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半妖グドンの選択  作者: すいかあたま
第二章 蟻巣島
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86/203

86 殺し

 ホウカ手作りの夕食を二人で食べ、話をしながら晩酌を楽しんだ。

 食事が終わるころには、リンタロウは卓の上に突っ伏してすうすう寝息を立てていた。

 夜、彼女が互助組の仕事へ出る際は、いつも酒の中に少量の眠り薬を混ぜた。こうすれば、翌朝、布団の中で目を覚ますまで、リンタロウは前後不覚で眠り続ける。

 深夜を待ち家を出たホウカは、ショウケイの邸宅前でほかの仲間と落ち合った。

 ひょっとこ、鬼、お多福、犬…。

 どの顔からも、強い緊張感と少しの期待が窺える。

 邸宅は周囲をぐるりと城壁で囲まれていた。

 渡された地図によれば、城壁には五つの門がある。今、五人は、そうした五つの門の中で、ショウケイ一家の居住する建物から一番近い東門の近くにいた。

 まずホウカが城壁の上端へひょいと飛び移る。

 四人も、それぞれの手段で城壁へとよじ登った。

 上端で改めて顔を合わせた面々は、屋敷の広大さに圧倒され息をのんだ。

 これはもはや屋敷などと呼べるものではない。まさに小さな町だ。

 町をざっと見渡すと、中央のやや北側寄りに、ショウケイの住む本殿があった。

 その本殿を奥にして、手前には、ショウケイ個人の生活を支える使用人たちの長屋が並んでいる。いわば使用人居住区だ。さらにその手前、正門を臨む場所には、巨大な執務用の建物が聳え立ち、そこには、複数の執務室のほか、応接間、執務する役人の休憩室、多数の書庫や食事場所が入っていた。

 ショウケイ自身の執務場所や家族の居住地は本殿地区にある。本殿地区と執務地区、使用人居住地区の間には、高い塀があって隔絶されていた。

 塀の内側、本殿地区の左手には大きな池も見える。池の中央には東屋があり、橋を通って行き来ができた。この池の周辺だけでも、庭と呼ぶのが躊躇われるような規模だった。

 本殿区域に入ったあとも、そこから実際にショウケイの寝所へ行くとなれば、彼の執務室や、使用人の詰め所の横を、複雑に入り組んだ回廊を進んでいくことになる。

 こうした本殿区域の西側と北側には、役人たちの家族が住むさらに広大な敷地が控えていた。

 城壁はこれらすべてを取り囲んでいる。

 驚くべきは、ここが藩主の屋敷ではなく、その補佐役の屋敷という点だ。ならば、藩主自身の屋敷とは、いったいどれほどのものだろうか?

 こうした現実を目の当たりにするたび、ホウカはいつも反吐の出る思いがした。

 この世に、公平などというものはどこにも存在しない。ほとんどの富は一点、もしくは数少ない点に集中している。あたかも、それ以外の人間は生きていればそれで十分といわんばかりに。

 そして、こうした汚らしい世の現実が、殺しに対するホウカの自責の念を摩滅させいた。

 出来ることなら、この屋敷に火をつけて、今すぐすべてを灰にしてやりたい。どこからとも湧き上がるそんな憤怒を、今夜もホウカは抑えることができなかった。

 ショウケイの子だろうが、誰の子だろうが、親の罪は、その子の罪!

 ホウカはそう自分にいい聞かせ、城壁の上端からひらりと飛び降りると、門前を走り抜け、再び別の建物の屋根に飛び移った。

 すかさず残った四人も彼女の後に続く。彼らに屋根へ飛び移る力はないから、ホウカの背中を目で追いつつ、地上を一目散に駆け抜ける。

 周辺に衛兵らしい人影は見えなかった。

 これはショウケイが予め手配したことに違いなかった。ホウカたちにはそれがわかっていたから、誰も不自然とは感じない。屋敷の主が自ら計画したわが子暗殺なのだ。普通に考えればありえないことだったが、どれほど不自然だろうと、ホウカたちの知ったことではなかった。

 ホウカは屋根から別の屋根へと次々に飛び移る。

 彼女がこうした力を得たのは、実は、グドンが死んだあとだった。

 それまでは、これといった妖力のなかったホウカが、グドンの死後、突然いくつかの力に目覚めた。その一つがこうして空間を身軽に移動する能力だ。

 実際に空が飛べるわけではない。だが、屋根に跳び乗ったり、屋根と屋根の間を跳び越えるくらいはわけもなかった。

 もう一つの能力は物を飛翔させ、自由に扱う能力。

 例えば短刀や礫を頭上で回転させ、目標へ向かって飛ばすのだ。短刀はまるで弓で射た矢のように飛び、目標を貫いた。必要であれば、相手の首をぐるりと回って掻き切ることも可能だ。

 彼女はこの力を使い、すでに多くの人間の命を奪ってきた。

 ひょっとこやお多福ら四人は必死でホウカの背中を追っていく。

 地図が頭に入っているから迷うことはない。だが、目的地へ行きつくまでには長い時間を要するはずだった。平面の地図と実際の現場とはずれがある。ましてや漆黒に近い闇の中では思うように前へ進めない。

 そうした面倒を一気に解消してくれるのがホウカの存在だった。

 彼女は上空から敷地全体を俯瞰しているから、まっすぐ目的地へ向かうことができる。途中何か障害物があればすぐ発見することも可能だった。

 突然、ホウカが足を止めた。

 残りの者たちも少し遅れて、彼女が立つ建物の傍へ到着した。

 皆、ゼイゼイ息を切らしている。 

 ホウカは、屋根の上で、彼らの体力が戻るのを待った。

 だが、次の刹那、彼らの準備が整うのを待つことなく、二つの人影が忽然と四人の前に現れた。

 四人の中の誰一人、彼らがいつ、どうやって自分に近づいたのか気づかなかった。ホウカだけは気づいていたが、それを大声で四人に警告するほど愚かではなかった。

 二つの影が低い姿勢で犬と鬼へ突進しようとしたとき、ホウカの手元から放たれた礫が空気を切る音とともに二つの影めがけて飛んでいた。

 二つの影は足を止め、手にした小刀で礫から身を守ろうとする。

 ギン! ギン!

 金属が激突する音がして、闇の中に一瞬小さな火花が飛ぶ。

 動きを止めた二つの影が中年の男と若い女の姿に変化した。

 どちらも驚きと恐怖に目を見開いている。

 お多福たち四人は、ようやく余裕を取り戻し体勢を立て直すと、二人に向けて踊りかかった。

 それを確認したホウカは、屋根の庇に手をかけ宙にぶら下がると、そのままの勢いで窓を蹴破り建物の中へ侵入した。

 夜の静寂に板の弾ける音が大きく響く。

 音は建物の中にいる者を警戒させるだろうが、それは端から承知の上だった。すでに戦闘は始まっている。音を立てなくとも、どうせ、ほかの者たちもすぐに駆けつけてくるだろう。

 速戦速決。今は何よりも時間が貴重だった。それ以外のことは構っていられない。

 室内に侵入した瞬間、何かが闇の中で動く気配がした。

 本能的に危険を察知したホウカは、体を沈め、頭から転がると、さらに床の上を二転三転した。

 彼女を追うように、ブスリ、ブスリと固いものが床に突き刺さる。

 護衛は三人、と資料にあった。となれば、残るのはあと一人。きっとそいつが投げた飛び道具に違いない。

 ホウカはその出所を予測し、即座に礫を放った。

 ガチンと鈍い音がして、暗闇にまた小さな火花が散る。

 間髪入れず、小刀がホウカの手元から放たれる。しかし、小刀は音がしたほうとは別のあらぬ方向へと飛んでいく。

「糞っ!」

 男の罵りと同時に、何かが闇の中で動いた。

 次の瞬間、うっと小さな呻き声が上がる。

 小刀が相手の体に命中したのだ。だが、ホウカの顔には微塵も嬉しそうな表情はなく、むしろ厳しい表情で口元を歪めた。

「人族じゃないわね、あなた。半妖? 人族がそんなに素早く動けるはずがない」

 ホウカがいうと、

「半妖だったら何だ?」

 と闇の中で男の渋い声がした。

 一瞬の静寂。

「背中の後ろに庇っているこどもを渡せば、見逃してあげてもいい」

 ホウカの声に、男がはっと息をのんだ。

「闇の中で目が見えるのか?」

 だが、ホウカはそれには答えず、

「忠告してあげる。人族の犬として死ぬのはつまらないわよ。悲しすぎる。いい? 今から三つ数えるから。一つ、…二つ、…」

 三つ目を数えることなく、二人は同時に自分の暗器を相手に向け放っていた。

 ホウカの頬をかすめるように何かが飛んでいく。

 彼女の小刀は男の前で丸く円を描くように方向を変え、背後へ回り込んで目標を貫いた。

 だが、こどもを貫いたはずの小刀は、小さく乾いた音を立てただけで、そのまま背後の壁に突き刺さる。子供の悲鳴や泣き叫ぶ声は聞こえなかった。

 男がしてやったりと口元を緩めたとき、ホウカはすでに男の頭上にいた。

「死ね!」

 彼女の声と、礫が男の頭蓋骨を砕くのはほぼ同時だった。

 男は糸が切れた操り人形のように床へ崩れ落ちた。

「タツミ(辰巳)!」

 今度こそ、どこかでこどもの声が聞こえた。

 とはいえ、たとえ声がしなくても、ホウカには目標の位置が正確に把握できていた。どれほど息をひそめても、こどもの呼吸音を完全に消すのは不可能だ。この部屋からこどもを連れ出さないまま、ホウカと相対した時点で、相手はすでに敗れていた。

 ホウカは音もなく、こどもの背後に回り込み、その首を締めあげた。

 あとほんの少し手に力を加えれば、こどもの首の骨が折れる。

 そう思ったとき、我慢のできない頭痛が彼女を襲った。

 まるで本当に錐で頭を突かれたようだ。

 先刻、礫で頭を砕かれたときも、男はこんな痛みを感じたのだろうか?

 思わず目をつむり、顔を顰めた刹那、何か冷たく硬いものものが彼女の肉体を貫いた。

 それがこどもの握った小刀だとわかったときも、ホウカは冷静な目で相手を見下ろしていた。

「そんなもので、わたしが殺せる?」

 だが、彼女の目の前で、こともの顔がどろどろ溶けて変形し、別の者に変わったとき、ホウカの表情が一変した。

 グドン…!

 それは悪魔のように裂けた口で彼女をあざ笑うグドンだった。

「化け物、死ぬがいい」

 グドンの冷たい声が響き、小刀が二度、三度と彼女の体を突き上げる。

 しかし、痛いのは彼女の肉体ではなく、心だった。

 グドン、どうして…?

 瞳から大粒の涙が零れ落ち、彼女はもう何もわからなくなった。

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