男たちの来訪の目的がいまだに理解出来なかった。
誰か、おいらにも理解できるように説明してよ。そう叫びたくて仕方ない。まるで自分だけが事情を理解できない愚か者になった気分だった。
「それは、おいらに人質になれとかそういう意味?」
「この人たちは、あなたを勾玉の代わりにしたいのよ」
年配者に代わり、ホウカが溜息交じりに答えた。
「勾玉の代わり?」
もう何年もこの町で暮らしているのに、自分にはまだ知らないことが一杯あるようだ、とグドンは感じた。いや、知らないというより正確に把握できていないというべきか。
「命を落とすことなく湖を渡るためには、許可証代わりの勾玉が必要なの」
事情を知らないグドンを馬鹿にするように、ホウカがゆっくり説明した。
「それは知ってるよ」
さすがにグドンもむくれた顔で言い返す。勾玉が必要なのは知っているが、なぜ、自分がその代わりになるのか?
湖の“呪い”に関していえば、作務衣の男同様、グドンも信じていなかった。セイイツが湖を造ったという話自体が眉唾もので、おそらくは、渇水で盆地と向こう岸が陸続きにあったものが、その後の大雨で切り離されたというのが話の落ちだろう、と考えていた。
「だけど、勾玉の代わりにおいらが船に乗っても、御利益があるとは思えないよね?」
ようやくホウカの言う意味がわかったものの、グドンは苦笑せざるを得なかった。
「いいや、坊ちゃんが一緒にいれば、船は沈むはずがないと、わたしたちは信じている」
年配者の一人がきっぱりと断言した。
「あの方が、息子さんを危険な目に合わせるはずがないもの」
年かさの女性もそれに口調を合わせる。
グドンは返す言葉を失った。
え? 本当においらは勾玉の代わり?
盲目的な信者に、いったい何といえば現実を理解させることができるのか?
明日、天が落ちてくると信じている者に対して、いくらそれが不合理かを説いたところで、何の役にも立たない。
「悪いけど、断るよ」
グドンは正直に言った。
「呪いの話は信じられないし、仮にもし話が本当なら、おいらはまだ死にたくない。一緒に乗ったところで船が沈まないとは思えないからね」
初めて仲間が欲しくなって、グドンはホウカに視線を向けたが、信じられないことに、彼女はどちらの意見に同調するべきか迷う様子を見せていた。
思わずグドンの目が点になる。
嘘だよね? きみまで年寄りの御伽噺を信じてるの?
「おまえが信じるかどうかは、どうでもいいんだ」
作務衣の男が結論を下すように言った。
「否が応でも一緒に来てもらう。逆らうなら痛い思いをさせることになる」
何人かがグドンの前に進み出た。力づくでも彼をここから連れ出す気だ。
「愚かなことをするな!」
大声をあげたのは年配者の一人だった。
「この子に暴力をふるうというなら、わしは船には乗らない。今まで通りここで暮らす」
「わたしも計画から降ろしてもらうわ。こんなやり方、元々の約束と違うじゃないの」
すぐに同調する者が現れ、あちこちからグドンの連行に賛同するもの、反対するものそれぞれの声が上がって、口論が始まった。
「わたしはもうこんな呪われた町にいるのは嫌なのよ!」
女の一人が金切声をあげると、事態は益々収拾のつかない状態となった。
やっと我に返ったホウカが、グドンと男たちの間に割り込んで立つ。
「絶対に連れて行かせないわ。あなた方は副城主に拘束されることになる」
「俺たちとやりあう気か?」
作務衣の男が凄んだ。
「もちろん!」
グドンを除いて、この町の住民は皆、戦うすべを学んでいる。もちろんホウカもその一人で、強くはないが妖族の力もあった。
「お嬢さんに怪我をさせたくないんだよ」
誰かが焦れたように言った。
一触即発の雰囲気の中、作務衣の男が改めてグドンに目を向ける。
「化け物の息子だろう。女の子の後ろに隠れて恥ずかしくないのか?」
その挑発には乗らず、グドンは寝台にかけたまま相手を侮蔑するように笑った。
女の子の後ろに隠れる? 抵抗する力さえ与えないよう監視管理してきたのは誰だ?
「その意気地のない小僧に、頼みごとをしてるのは誰なのかな? それも呪いが怖いから?」
グドンがさらに蔑みの口調を強めると、作務衣の顔が初めて本物の怒気に赤く染まった。
「頼みごとと命令の違いもわからないのか?」
男がホウカを突きのけ腕を振り上げようとする。
どこからか、女性の悲鳴が上がったとき、別の誰かの手が作務衣の腕を掴んだ。
「邪魔をする…」
言いかけた声が途中でぷつんと途切れた。
誰一人気付かないうちに、若い男女三人が作務衣の傍らに立っていた。
彼らはそれぞれアンカイ(暗介)、ヤセイ(夜青)コタンフ(虎肝夫)といい、ムダイ、コウギシ、ジャキュウの配下で、次の世代、町の中心になると思われている若者たちだった。
三人の中で、アンカイはホウカが思いを寄せている相手でもある。眉が太く男前で、普段は非常に口数が少なく寡黙だが、怒らせると怖いタイプの男だ。
「へへ。このまま黙って出ていけば、何もなかったことにしてやってもいいよ」
にやにやしながらコタンフが言う。アンカイとは真逆にヘラヘラ笑いが顔に張り付いた風情の青年だ。
さらに、ショートボブヘアの娘ヤセイが口を窄めてふっと息を吐くと、男たちの目が虚ろに淀んで光を失った。とりわけ作務衣の男は体のバランスを崩し、その場に倒れそうになるのを、仲間に支えられてやっと堪えた。
「それくらいでやめておけ」
アンカイが指示を出す。
室内は静寂に包まれ、一挙に形勢が逆転した。
侵入者たちの顔には恐怖の色が浮かんでいる。先ほどまでの威勢の良さが嘘のように影を潜めていた。
安堵した様子で、ホウカがアンカイに笑顔を向ける。
それとは対照的に、グドンの表情は冴えなかった。自分の許嫁が別の男に媚を売ったと嫉妬したからではない。突然、アンカイたち三人が現れたのは偶然ではない、と感じたからだ。
この三人はずっとどこかでおいらを見張っていたに違いない。住民殺しの犯人と彼を疑っていたにせよ、安全を守るためだったにせよ、相変わらず監視されたままなのだ。グドンの自由など、欠片も存在していない。
「すぐに、全員出て行ってくれるとありがたいな」
グドンはあえて冷たい声を出した。
「せっかくの食べ物が、埃と誰かさんたちの唾で食べられなくなっちゃったよ。新しいものを用意するよう誰か頼んでくれると助かるよ」
その視線は、押し入った男女だけでなく、アンカイやヤセイたち三人、さらにホウカにも向けられていた。
すかさずホウカが厳しい視線で彼を睨みつける。
「助けてもらっておいて、お礼もいわずに失礼でしょ?」
失礼? 誰に対して?
グドンは苦笑するしかなかった。やはり男として少しは嫉妬すべきだろうか? 大事なのはアンカイだけで、おいらの気持ちなんて無視なの?
アンカイがホウカを制し、ほかの者たちに部屋から出ていくように無言で促した。
侵入者の中には、それでも反論しかけた者もいたが、結局はアンカイたちの圧力に屈する結果になった。まさにこの世はすべて“力”に支配されている。
最後にはホウカだけが残ったが、グドンが無視したまま食事を始めたのを見て、失望したように首を振りつつ部屋を出ていった。
現実に失望しているのは、おいらのほうだよ。
牢獄の中で一人きりに戻ると、グドンは箸を投げ出し、食事の手を止めた。何かを食べ続ける気持ちは完全に萎えていた。
とりあえずは、ホウカの家に移ることも、男たちと一緒に船に乗ることもしないですみそうだった。だが、といって、事態が多少なりともいい方向へ進んだわけではない。住民殺しのことはともかく、これから自分はどうすべきか、真剣に考える必要があった。
牢獄も必ずしも安全とはいえなくなった。だとすれば、どこへ行けばいい?
本当にムダイの世話になるのか? もちろん、考えたところで彼に決定権などないのはわかっていた。それでも自分はどうしたいのか決めておかなくてはならない。
元々住んでいた自分の小屋に戻ることが得策とは思えなかった。戻ったとしても、牢獄より住み心地がよくなるとも思えない。
といって、男たちと船に乗る選択肢はありえないだろう。仮に船に乗ったとして、それから先は? 町を出たあと、あの男たちがグドンを仲間として受け入てくれるとも思えなかった。
それでもなぜか、この町から出ていくという選択肢が、彼の中で少しだけ大きくなった気がした。
正直、出ていこうと考えたことは今までにもあった。しかし、それを周囲が許してくれるとは思えなかったし、一人で生きていくにはグドンは余りにも幼すぎた。
路上生活をしたことのある彼には、世の中の厳しさが誰よりもわかっていた。やる気や努力でどうかなるほど甘くはない。
しかし今ならどうだろう? 最初から無視してかかる選択肢だろうか?
それに、グドンを厄介者として排斥したい空気が高まっている今なら、町の者たちも反対しないかもしれなかった。
グドンの町での立場は複雑で、自分がなぜここにいるのか不思議に思うことも多かった。町の者たち全員が自分を受け入れることに賛成しているとは思えない。それなのに、なぜか追い出されもしない。自分を怖れ、生活に様々な制限をかけておきながら、どこかで大事なわが子のようにも扱う。そうした複雑かつ微妙だった立場が、今回の一件でさらに複雑になった気がした。
それならば、そうした変化を利用できないか?
作務衣の男たちと一緒にではなく、自分一人でこの町を離れるのだ。
だが、待てよ、とグドンは自分に冷静になるよう言い聞かせた。
おいらは本当にこの町を離れたいと思っているのだろうか? 自由がないといっても基本的に衣食住に困ることはない。自由のためにそれを捨てる価値があるか? また、ひとりで生きていくとして、今の自分にそんな能力があるだろうか?
この町の住民たちの言うことが本当なら、湖を渡ることさえ困難かもしれない、と覚悟しておく必要もあった。
グドンは長々と息を吐いて再び寝台に横になった。
このまま牢獄生活を続けることが最良の選択肢とは、余りにも情けない気がした。
こんな生活が一体いつまで続くのか、何とかして現状を打破しなければ…。
しかし、こうしたグドンの心の葛藤は、結果として徒労に終わることになった。
その夜、新たな住民殺しが起こったからだ。
正確に言えば、今回の犯行は未遂に終わった。あわやのところで見回りの住民たちが犯行に気付き、犯人はとどめを刺すことなく逃げ出すことになった。
それでも被害者は重傷を負った。体の何か所かを骨折し、脳を損傷したらしく意識不明の状態だった。
だが、死人が出なかったにもかかわらず、今回の犯行はこれまで以上に住民たちに強い衝撃を与えた。
襲われたのが副城主の一人コウギシだったからだ。




