10 釈放
夕暮れが迫ったころ、グドンは牢獄から解放された。
ムダイやジャキュウ、アンカイたちと入れ替わる形で、グドンが病室内に入ると、死んだように寝台に横たわるコウギシの姿が見えた。
顔色は蒼白で、ときおり胸が小さく上下していなければ、死体と見間違えても仕方なかった。何か薬物を使っているのか、苦痛の表情は見られなかったが、元々黒かった髪が今は半ば白く変わっている。
彼女の傍らにはただ一人ヤセイが付き添い、その手を握っていた。
「わたしのせいだわ」
彼が近づくと、ヤセイは振り向くこともなく、悔しそうにそう声を絞り出した。
「つまらないことにかまけていないで、ずっと傍についていればよかった」
その言葉に、グドンは自分が責められた気がして視線を落とした。
彼女が言うつまらないこととは、いうまでもなくグドンの監視を指している。牢獄ではなく師の傍にいれば、こんな悲劇は起きなかったと言いたいのだ。
コウギシとヤセイは、上司と配下というより、師と弟子に近い関係で結ばれていた。ヤセイがまだ幼かったころコウギシに弟子入りし、それ以降ずっと行動を共にしている。今の二人は実の母娘かそれ以上の間柄といってよかった。
ゴウギシはヤセイを愛し、ヤセイはコウギシの弟子であることを誇りに思っている。半妖の仲間たちは、グドンがコウギシの家族であり宝物と思っているが、実際の宝物はヤセイだ、とグドンは知っていた。グドンなど、その足元にも及ばない部外者の一人でしかない。
グドンの反応に、ヤセイは己の失言に気付いて詫びるような視線を向けた。
「あなたのことを責めてるわけじゃないの。誤解しないで」
「誤解はしないけど、ヤセイが傍にいても結果は変わらなかったと思うよ」
グドンが正直な気持ちを告げた。
コウギシとヤセイの間にはまだ歴然とした力の差がある。コウギシでさえ歯が立たなかった相手に、ヤセイが何かできたとは思えない。たとえ彼女が一緒にいたとしても、犠牲者が二人に増えただけだろう。
ヤセイはきっぱりと首を振った。
「わたしが殺されればよかった。そうすることで時間を稼げていたら、今とは違う結果になっていたはず。見回りの仲間が来たでしょうし、コウギシの怪我もこれほどひどくなかったと思う」
ぎゅっと噛んだ唇からは血が滲んでいても不思議ではない気がした。
それはわからない、とグドンは内心冷静に独りごちた。
まずコウギシがなぜ襲われたのかわからない。運悪く犯人と出くわしてしまったのか。それとも、コウギシと犯人は元々知り合いで、二人で会って話し合っている間に、何らかの理由でこうした結果になったのか。後者であれば悲劇は避けられなかった。
「見回りの人たちは犯人の姿を見ていない、と聞いたけど」
「そう。それが一番残念なところね。でも、一つだけ手掛かりが残されていたのよ」
「手掛かり?」
ヤセイが差し出した手には、透明な石のようなものが握られていた。
「これは何?」
ヤセイから受け取り、グドンが指で摘まんで光に翳すと、白く半透明に輝いて見えた。彼が初めて目にするものだった。
「刻映石といって情報を記録するためのものらしいわ」
グドンはヤセイの言葉に目を見張った。この世の中にそんなものが存在するのか…?
生涯の大半をこの町で監禁されて過ごしてきたグドンは、刻映石なるものを一度も耳にしたことががなかった。
この小さな石の中に情報が詰まっている? いったいそれは、どんな方法で行われるのだろう? 詰まっている情報量は? もちろん、今一番大事なのは情報の内容だ。
「石の中の情報が、今回の犯人と関係していると思うの?」
「たぶん。コウギシが襲われたとき握りしめていたものだというから。でも、残念なことに情報が取り出せない。何か仕掛けがあって守られているみたいよ。ムダイやジャキュウがやってみたけど駄目だった。ムダイは、仕掛けそのものが壊されている可能性もあると言っていた」
大事な証拠をヤセイに与えたのもきっとそれが理由だろう。石はすでに壊されてしまっていて、犯人の特定には役立たないと判断されたのだ。
グドンは石をヤセイに返した。
ムダイにさえ修復できないものを、自分が持っていても何かできるとは思えない。
それにしても、情報を取り出せないのがくれぐれも残念だった。もしかすると、この石をめぐって、コウギシと犯人は口論していたのかもしれないのだから。
この石は元々誰の持ち物だったんだろう?
「この石を今までに見たことのある者は? 誰かが持っているのを見た、という意味だけど」
「ないと思うわ。ムダイやジャキュウも存在は知っていたけど、見るのは初めてだと言っていたから。もちろん、わたしは存在すら知らなかった」
刻映石の存在を知らなかったのは自分だけでないと知り、グドンは何やらほっとした。自分だけが無知で世間知らずでは、嫌が応にも劣等感が湧いてしまう。
だがそのいっぽうで、ムダイやジャキュウが刻映石を初めて見たという話を信じていいものかどうか、疑問に思った。
仮に彼らが犯人ならきっとそう言うだろう。
この町の住民で、コウギシに大けがを負わせることのできる者は多くない。ムダイとジャキュウは、その数少ない半妖の一人だ。
「何を考えているかわかるわ」
ヤセイがぽつりと言った。
「ムダイやジャキュウを疑っているでしょ。違う?」
「ヤセイも同じことを考えたの?」
「そうね。でも、わたしは彼らの犯行じゃないと思う」
そういったヤセイには、若干の躊躇いが感じられた。
「なぜ? 具体的に何か理由があるの? それとも女性の第六勘とか?」
初めて冗談を言う口調になったが、グドンの心中は逆だった。理由もなく重要な被疑者を除外してしまうことは重大な結果を招く恐れがある、そう彼女に忠告したかった。
ヤセイが小さく笑った。図星だったようだ。
「そういわれると身も蓋もないけど、ただの勘ではなく、強く肌で感じたのよ。ムダイとジャキュウは怖がっているって」
「怖がってる?」
「ええ。あれが演技だったとは思えない。特にムダイは緊張で顔が強張っていた。傍にいたアンカイに、夜間は絶対に一人になるなと強い口調で忠告したの。そのとき、声が少し震えてた。わたし、あんなムダイを初めて見たわ」
さすがにグドンも考える目になった。
ムダイたちが犯人でないなら、ほかに凶行が可能な住民がいるだろうか? 少なくともグドンには思いつかなかった。だとしたら、凶行を行っているのは住民以外の誰かと考えるほかないが…。
自分たちの知らないよそ者? だが、渉不城には侵入することさえ難しい。さらに、犯行の行われている何日もの間、誰にも知られず身を潜めていることなど可能だろうか?
「住民殺しが誰にしろ、必ず報いを受けさせるわ」
生気のないコウギシの寝顔を見つめたまま、ヤセイが厳しい声を出す。その声には強い決意が込められていた。
報いを受けさせる?
グドンも同じ言葉を口にしたかった。しかし実際には、自分の命を守ることさえ難しい状況なのだ。
それにしても、なぜ犯人はコウギシを襲う必要があったのか?
それはひどく不可解で不合理なことのように思えた。犯人はただ狂っているだけで、合理的な理由などない、それが答えだろうか?
セイイツ…。グドンの脳裏に、なぜか、自分の父と言われる男の名前が浮かんだ。
セイイツが犯人?
グドンもそう考えないではなかった。だが、彼の名前が浮かんだのは、それとはまるで正反対の理由からだった。仮にセイイツがここにいたら、コウギシの怪我を治すことができるだろうか? そう思ったのだ。
自分なら犯人に対する報復よりもコウギシを元気な姿にしてやりたい。今のグドンは、切実にそう感じた。




