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半妖グドンの選択  作者: すいかあたま
第一章 渉不城
11/20

11 ショウボク

 コウギシの病室のある建物からグドンが出てきたとき、辺りは完全に夜の帳に包まれていた。

 薄い三日月の月明かりの下に、街並みが暗い影となってどこまでも続いている。

 普段なら、まだ大ぜいの住民たちが道を歩いている時間帯だが、今は、一人の半妖の姿も見当たらない。もちろん、住民殺しが原因だ。

 住居の窓にはすべて雨戸が降ろされ、そのことが町からいつもの生気を奪っている。

 暗いのは町だけでなく、半妖たちの心の中も同じだ。

 しかし、グドンにとってこの状況は、誰にも会わずに行動をとることができる願ってもないチャンスだった。

 病室内での重く淀んだ空気を振り払うように、グドンは深呼吸した。

 コウギシには申し訳ないが、やっと監視の目から逃れることができてほっとしていた。

 少しだけ肌寒さを感じ、体の前で腕を組むと、グドンはゆっくり歩き始めた。

 すると、まるでそれを待っていたように、ムダイ、ホウカ、アンカイの三人が建物の中から現れた。足音に気付いて振り向くグドンに、

「いったん、自分の小屋に帰るんでしょ?」

 と、質問する口調ではなくホウカが言った。

「わたちたちも帰るから、小屋の近くまで送っていくわ」

 グドンは不思議に思って眉を顰め、

「いいよ。方向が全然違うし、心配しなくて大丈夫。こんな早い時間に襲われた住民はいないでしょ?」

 返事を待たずにその場を離れようとするグドンの背中に、ホウカの舌打ちが追いかけてくる。

「大丈夫なはずないじゃないの。こどもみたいな我儘を言わないで。あなたに何かあれば、外へ出ることを許可した父の責任になるんだから」

 思わず振り向いたグドンが彼女を睨むと、ムダイが面倒そうに手を振った。

「かまわない。この子のしたいようにさせなさい。だが、いいか、グドン、寄り道をせず真っすぐ小屋へ戻って、忘れず扉に鍵をかけるんだ。約束できるか?」

「え?」

 グドンが返事をするより早く、驚いたようにホウカが父親を振り向く。そんな彼女に、ムダイは表情を変えず、

「コウギシがあんなことになったんだ。今は一人になりたいだろう。気持ちが落ち着いたら、必要なものを持ってうちに来ればいい」

 それだけいうと会話を打ち切るように、自分の屋敷のほうへと背を向ける。

 置いてけぼりにされた形のホウカは、改めてグドンに視線を向け不満を彼にぶつけようと身構えた。しかし、アンカイがその腕をとり黙って首を振った。

 もうやめておけ、という意味だ。

「だけど…」

 納得のいかない彼女は、尚も抗議しようとしたが、アンカイは、それを無視するように彼女の腕を放すとムダイの後ろに従って歩き出す。

 それを見て、ホウカも仕方なさそうに二人のあとを追いかけた。

 確かに今のムダイはどこかいつもと違っている…。

 暗闇に消えていくその背中を見つめながら、グドンはそう思うと同時に、ヤセイの言った言葉を思い出していた。

「ムダイたちは怖がっている」

 あのときのグドンは半信半疑だったが、今は彼女の第六勘を信じる気になっていた。

 ムダイは確かにひどく動揺している。しかも、それは、彼が凶行の犯人で、それに感づいたコウギシを殺そうとしたからとは思えない。仮にもしそうなら、ムダイの性格からして、普段以上にグドンに優しく振る舞おうとしただろう。彼を一人放り出して慌てて屋敷へ帰っていくことなどありえなかったはずだ。

 ムダイは今、寛大で優しい指導者を演じる余裕すら失っているのだ。

 もしかして、ムダイは犯人が誰か見当がついているのではないか?

 彼が普段の余裕を失うほど恐れる相手…。

 グドンは、そんな相手をセイイツ以外には思いつかなかった。

 ムダイは本当にセイイツを疑っている? しかし、セイイツはもう死んだのではなかったか?

 しかも、仮にセイイツが犯人なら、コウギシを襲ったというのも理屈が合わない。コウギシがグドンの擁護者だからというのではなく、セイイツの崇拝者だったからだ。それをセイイツが気付いていなかったとは思えない。

 それでも、ムダイは、セイイツが凶行の犯人だと確信しているのだろうか?

 いったい体全体、なぜだろう?

 しかし、ムダイがセイイツを疑っているとすると、グドンを放り出して帰った理由も理解できる気がした。セイイツが幾ら正気を失っているとしても、自分の息子を襲うはずはないからだ。

 いずれにせよ、彼らから監視されずに済むと思うと、グドンは気が軽くなった。

 暗闇に沈む民家の間を抜けて行くと、前方に小さな橋が見えた。

 小川にかかるアーチ状の石橋で、橋の向こうは田畑が延々と広がっている。さらにその先は大きな河を隔てて山裾付近まで家畜小屋や果樹園が点在していた。

 グドンの小屋は田畑が広がる平地の端っこ、大きな河の堤防近くにあった。

 小さな石橋に近づくグドンの目に、闇の中で何か小さな物体が動くのが見えた。

 一瞬見間違えかとも思ったが、目を凝らすと、確かに黒い影のようなものがふらふらと橋のあちらへと渡っていく。

 こんな時間に一人で、しかも民家がまばらな山裾のほうへ向かっている。

 まさか、住民殺しの犯人か…!

 この時刻なら危険はない、と高をくくっていた自分の判断は間違っていたのだろうか? グドンは、思わず警戒を強めたが、すぐにそれが間違いと気付いて緊張を解いた。

 違う。あれは自分のよく知っている少年だ。それも凶行の犯人像とはかけ離れた存在…。少年と比べれば、自分のほうが遥かに犯人らしく見えるだろう。

「ショウボク(瀟朴)!」

 気付いたときには、大声で少年の名を呼んでいた。

 グドンの顔にここしばらく見られなかった本物の笑顔が浮かんだ。

 突然の声に、ショウボクは、束の間ぎくりと体を震わせたが、声の主がグドンとわかると、同じように満面の笑みをうかべ、彼のほうへ歩み寄ってくる。

 少年の容姿はすこぶる美形だった。グドンも端正な顔立ちだが、その彼と比べても数段男前に見える。都会に住む役者たちにもまったく引けを取らない容貌だった。

 しかし、そんなショウボクを見た誰もが残念に思うのは、彼の瞳に知性の光が宿っていないことだ。笑顔も笑みというより呆けたへらへら笑いに近い。もし、彼が呆けた笑みを浮かべず、黙って立っていれば、何人もの少女が憧れの目を向けただろう。

 グドンは駆け寄ると少年の手を取った。 

 少年はグドンと同じ年頃だ。縞模様のある黄緑色の服を着て、生地も仕立ても悪くないのに、あちこち泥で汚れている。

「あはは…」

 グドンへ親しみを示したいのか、ショウボクは意味なく笑い声を出した。

 軽く抱き合い、挨拶を交わした二人は橋の欄干を跨ぐように並んで腰を下ろす。

 眼下の水面は闇に包まれ、微かに月明かりを照り返している。ゆっくり下流に向けて流れているはずの水の動きも今は見えなかった。石橋の表面も夜気で冷たくなっていたが、並んで腰を下ろした二人は、それも気にならない様子で嬉しそうにしていた。

 この少年がこんな姿になったのは自分に責任がある。

 この町唯一の友人といっていいショウボクを見るたび、グドンは自責の念に駆られ、心の奥で痛みを感じる。それには過去の悲しい出来事が原因していた。

 グドンがショウボクと知り合ったのは、彼がこの町へきて二年ほどしたころだ。

 当時のグドンはすでに軟禁状態で、普段は、ほかのこどもたちから隔離された特殊な生活を強いられていた。

 今のグドンもそうだが、同じ年頃のこどもより体が小さく痩せっぽちで、戸外での運動や修練も許されないから肌の色も生白い。そのうえ、学校にも通っておらず、学力や知識の点でも、ほかの子たちより大きく後れを取っていた。

 そんなグドンに、ほかのこどもたちは容赦なく侮蔑と嫌悪の視線を向けた。大人のように本音を隠すことをしないから余計に残酷だった。

 普段は互いに距離を置いていても、何かの機会に近づくと、多くの子がグドンを侮辱し痛めつけようとした。

 その先頭にいたのがショウボクだ。

 ショウボクはいわゆるお山の大将で、自我が強く、何よりも弱い者が嫌いだった。

 大人たちは、グドンには構うなと何度もショウボクに忠告したが効果はなかった。

 事態は次第にエスカレートし、ついに大人たちが想像もしないほどの悲劇が起こった。

 ある日、ショウボクがグドンを激しく殴りつけ、最後には川に突き落として、瀕死の重傷を負わせたのだ。

 駆け付けた大人たちが川から助け出したためグドンは命拾いしたが、住民たちはやっと事態の深刻さを思い知ることになった。

 彼らは、これまでこどもたちの我儘を放置したことを後悔し、それ以上に今後を心配した。

 ショウボクの行為自体も許されることではなかったが、元々弱肉強食が当然の妖族の末裔としては、受け入れられないことではなかった。彼らが恐れたのは、万が一、セイイツがまだ生きていた場合の報復と、それ以上にグドンが成長し、父親と同じ力を身につけたときに何が起こるか、だった。

 グドンが住民に恨みを抱きながら成長し報復を始めたらどうなるだろうか? 

 さらに、グドンの中で悪魔が目を覚ましたら?

 大人たちはそのときを想像し震え上がった。そんなことが起こらないようにするためには、二度とこどもたちの我儘を許してはならない。

 大人たちの怖れと憤りはショウボクへ向けられた。

 一罰百戒。

 ほかのこどもたちへの見せしめのためにも、ショウボクの行為には厳格に対処する必要がある。そのことですべての住人の意見が一致した。中でも一番手厳しかったのがショウボクの両親だった。

 父親は迷うことなく息子に折檻を加えた。ショウボクが気を失っても叩く手を止めず、見かねたほかの住民たちが制止するまで狂ったように殴り続けた。

 ようやく暴力が収まったとき、ショウボクの父親の頬は涙で汚れ、憤りと憐憫、絶望から顔が変形して見えたという。

 見ていた誰もがショウボクの両親に心から同情し、恐怖と哀れみの入り混じった目を向けた。だが、誰一人、彼の行為を責める者はいなかった。

 重傷を負ったショウボクはその後こんこんと眠り続けた。

 グドンが意識を取り戻し元気になったあとも、ショウボクが目を覚ますことはなく、ひと月ほどして漸く目を開いたときには、言葉を発することさえできなくなっていた。

 それ以来、体が元気になっても、彼は呆けた状態のまま町なかを歩き回るようになった。

 こどもたちは彼を見ると逃げ出し、それ以上に、グドンの存在を恐れるようになった。

 彼らが恐れたのは直接的には大人の暴力だったが、グドンの持つ何かが大人たちにそうさせている、とはっきり気付いていた。

 ショウボクはといえば、折檻を受けた恐ろしい記憶が彼の中から消えることはなかった。体の回復後、町なかで初めて偶然グドンと再会したとき、ショウボクは恐怖から卒倒し意識を失った。

 そうしたことが何度か繰り返され、かれこれ一年以上も過ぎたころ、やっとショウボクにも変化が見られ始めた。

 グドンから危害を加えられる心配はないとわかったのか、卒倒することも逃げ出すこともなくなり、最後には、彼を見ると笑うようになった。

 グドンもショウボクも、ほかの住民にとっては目にしたくない腫れものだった。

 そんな二人は自然と仲が良くなり、一緒に過ごすことが多くなった。いうならば同病相憐れむということだろうか。

 グドンと一緒にいるとき、ショウボクが何を考えていたかはわからない。だが、グドンのほうは言葉にならない申し訳なさを感じていた。

 自分がこの町へやってきたから、ショウボクはこんな姿になった。そうした自責の念で一杯だった。

 折檻を受けたことは、ショウボクの自業自得だったかもしれないが、グドンの存在がなければ、最初からこんなことは起きなかったのだから。

 おいらは誰にとっても疫病神だ。今回、コウギシに悲劇が起こったことで、なぜか、そうした思いが強くなった。

 コウギシのことやほかの住民殺しがどこかで自分と繋がっている。そうした言葉に出来ない何かを、心のどこかで感じとっていたのかもしれない。

 なぜ、そう感じたのかはわからない。むしろ、住民たちの彼に対する疑惑は薄まっていたし、襲われた被害者がコウギシだったことを考えれば、そうした考え自体が否定されるべきだった。

 にもかかわらず、今回のことは自分と繋がっているとグドンは強く感じた。

 自分が本当に疫病神なら、すぐこの町を離れることが、自分にとっても周囲の者にとっても一番いいことではないだろうか? そんな気がした。

 コウギシのことがあった以来、グドンの中で、ある決意が固まりつつあった。

「きみと会うのはこれが最後かもしれないよ」

 グドンはショウボクの端正な横顔に話しかけた。

「おいらはこの町から出ていくつもりなんだ。それがきっと皆にとって一番いいと思うから。そのとき、湖に呪いがかけられていたら、おいらはこの世から消えてなくなるかもしれない。どけど、きみは悲しまなくていい。こうして一緒に話せなくなるのは少し寂しいけど、おいらには、ほかに心残りがないんだ。死んでも後悔しない」

 ショウボクは彼を励ますように、いつもと同じ笑顔を見せた。

 グドンの心に何か温かなものが流れた。

「きみの笑顔には本当に癒されるよ。おいらはその笑顔が大好きだ。それに、これまで、いつもこうして話を聞いてくれてありがとう。もし将来、町の皆が言うようにおいらに強い力が手に入ったら、必ず帰ってきてきみの病気を治してあげるよ。約束する」

 ショウボクがまた笑った。

 もしショウボクが怪我をする前に、こうして仲良くなれていたらどんなによかったろう…。グドンはそう思わずにはいられなかった。だが、残念ながら過去には戻れないし、過去を変えることも出来ない。それに、生き物は結局、互いに傷つけあわないではいられないのかもしれない。グドンはそんなことをふと思い、深く長い吐息をついた。

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