12 ソウエイ
離れていたのはほんの数日だったはずなのに、グドンが自分の小屋に入ると、湿気った嫌な空気が鼻をついた。
彼のいない間に、誰かが勝手に侵入したのか、室内の様子が若干変化している。
小屋は二間に分かれていて、玄関を入ってすぐが土間、その奥に、食事をしたり寝たりする居室がある。土間には大きな木箱がいくつも置いてあり、いつもなら、その木箱の中に、無数の卵がおが屑に埋まる感じで入れられているはずだった。ところが、なぜか、それが今は一つ残らずなくなっている。
きっと、卵の担当者が勝手に入って持ち去ったんだ、とグドンは推測した。
数日なら、卵が腐る心配もなかったろうが、万が一を考えて回収に来たのだろう。それならやむを得ないと彼も納得した。
グドンは改めてがらんとした小屋の中を見回した。
卵以外になくなったものはなさそうだった。というより、元々盗まれるものなど何もない。それを喜ぶべきか悲しむべきか、グドンにもわからなかった。
グドンは、この何もない小屋に、かれこれもう七年も近く住んでいる。ずっと一人で暮らしていたわけではなく、初めの六年ほどはソウエイ(宗英)という老人と一緒に日々を送っていた。簡単に言えば、ソウエイはグドンの親代わりだった。
老人ソウエイがグドンの世話係に選ばれたのには理由がある。彼が純粋な人族だったことだ。ソウエイには何の妖力もなく、どちらかといえばひ弱な、ただの年寄りだった。このことがグドンの世話係として相応しいと判断された。
初めのころ、家事や雑務も含め、生活に必要なすべてをソウエイがやってくれていた。色んな意味でソウエイはグドンの庇護者だった。やがて、日がたちグドンが成長するにつれて、家事や雑務を二人で分担するようになった。そして、最後には、ソウエイがやっていた稼業の半分も、グドンが受け持つようになった。
ソウエイがやっていたのは落雷鳥の雛の選別だ。
人族や半妖と違い、雛のころの落雷鳥には雄雌に目立った違いがない。これは雄、これは雌と見分けることが実はかなり難しいのだ。そうした判別をソウエイは受け持っていた。
落雷鳥は、卵が人の拳大もありとても美味で、成鳥の肉も食用として大いに重宝されたが、唯一の欠点は、雄が非常に好戦的で、興奮すると口から雷のような光を出すことだった。その光には半妖さえも傷つける力があった。そのため、雛のころに雄雌を判別し、雄は成鳥を待つことなく大半を屠殺してしまう必要がある。ソウエイは、そのための大事な一工程を担っていたのだ。ほとんどの半妖が持たぬそうした能力をソウエイは持っていた。
そして幸運なことに、グドンにも彼と同じ能力があった。ソウエイから教えられたわけではなく、やはり先天的に能力を持っていた。さらに、グドンは雛にかえる前の卵の状態でさえも、雄雌を判定することができた。この能力を使えば、雛にかえることを待つことなく、雄の卵だけを食用として消費することができる。これには経済上も大きなメリットがあった。
グドンが収監されたとき、小屋にはそうした判別のための卵が大量に残されていた。持ち去られたのはそうした卵だ。
それでも、室内にはまだ嗅ぎなれた卵独特の匂いが漂っていた。
グドンはその匂いを嗅ぎながら奥の部屋へ足を踏み入れた。
居室には、グドンの寝台だけでなく、ソウエイの寝台もまだ残されていた。
かつて親代わりだった老人の思い出を残すために放置していたわけではない。ただ単に運び出して処分する必要性を感じなかっただけだ。老人の寝台が置かれたままでも生活に支障はなかったし、寝台をテーブル代わりにすることもできた。
それでも、その見慣れた寝台が目に入ると、ソウエイが亡くなったときの様子がほんの束の間、彼の脳裏に蘇った。
人族というのは、これほどあっさりと死んでしまうものなのか? それがソウエイの死を看取った際の、グドンの偽らざる心境だった。
ソウエイは当時六十歳を過ぎたばかり。三百年近く生きる半妖からすれば、まだ三分の一も生きていない。しかも老人は、ほぼ何の前触れもなく、突然この世からふっと消えるようにいなくなった。
グドンは渉不城へ来て初めて涙を流した。涙はいつまでも流れ続け、老人の遺骸を山の中腹の墓地に葬った後も涸れることがなかった。
グドンは、これほどの感情がまだ自分の中に残っていたのかと正直驚いた。
老人はグドンに優しかった。常日頃から、セイイツのことを命の恩人だと言い、実際、つまらないいざこざが原因で、別の人族に殺されそうになっていたのをセイイツに助けられたらしい。
それ以来、セイイツが何度拒絶しても、臆することなく下僕のごとくつき従い、この町へも一緒にやってきた。
彼は、グドンがこの町で受けている仕打ちにあからさまに反対した一人だった。ムダイたちがグドンの食事を制限しようとしたことにも真向異議を唱えた。
「糞のような化け物どものいうことなど、放っておけばいい!」
日頃は温厚で、どちらかといえば寡黙な老人が、化け物の一人であるグドンを前に、吐き捨てるようにそう言った姿を、彼は昨日のことのように覚えている。
ソウエイは自分の分を削っても、グドンに十分な食事をとらせようとした。
それゆえ、グドンが今も背が低く痩せ細っているのは、充分な食料を与えられなかったからではなく、グドン自身が食べる量を自ら制御したからだ。
そうしなければ、ソウエイがほかの住民たちから迫害を受ける怖れがあった。
この夜、グドンは自分の寝台ではなく、老人の寝台を選んで横になった。
そんなことはありえないが、寝台にはまだ老人の匂いと温もりが残っている気がした。
これで、ソウエイと暮らしたこの小屋とも永遠のお別れになるかもしれない…。
そんなことを考えながら目を閉じ、ゆっくり深呼吸を何度も繰り返しながら、自分の呼吸音に耳を澄ませた。
それが眠れない夜のグドンの習慣だった。
聞こえるのは己の呼吸音だけ。
はーふ、はーふ。
やがて暗闇が訪れ、グドンは静かに眠りについた。




