89 分かれ目
入ってすぐは前回と何ら変わりがなかった。しかし、前方へ目を向けた彼は、何が変だと感じたのか分かった気がした。少しいった先で道が完全に消えていた。ただ一定の間隔で飛び石のようなものが続いている。飛び石の数は少なくないし、置かれた間隔も広くはないが、一歩間違えば奈落の底へ転落してしまう。
その光景に同行した三人は言葉を失った。
「何だあれは…?」
グドンに続いた一人が驚きを隠せない様子で息をのんだ。
「先に飛び込んだ奴らは、あそこから下へ落ちたのか?」
別の使役者が誰にともなく呟く。
グドンは黙って薬草地へとつながる飛び石に目を凝らした。石の大半には実体があったが、中には幻のようなものもあった。
どれが本物で、どれが偽物か、人族には見わけがつかないだろう。
「いい? おいらが歩くあとを正確にたどること。どの石が安全でどれが危険か、あなた方には判別できない。間違えれば、谷底へ落ちて命を落とすよ」
グドンの言葉に、三人は顔を見合わせ、その内の一人が、
「恥ずかしいが、わたしはここで引き返す」
と、ほかの者たちの反応を待たず、来た入口から分岐点の向こうへ姿を消した。
「おれはいく」
残った一人がいうと、もう一人も頷いた。
グドンはそれを確認してからゆっくり前へ進んだ。
途中、前回と同じように一瞬空間が歪み、別の世界へ入ったのを感じた。
遅れず二人もその後に続く。
普通の場所であれば何のことはない飛び石だが、一歩踏み間違えれば命を落とすと思うと、不思議と体のバランスを崩しそうになった。
それでも何とか渡り切り、通路を抜けると薬草地へ出た。
薬草地へ出たとはいうもののそこで気を抜く者は誰もいなかった。ここが、前回までと同じ七号薬草地であるかどうか、もう誰にもわからない。
見た目は前回と何ら変わりはなかった。地面の一部が透明になっているわけでも、空が欠け落ちているわけでもない。なだらかな丘陵地がどこまでも続いている。
「おいらは、ここから中へは入らないよ」
グドンがいうと、二人は驚いたように瞠目した。
薬草を採取するつもりじゃないのか? それなら、なぜ危険を冒してまでここまで来たのか? そう疑っているようにも見えるし、ここまで来て自分たちを見捨てるつもりかと、彼を非難しているようにも見えた。
恐らくはその両方なのだろうが、彼らの思いなど今は気にしていられない、とグドンは無視することに決めた。
「薬草をとりに行くなら、すぐに出発したほうがいいよ。ここでの用が済んだら、おいらは一人でも外へ戻るから。あなた方を待ったりしない」
その無情な言い方に二人は腹を立てたが、どちらも口には出さずぐっと堪えた。
別にグドンがついてきてくれと頼んだわけではない。何かを彼らに約束したわけでもなかった。グドンを非難するのはお門違いだと彼らにもわかっていた。それに、万が一彼の助けが必要になったとき、関係がこじれていたりすれば、それすら得られなくなるだろう。
二人は互いに顔を見合わせ、相手の思いを確かめると、
「じゃ、おれたちは薬草探しにいかせてもらう」
と愛想笑いを浮かべた。
「気をつけて」
頷いたグドンは、適当に場所を探してしゃがみ込むと胡坐をかいた。
二人は尚も何か言いたげに口をパクパクさせたが、結局言葉には出さず、黙ってその場から立ち去った。
二人を見送ったグドンは小さく溜息をついた。
もう二度とあの二人を目にすることはない気がした。
たとえ目にしたとしても、それは生きている彼らではないだろう。
グドンはふと、飛び石の前で引き返していった男の背中を思い出した。あのとき、三人それぞれの運命が決まったのだ。ひとの運命とはそんな些細なひとつの判断で大きく変わってしまう。だが、多くの者はそのことに気付かない。
一人になり、グドンは周りを見渡した。
薬草地は毎回周囲の風景が変わる、とリンタロウは話していたが、今日の七号薬草地は、前回とまったく変わったようには見えなかった。少なくとも、薬草地へ入ったばかりの、今いる場所ではそう見える。
待っていても、何も起こりそうになかった。
これは彼が前もって予想した通りだった。一緒に来た二人はすでに遠く離れ、当たり前だが、付近に別の生物がいる感じもまったくない。
グドンはゆっくりと立ち上がり、向かう方向を見定めると一気に上空へ飛び出した。
目的地は前回薬草を見つけたあの洞窟だった。
あそこへ戻って、今回の実験を開始する。
飛んでいる間、洞窟について考えてみた。
洞窟が現在どうなっているか、グドンは二つ可能性があると考えていた。
一つは洞窟そのものが消えてなくなっていること。もう一つはそのままの状態で今も存在し続けていること。
実は、どちらでも大きな違いはなかったが、グドンは、そこを手掛かりに島の秘密を探ろうと考えていた。
上空から見る薬草地はやはり、前回と変わったようには見えない。
前回は散々歩いてやっと到着した道のりも、空を飛んでいく今日はあっという間だった。まさにひとっ飛びというところか。
洞窟は…。今もあった!
だが、地上に降りて洞窟へ入ってみると、中はガランとしていて、薬草など影も形も残っていなかった。
前回ここを離れるときはまだ沢山の薬草が残っていたから、それが数日で消えてなくなるというのはどう考えても不自然だった。
とはいえ、これもグドンの予想の範囲内だった。
今日の洞窟内は、地肌が露出し、薬草どころか苔すらほとんど生えていない。
そうした光景を、何やら嬉しそうに眺めていたグドンは、前回薬草を摘んだあたりで立ち止まり腰を下ろした。
まず、じっと耳を澄ませる。
何も聞こえなかった。
グドンは静かに目を閉じた。
頭の中で、ここが前回同様、薬草で埋まった洞窟内だと想像してみる。とたんに、彼を取り巻く空間が一瞬揺らぎ、周囲の空気が変化したのを感じた。
さらに、その薬草を何本も摘んでいる自分を想像する。
ゆっくり目を開けると、そこは薬草で埋まっていた。
グドンは声なく笑った。
思った通りだった。ここは薬草地でもお花畑でもない。辺りを埋めている草花はただの幻覚だ。
問題はその幻覚を作り出しているのが誰かということ。
薬草を実際に摘んでみた。
植物の感触が指に伝わり、微かに青臭い匂いが鼻をくすぐる。
「アサガショマが日差しの当たらない洞窟の中にあるのは変だ」
今度は声に出していうと、再び周囲の空気が揺らめいた。
いや、揺らめいたのは今いる幻覚、と表現したほうが正確かもしれない。
「今、空間が揺れたよね? そよ風でカーテンが揺れるように小さく揺らいだ」
声に出していい、揺らめいた空間に目を凝らすと、そこにだけ裂け目のようなものが出来ていた。本物の世界にはあるはずのない裂け目…。
その裂け目から、グドンは奥を覗こうとした。
とたんに、洞窟の外で物音がした。
「来たね…」
待ちかねていたものがやっと現れたというように、グドンは笑顔になり立ち上がった。
お客様を迎えに出なくては失礼だ…。
まさにそんな笑顔だった。




