88 二度目の薬草地
グドンが明日、七号薬草地へ入るという情報は、あっという間に島内に広まった。
ここ数日、宿舎に住む使役者やほかの島民たちはあまり騒ぐこともなく、グドンのところへ押しかけることもなかった。それは、グドンが薬草地へ入ることはもう二度とない、と島主が明言していたからだ。
だが、急遽、その決定が覆った。
その原因が薬師協会にあるらしい、と誰もが気づいた。島主がグドンの薬草地入りを拒むのであれば協会はすぐに島を離れる、と宣言したからだ。
表面上は、アサホがそうした圧力に屈したように見えた。協会が撤退すれば島の産業そのものが立ち行かなくなる。それは彼女が何よりも望まないことに違いない、と。
しかし、ことはそれほど単純でなかった。
彼女は協会の退去をそれほど重視していなかった。それどころか、島から誰もいなくなればいいとさえ思っていた。
彼女が心配していたのは一時的な混乱や衰退ではなく、あくまで混乱が収束したあとのことだった。そのとき、自分が島主でいられ、権力や利益を失わなければそれでよかった。
アサホは現在の混乱の原因を知っていたし、混乱がいつか収まることも確信していた。それゆえ、協会や労働者が一時的に島を離れたところで、いずれは戻ってくるとの自信があった。
ただ、混乱がこれほど深刻になるとは予想しておらず、少しだけ戸惑っているのも事実だった。労働者に多少犠牲者が出るにせよ、薬草地へ入るのが難しくなるほど増えるとは、彼女も思っていなかったのだ。
だから、ここはとりあえず、グドンを薬草地へ行かせ様子を見ることにした。
そんなに入りたいのなら、お好きにどうぞ、というわけだ。あなたも目障りな労働者も、薬草地で死んでしまえばいい。そうなれば、島が静かになって願ったり叶ったり、と。
ただ彼女が唯一不思議だったのは、依頼したグドン殺害がまったく実行されないことだった。計画を依頼してからすでに何日も経つのに、彼の周辺では何一つ起こった様子がなく、本人はピンピンしている。これは、どういうことなのだろう? ああした組織が小僧一人の殺害に失敗することはありえないのだが…。
それはともかく、アサホがグドンの薬草地入りを許可したことで、危機意識に乏しい一部の島民や使役者たちは湧きたった。
誰もがグドンと行動を共にしたいと希望し、結果、誰を同行者に選ぶか、抽選が行われることになった。
もちろんこの抽選に参加しなかった者も多くいた。その中にはホウカとリンタロウも含まれていた。
ホウカは、海岸でのことがあってからグドンの前に姿を見せなくなった。リンタロウは抽選への参加を希望したが、最終的には、グドンからやめるよう説得された。人族のリンタロウは、かなりの確率で生きて戻れないというのがグドンの意見だった。リンタロウは、グドンという友人の言葉を信じ同行を断念した。
このことで、コンがグドンに感謝したのはいうまでもない。彼女の体は、手に入れた薬によって日に日に回復していた。リンタロウの薬草地への同行断念と合わせ、兄妹にとってグドンは、二重の意味で命の恩人となった。
いうまでもないが、グドンは、ほかの使役者たちにも警告し、同行を思いとどまるよう説得した。しかし、金に目のくらんだ者たちは耳を貸そうとしなかった。
薬草地へ入る当日になり、抽選に選ばれた十数人の者たちと共に、グドンは七号薬草地へ向かった。
薬草採取の道具を受け取り、薬草地へ入る分岐点までやってきたとき、グドンは改めて、ほかの者たちに引き返すよう忠告した。
今回のグドンの目的は薬草の採取ではない。この島の秘密を暴き、その背後に隠れているものと対決することだ。であれば、相手も必死でグドンの行動を阻止しようとするだろう。そうなれば、グドンだけでなく、ほかの同行者も命の危険に晒されるのは当然だった。生き残れるかどうかは、各人の能力次第だが、ただの人族である彼らに、敵から己を守る力があるとも思えなかった。
グドンの忠告に対し、多くの者が苦笑を浮かべた。
「もう命を捨てる覚悟はできてるよ」
グドンの執拗な説得に、一人の若い男が己の豪胆さを誇るように言い放った。
人族を甘く見るなよ。おれたちは死など恐れない、とそんな表情だった。
グドンは彼らの愚かさに内心溜息がでた。本当は、単に欲に目が眩んで現実が見えなくなっているだけなのだが、彼らはそれに気づいていない。貪欲は身を亡ぼすという言葉を知らないのだろうか? 死に直面したとき、彼らが後悔しないことをグドンは祈るしかなかった。
彼らの説得を諦めたグドンは、四つ並んだ分岐点に目を凝らした。
その内三つは、明らかに罠であると見てとれた。
だが、残る一つも、前回来た時とどこか違っている。
「どこだろう?」と考えつつ、グドンはついうっかり、
「この道が本物だと思うけど…」
と分岐点の一つを指さしてしまった。
使役者の数人が脱兎のごとく、先を争ってその入口に殺到した。
「待って!」
グドンは大声で叫んだが、もう手遅れだった。
一瞬で彼らの姿が入口の向こうへ消え、それから間もなく、幾つもの悲鳴が上がった。
悲鳴は次第に遠ざかるように消えていく。
彼らに続こうとしていた者たちは慌てて急停止した。
何人かは後ろから来た者たちに押され、前へつんのめってたたらを踏んだ。
その場に倒れこむ者もいた。
「どういうことだ!」
振り向いた誰かがグドンに怒鳴った。
多くの者が思い合わせたようにグドンを見る。あからさまに彼を非難する視線を向ける者もいた。だがグドンは、意に介さぬ様子で肩を竦めて見せた。
「死の覚悟はできてるんでしょ? それに待ってと叫んだのに無視したのは誰?」
平然として言い返すグドンに、何人かは憤りの色を見せたが、大半は、自分の愚かさを恥じて視線を落とした。
「もう一度だけ言うけど、ここから前へ進めば、恐らく生きては帰れない」
グドンは容赦なく続けた。
「たぶん、この先にあるのは全部罠だ。どう? それでもおいらについてくる?」
今回は、多くの者が無言で後ずさりした。グドンの言葉ではなく、先ほど目の前で起こった仲間の死に恐れをなしたのだ。
それでも三人がグドンの目の前に残った。
さすがにグドンも彼らの勇敢さに脱帽しないわけにはいかなかった。正直、彼らの頭の構造がどうなっているのか理解できなかったが、それでも、その命知らずな行動には敬意を表したくなった。
彼は頷くと、分岐点を振り返り、
「この入口以外に進める道はないけど、何か変なんだ。でも、どこが変なのかわからない。だから入って確かめるしかない」
残った三人が重々しく頷く。
グドンはゆっくりした足取りで入口へ入った。




