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半妖グドンの選択  作者: すいかあたま
第一章 渉不城
13/18

13 ソウエイの墓

 次の日、まだ夜の明けないうちにグドンは小屋を離れた。

 明るくなれば、ホウカが様子を見に来る怖れがあった。彼女と顔を合わせれば、また言い争いになるだろう。そんな無益な諍いは避けたかった。何も言わずに小屋から姿を消せば、心配する者がいるかもしれないが、殺されたのではないかと大騒ぎしたり、町を挙げて捜索を開始したりすることはないだろう、とグドンは睨んでいた。

 昨夜の様子からして、ムダイには、こどもの我儘にかまっている余裕などないだろうし、ホウカひとりの意見など周りからは無視されるに決まっていた。

 それでも、土間に置かれた木箱の上に「散歩に行ってくる」との書置きを残した。

 当面はこれで十分なはずだった。

 グドンは小屋に残っていた食料品をできる限り集め、ずた袋に詰めた。

 故意に食料を制限していたこともあり、小屋にはかなりの食料が手つかずのまま残されていた。普段から腐る物から先に消費し、いざという時のために保存期間の長い物は残しておく習慣だったのも幸いした。心のどこかに、いつかこういう日が来るかもしれない、と予測していた部分があったのかもしれない。

 結果として、それがグドンを助けることになった。

 むしろ、多くの食料が袋には入りきらず、小屋に残していくことになった。

 小屋を出てまず向かったのは、山の中腹に造られた墓地だ。

 墓地といっても、住民たちの墓地は別の場所にある。グドンが向かったのは、ソウエイの墓碑を除くと小さな石像が一つあるだけの、山の斜面にあるひっそりとした狭小地だった。

 その石像はグドンの父セイイツのもので、石像の足下には空洞があり、石棺が納められているといわれている。といっても、もちろんセイイツの遺骸や遺灰は入っていない。墓地はあくまで英雄を忍ぶためのモニュメントだった。

 像の男は厳めしい顔で東の空を睨んでいる。壮年で豪胆を絵にしたような容姿は、まさに英雄と呼ばれた男に相応しい気がした。

 誰もが、グドンのことを父親と瓜二つと言ったが、この像を見るたび、彼は溜息をつかないではいられなかった。他人の目には、おいらはこんな風に映っているんだろうか、と。

 正直、グドンには父親の記憶がなかった。

 渉不城へ来るまでの記憶で残っているのは、路上生活をしていたころのことばかりで、孤児になる前の記憶はほとんど残っていない。ただ微かに覚えているのは、若い男女と一緒だったことだ。男女の姿形ははっきりしないが、それでも、目の前の石像の男と記憶の中の若い男性はあまり似ていない気がした。

 もちろん幼少期の記憶などあてにならないし、石像が実物に似ているとも限らない。英雄の肖像はえてして誇張し偶像化されて描かれるものだからだ。

 それにしても…、とグドンはいつも首を捻った。

 何よりも奇妙なのは、石像のセイイツが記憶の中の男性より老けて見えることだった。セイイツが町からいなくなったのは三十年も前のことだから、グドンと一緒にいた男性のほうが若く思えるというのは、どう考えてもおかしい。つまり、石像の男と記憶の中の男性は別人と考えるのが自然なのだ。

 それでもグドンは、ほかの住民たちの前では、セイイツを父と呼ぶことが多かった。なぜなら、グドンがそう呼ぶと、周りがなぜかほっとした顔を見せるからだ。亡くなったソウエイもそうだった。

 グドンはセイイツの石像からソウエイの墓へ視線を移した。

 ここへきたのはソウエイの墓に手を合わせるためだった。父親といわれる男に特別な感情はなかったし、親しみも感じていなかった。いっぽうソウエイはこの町でグドン唯一の大事な家族だった。

 久しぶりにやってきたソウエイの墓の周りには雑草が繁茂していた。

 グドンのみならず普段ここにはめったに人が来ない。セイイツの墓は形ばかりのものだったし、ソウエイの墓を拝みに来る半妖がいるはずもなかった。

 当のグドンさえたまにしか来なかった。ソウエイのことは大事に思っていたが、老人はもうこの世にはいない。大事なのは手を合わせるかどうかではなく、相手を思い続けることだ、と彼は考えていた。

 それでも今日ここへきたのは、これが最後になると思ったからだ。

 墓碑には“柿山宗英の墓”とある。これがゾウエイの本名だ。ソウエイは人族だから姓を持っていた。半妖にはない。

 人と妖が結ばれるようになったばかりのころ、グドンの祖先にも姓を持った者がいたという。人族の家系を大事にする者は皆、姓を名乗った。しかし、それが諍いの原因となった。妖族の中に、人族の文化を尊ぶことを快く思わない者がいたからだ。姓を持つことは妖族の文化習慣を軽視することに他ならないという理屈だ。

 ひどく滑稽に聞こえるが、高等といわれる生き物も、往々にしてこうした愚かなことに拘り、諍いを起こす。

 その後、どうした事情からか、半妖は姓を持たなくなった。妖族の文化が人族の文化を駆逐したということだろうか。

 それでもその痕跡は今も残っていて、生まれたこどもを命名する際、人族の血を重視する者は、文字に何らかの意味を込める。逆に妖族の血筋を誇る者は己の出自を名前に入れることが多かった。

 前者はホウカ(峰華)、後者ならコウギシ(紅蟻子)がその例だ。もちろん、そのどちらにも属さない者もいて、ムダイ(無袋)などはその一例かもしれない。

 グドンは、墓の周囲に生えた雑草を取り除いたのち、墓碑の前に跪くとゆっくり額づいた。それが、愛情を注いでくれた老人に対する相応しい礼の示し方だという気がした。

「短い間だったけど、おいらと一緒にいてくれてありがとう。どんな理由からおいらを大事にしてくれたにせよ、感謝します。ここで爺さんと過ごせて本当に幸せだった」

 一度、二度、そして三度、頭を下げる。

「痛い!」

 三度目に額が地面に触れたとき、首の後ろを何かに噛まれた気がした。

 山の中だから虫の類も多い。山中で作業する際は、普段なら虫よけの薬草を体に塗ることも多いが、今日は作業をするわけでもないから、虫よけのことなど考えもしなかった。

 思わず苦笑しかけたとき、何か変だと気付いた。

 地面についた両手の指先に痺れが広がり始めている。

 感覚を確かめようと、手を握ろうとしたが、すでに痺れは腕全体に広がっていて、まったく自由にならなかった。

 まずい! 

 慌てて立ち上がろうとしたが、足の感覚もなくなりかけていて、グドンは、もんどりを打つように肩から地面へ崩れ落ちた。

 倒れた際、口の中が泥で一杯になった。唇の感覚がなくなっていて、開いたままの口がちょうど地面をすくう感じになったのだ。

 やがて痺れは肺にも広がって呼吸するのも難しくなってきた。

 痺れが心臓に広がればすべておしまいだ。

 それでも、グドンは自分でも不思議なほど冷静だった。

 こんな形で死ぬとは考えもしなかったが、結局、死ぬことに変わりはなかった。どうぜ、この町を出ていこうとすれば、有毒ガスの発生している沼か、呪いのかかった湖を通っていくしかない。そうなれば、いずれにせよ、かなりの高い確率で死ぬことになるのだ。そう思えば、死ぬのが早いか遅いかの違いだった。

 グドンは甘い考えでこの町を離れようとしていたのではない。死を賭してでも自由を手に入るつもりだったのだ。この町で、これ以上疫病神を演じるのはごめんだった。何としても自由を取り戻し、自分らしい生活を一からつくり出していく。たとえ、そのせいで再び路上生活に戻ることになったとしても。

 おいらは再出発のための賭けに負けたのか…?

 堪えきれない息苦しさに、胸をかきむしろうとしたが、体の自由がきかなかった。

 苦しい! もう呼吸もできない!

 しかし、苦しみはそれほど長くは続かなかった。

 何かに吸い込まれるように、意識が少しずつ遠のいていく。

 闇にのみ込まれると思った瞬間、グドンは誰かのすすり泣きを聞いた気がした。


 それは女性の声のように聞こえた。

 声には絶望と同時に恨みの色が濃く滲んでいる。

「あの子はあなたの子なのよ。血を分けた実の子…。その子にどうすればあんなひどいことが出来たの?」

 闇の中、血を吐くような女の声をぼんやり耳にしながら、グドンは自分がまだ生きているのか、意識を失ったのかどうかさえわからなくなっていた。

 女の姿が目の前にぼんやりと浮かび上がり、やがてそれは次第に鮮明な映像へと変化した。

 正座した女の前には、やはり正座した壮年と思える男性の背中が見えている。

 あのときの女性だ…。

 グドンは女の顔にはっとなった。

 彼が渉不城へやってきたとき、自分を連れてきた女性であり、セイイツに彼をここへ連れてくるように頼まれたと証言し、その後、いつの間にか姿を消したあの女性だ。

 町の住民たちは、当然のように彼女がセイイツの妻でグドンの母親だろうと考えていた。まさかグドンを一人町に残したまま突然いなくなるとは思ってもみなかった。

 実のところ、グドンも最初は、女が何らかの理由で生き別れた実の母親ではないか、と疑っていた。そうでなければ路上生活をしていた彼を引き取り、長い時間をかけてこの町まで連れてくる理由が思いつかなかったからだ。

 だが、女と旅を続けるうち、そうした考えは間違いだと思うようになった。

 一番の理由は、彼女がグドンに一片の愛情すら示さなかったことだ。

 それどころか長い旅の途中ほとんど話しかけることすらなかった。ただ時折、何やら複雑な思いのこもった目でグドンをじっと見つめていることがあった。そんなとき、グドンがおやっと思って見つめ返すと、女は決まって慌てたように視線をそらせた。

 世の中にこんな奇妙な母親がいるだろうか?

 町から女がいなくなったとき、住民たちは誰もが驚き慌てたが、グドンはそれを極めて冷静に、まるで他人ごとのように眺めていた。あなたたちもあの女性に騙されたんだよ、と。

 あの人はおいらの母親じゃない。きっと何か目的があってこんなことをしたんだ。どんな目的かはおいらにもわからないけど。

 仮に女がすぐにいなくなるとわかっていたら、住民たちはグドンの受け入れを拒否していたかもしれない。だが、誰もが母親はずっと一緒にいると思い込んでいた。これは妙だと気付いたときは。すでに後の祭りだった。町は英雄の子を受け入れると決めており、今さら放り出すわけにもいかなかった。

 夢の中の女は、尚も男へ恨み言を吐き続ける。

「あなたは心の中でわたしのことを恨んでいるのよ。あの子があんなふうになったのはわたしのせいだと。いいのよ、恨むのなら恨めばいい。わたしは殺されたってかまわない。でも、その恨みをあの子にぶつけるのはひどいじゃないの。他に何か方法があったはずよ。殺す以外に、何か別の方法が」

「あいつはわたしの子ではない」

 男が声を絞り出すように言った。

「それに、人の子でも妖の子でもない。ただの畜生だ」

 男の言葉に女の顔は凍り付き、それが怒りに代わると、震えながら男に指を突き付けた。

「絶対にいつか今の言葉を後悔させて見せる。たとえどんなことがあっても」

 しかし、男は返事をしない。

 やがて女は再び悲しみに顔を歪ませ、とめどもなく涙を流し始めた。

 グドンはそうした光景を心臓を鷲づかみにされる思いで見つめていた。

 二人がいうあの子とは自分のことだろうか? 

 畜生? 男はさっき自分のことを畜生と呼んだのか? 

 それに、殺す以外にも方法があったとは、どういう意味だろう?

 なぜか理由もわからぬままグドンは女に視線を向け、

「母さん!」

 と叫んでいた。

 いや、実際に声が発せられたかどうかは定かでない。実際の声ではなく、心の叫びかもしれなかった。

 女を母と呼んだことに、グドンは疑問を感じなかった。そう呼んで当然だという気がした。

 知らぬ間に、グドンの頬にも涙が溢れ出した。

 その涙に女の泣き声がかぶさると、感情の抑えがきかなくなり、グドンは自分も大声で泣き始めた。

 泣き声以外には何もない世界…。

 やがてそれすら聞こえなくなった。

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