87 三人が見た夢
「ホウカ、しっかりしろ、ホウカ!」
誰かに大声で名前を呼ばれ、体を激しく揺さぶられてる。
ホウカははっと意識を取り戻した。
何かの力で、闇の世界から現実へと無理やり引き戻された感覚だった。
少しずつ、そしてまた少しずつ、意識がはっきりしてくる。
「あ、頭が痛い…」
思わず両掌で側頭部を抑え、目を閉じたまま、襲ってくる激しい痛みに耐えた。
頭痛が徐々に治まり、何とか薄く目を開けると、心配そうなリンタロウが彼女を覗き込んでいる。
「ここは、どこ?」
思わず訊いてしまってから、ホウカは自分でも妙なことを口走ったと気づいた。
瞬時に、ぼんやりしていた記憶が鮮明になる。
ここは海岸近くの林の中。
そうだ。リンタロウと二人で、グドンの動向を見守っている最中、気を失ったのだ。
今度はしっかり目を見開くと、砂浜に跪き彼女の肩を抱いているリンタロウの姿が見えた。
辺りはまだ闇の中だ。朝日が昇る様子は欠片もない。
何とか体を起こし、やんわりとリンタロウの体を押し除けると、グドンがいるはずの波打ち際へ目をやった。
そこに誰かが倒れている。
十中八九グドンに違いなかった。恐らく前日同様、修練の最中に精根尽き果てて気を失ったのだろう。
だが、今の彼女の目には、彼に対する同情の色は微塵もなかった。
片膝をつくのもやっとという感じで何とか立ち上がり、リンタロウが止めようとするのも無視して、倒れた人影のほうへ近づいて行く。
「わたしたちが倒れてから、どのくらい時間がたったの?」
訊いても無駄と知りながら、肩を並べて歩くリンタロウに、ホウカは尋ねた。
「わからない」
案の定、彼女が予想した通りの答えが返ってくる。
「でも、長くとも二三時間じゃないかな。辺りはまだ暗いし、波打ち際は大きく前進も後退もしていない」
ホウカは頷き、足元で前後不覚に眠りこけているグドンを見下ろした。
突然、嵐のように激しい憤怒が彼女を襲った。
思わず、何か凶器になる物はないかと辺りを探し、近くに掌ほどの石を見つけると、駆け寄って引っ掴み、すぐにグドンの傍へ戻って、それを彼の頭へ目掛けて振り下ろそうとした。
「よせ! 何をする気だ!」
慌ててリンタロウが止めに入ったが、彼を睨み返した鬼のようなホウカの形相にギョッとたじろぎ動きを止めた。
「こいつを殺すのよ。文句ある?」
胸を激しく上下させ、唇をきつく噛み締める。
「殺すなんて物騒な。どうしたのさ?」
降参するように両手を掲げ、泣きそうな声でリンタロウが訊く。
まるで何が何だかわけが分からなかった。自分たちにいったい何が起こったのかもわからないし、なぜ、ホウカがこれほど激怒しているのか、その理由も理解できない。
「わからないの? さっきの幻覚はこいつが見せたのよ!」
ホウカの叫び声に、リンタロウはあっとなった。
「幻覚? あれはグドンがおれたちに見せた幻覚だっていうのか?」
まだ半信半疑だったが、もし彼女の言う通りなら、どうして、さっきあんな夢を見たのか理解できた気がした。だが、待てよ。グドンが何でそんなことをする? それに、ホウカがこれほど怒っているのは、彼女も同じ幻覚を見ていたということか? もしそうなら…。
自分の見た幻覚を回想し、リンタロウは思わず気まずい表情になった。
ホウカには、それで十分だった。
リンタロウも自分と同じ幻覚を見ていたとはっきり確信できた。少なくとも二人が一緒にいた場面では、二人の夢は同一だった。とすれば、あの朝、二人の間に起こったことも…。
突如、怒りが消え、代わって堪えようのない羞恥と悲しみがホウカを襲った。
気づかぬうちに、頬を涙が伝っていた。
絶対にグドンを許せない。
たとえどんな悪感情を持っていようと、他人を操り、あんな幻覚をみせて女性を辱めるなんて、許されるはずがない。
ホウカは石を投げ捨て、代わりに足元の砂を手で掴み、グドンの顔めがけて投げつけた。さらに何度も何度も同じ動作を繰り返す。最後には、足で砂を蹴ってグドンの体にかけ続けた。
そんな彼女をリンタロウは呆然と見守っている。
何が起きたか理解した今、とても彼女を制止する気にはなれなかった。
いくら何でも、本当にあれをグドンのやったとすれば情状酌量の余地はない。
それにしても、グドンはなぜあんな幻覚を二人に見せたのか?
グドンがホウカを毛嫌いしていることは知っていた。だが、それにしてもやることが悪辣すぎる。
ん? 待てよ。あれはひょっとして、グドンの意思ではなかったのでは?
ふとそんな考えが、リンタロウの脳裏をよぎった。
幻覚を見せたのはグドンでも、そこには誰か他者の意思が影響したのではないか?
リンタロウはまず自分のことを疑った。あの幻覚はグドンの願望ではなく、自分が願ったことが夢となって表れたのではないか、と考えたのだ。
確かに、幻覚での経験を思い出すと、彼は今でも胸が高鳴った。もしかすると、あれは、自分のこれまでの人生で一番幸せな時間だったかもしれない。
それでも、リンタロウは、幻想が自分の願望だったとは思えなかった。
どれほど美人であっても、ホウカに対し邪な考えを持ったことはない。彼女はグドンの許嫁だし、一時的に心のすれ違いはあるにしろ、いつかは愛し合う関係に戻ればいいと願っていた。
では、リンタロウの夢でないとするなら、あれはホウカの願望だったのか?
それはもっとありえない気がした。
別に自分の容貌や能力を卑下しているわけではないが、現実問題として、ホウカが彼に思いを寄せていることなどありえなかった。半妖の彼女が故なく人族の自分を愛したりしない。それなら、一体…。
「今後、この人に関わるのは一切やめる!」
ホウカの厳しい声に、リンタロウは我に返り、自分の思考から引き戻された。
見ると、グドンの体が半分ほど砂に埋まっている。彼の目も口も鼻もすでに砂の下だった。
リンタロウは慌てて砂の下からグドンの顔を掘り出した。
「いくらグドンでも、窒息してしまうだろう?」
「この人が、そんな簡単に死ぬもんですか!」
ホウカはそれだけいうと、くるりと背中を向け、宿舎のほうへ戻っていく。
一人残ったリンタロウは溜息をつき頭を掻いた。
今回のことに関しては、どうみてもホウカのほうに理があった。グドンが多少痛い目に遭っても自業自得だ。
機会があったら、今夜砂浜で何が起こったか、グドンに話してやろう。彼は何と言い訳するだろうか? きみたち二人が勝手にあとをつけてきたのが悪い、とでも言うだろうか? おいらは二人が傍にいるなんて全然気付かなかった、とか?
確かに、その可能性は十分にありそうだった。
だとしたら、あれは、誰に向けたどういうの能力だったのだろう?
グドンに訊いてみたいことが、リンタロウにはほかにも一杯ある気がした。
見下ろすと、グドンは砂の中ですやすや寝息を立てている。
それを確認したリンタロウは、ホウカの後を追うように宿舎へ向け浜辺を離れた。
朝日の中で、グドンは目を醒ました。
にもかかわらず、目を開こうとしたグドンは何かおかしいと気づいた。
目があけられない。というより、顔全体が何かに埋まっているようだ。
それでも無理やり瞼を開こうとしたが、すぐに後悔した。瞼の隙間から、何か細かな物体が目の中に入り込んでくる。慌てて閉じようとしたが、手遅れだった。
これは砂だ。おいらは砂の中に埋まっている。
状況が分からないグドンは身の毛がよだった。
まさか誰かに生き埋めにされたのか?
生きたまま棺の中に閉じ込められ、必死で脱出しようする男の話を思い出した。爪がはがれ、手の皮が破れるまで中から棺を叩き続けるも、結局は力尽きて窒息死する哀れな男の話だ。
恐怖に負けそうになるのを何とか堪え、全身に力を込めて体を起こす。
意外にも、体はすぐに自由になり、無意識に顔についた砂を払い落として薄目をあけると、目の前に、昨夜、自分が倒れたはずの砂浜とそれに続く海岸線が見えた。
「助かった!」と、心からほっとしてその場にへたり込むと、何度も大きく息をつく。
息を吸うたびむせて咳き込んだが、先ほどまでの恐怖心は消えていた。
気持ちが少し落ち着くと、立ち上がり、頭や顔、全身についた砂を根気よく払った。
砂は、口や鼻、目の中にも入り込んでいる。
もっとも厄介だったのは、先ほど薄目をあけた際に入った目の中の砂だった。痛みがひどく、長くはあけていられない。
グドンは、よろよろと小走りに波打ち際まで行くと、そのままザブンと海中へ飛び込んだ。
何度も顔や頭を擦り、塩辛いのを我慢して口の中を何度もゆすぐ。瞳を傷つけぬよう気遣いながら、目に入った砂も丁寧に洗い流した。
ほとんどの砂が洗い流せたのを確認し、グドンは浜辺に上がって再び大の字に寝転んだ。
なぜ、自分が砂に埋もれていたのか理解できなかった。
恐らく人為的なものだろうと思ったが、そんなことをする相手も理由も思いつかない。
痛めつけるというならわかるが、砂に埋めるなどと意味のないことを、どこの暇人がするだろうか?
いうまでもなく、グドンはホウカやリンタロウの存在には気づいていなかった。自分が彼らに幻覚を見せたという自覚もまったくない。ホウカが己になした仕打ちを知ったら、あまりにひどい濡れ衣だと抗議しただろう。
元々、深夜に、町からこれほど離れた海岸までやってきたのは、ほかの者に気づかれたり、被害を与えたりしないためだ。それを勝手につけてきて、被害を受けたから仕返したというのは、あまりにも身勝手な屁理屈ではないか。
だが、今は、自分を砂に埋めたのがホウカたちとは知るはずもなく、狐に抓まれた心境で自分の不運を嘆くしかなかった。
実のところ、ホウカとリンタロウが、グドンのいない世界で夫婦生活を送る幻覚を見ていたとき、グドンはまったく別の幻覚の中にいた。
それは彼が作った幻覚ではなく、新たに生まれた幻覚でもなかった。
彼がいたのは過去に見た幻影の中だった。
そのときの体験を思い出し、グドンは思わずにんまりとした。
これで、この島で起きていることの大半がわかった気がしたからだ。
あと残るのはそれをどう解決するかだ。
しばらくして、心も体も落ち着くと、グドンは立ち上がり宿舎へ向けて歩き出した。




