79 深まる疑念
「奇妙なところって、どこ?」
とホウカが訊く。
「襲われて、奴らから逃げることに必死で、わたしには何かを感じる暇なんてなかったけど。奇妙って、いったい、どういう意味?」
「おいらたちを殺さないで去っていったことだよ」
「それは、元々、そういうもんじゃないのか?」
とリンタロウ。
「これまでもずっとそうだったし、奴らから一定の距離を保てば襲ってこない、最後にはいなくなるって、誰もがそう話している」
「ずっとそうだったから、奇妙でないわけじゃないよ」
グドンが苦笑する。
「彼らが最後まで襲ってこないのには、何かそれなりの理由があるはずなんだ」
「その通りだ」
トクサワが満足したようにグドンを見た。やっとほんの少し笑顔が戻っている。
グドンが続ける。
「あの時、おいらは、薬草を根こそぎ持って行かせないためじゃないか、と思った。どんなことにも、永続のためには管理が必要でしょ。だから、使役者が薬草を摘むのを中止すればそれで十分で、初めから殺意はなかったとね。でも、どこかまだしっくりこなかった。初め、おいらたちを囲んだ時は明らかに殺意があった気がしたし」
「そう感じたのは、きみ一人じゃないんだよ」
とトクサワ。
「ほかにも、頭の回る者たちの中には、彼らの目的が何だったのか不思議に思った人間がいた」
三重顎の言葉を聞いたホウカとリンタロウは、自分たちが頭の回らない者の一人、といわれた気がして意気消沈した。
「それで、具体的においらは何をすればいいの?」
「次回奴らに出会ったら、とことん敵対してもらいたい」
トクサワが言うと、ホウカとリンタロウは表情を固くした。
「それは、わたしたちに死ねという意味ね?」
とホウカが詰問する。
「もちろん、最後の最後まで徹底抗戦しろとはいわない」
トクサワは平然と彼女の叱責を受け流す。会話の対象はグドンで、彼女ではないからだ。
「もうこれ以上は危険と判断したら、逃げてもらって構わない。だが、どこが彼らの我慢の限界か、それが知りたいのだよ。そうすれば、自ずと真の目的も分かる。ひょっとすると、何かもっと大きな秘密が隠されているのかもしれない」
「何万という蟻の大群を前に、そんな悠長な真似ができるかしら?」
とホウカ。
「そうさ。やれると思うなら、あんたがやるか、あんたの手下にやらせればいい。大群にのみ込まれる前に、あと一分早く逃げておけばよかった、ときっと後悔するだろうよ」
とリンタロウも加勢した。
「元々、きみたち二人には期待していない」
ホウカたちに視線を向けることさえなく、三重顎が決めつけた。
「やってもいいよ」
グドンが答えると、ホウカとリンタロウは息をのんだ。
「冗談でしょ。駄目よ」「絶対駄目だ」
と口をそろえ猛反対する。
いっぽう、三重顎は平然と、
「元々そういう約束だからな」
とだけ言った。
「おいらは、約束なんて守る気はなかったよ」
グドンは淡々と答えた。
「この島で何が起ころうと、基本的にそれはあなたたちの問題でおいらとは関係ない。とりあえず約束したのは、純粋に、リンタロウたちの命に関係する可能性があったから。それと関係がなければあなたとの約束なんてどうでもいい」
グドンの告白に、ホウカは驚いて口をあけ、リンタロウは感激して笑顔になった。
「だが、今さっき、きみはやってもいいと言ったじゃないか?」
怒ったふうでもなく、トクサワが尋ねる。
「そうだよ。多少なりともリンタロウたちの命と関りがある気がするし…。だけど、やるなら、条件がある。公平と思える条件がね」
「ほう。聞こうじゃないか」
面白がるように、トクサワは左右の掌を組んでグドンの目を覗き込む。
「あなたにとってはたぶん簡単なことだよ。まず、おいらは、もう一度、七号の薬草地へ入りたい。そこから無事に帰ったら、次は聖地。でも、島主たちはそれを邪魔するだろうと思う。だから、あなたにはそれを阻止してもらいたい。それともう一つ、リンタロウの妹を治療する薬がほしい」
「え!」
リンタロウが思わず声を上げた。
三重顎は黙ってリンタロウへ視線を向ける。リンタロウの顔に、ほんの一瞬、先刻トクサワを殴ったことを後悔する表情が浮かんだ。
「グドン、妹のことは…」
いいんだと言おうとしたが、先が続かなかった。
「どうするの?」
グドンが答えを促すと、トクサワは唇の端を小さく歪めしばらく黙考してから、
「いいだろう」
と頷いた。
「それと、七号の薬草地へ入る前に、何日か時間がほしいな。少しやりたいことがあるし、リンタロウの妹に薬が渡ったかどうかも確認したい」
「全然わたしを信用していないようだな」
と三重顎が薄く笑う。
「あなたは、おいらを信用してる?」
グドンも笑った。
会話は終了したというように、トクサワは椅子から立ち上がった。
「妹さんは今、カブラキ女史と一緒だから丁度都合がいい。ここの治療師に検査させて、必要な薬を用意させよう。それと…」
トクサワは束の間言い淀んでから、
「今の話を町中に広めて、島主たちを懲らしめようなどとは考えないことだ。あれは、ただの噂にすぎんし何の証拠もない。だいたい、町の実力者には噂を知っている者も少なくない。知っていて放置してるんだ。もちろん、噂が本当でも、大金のためならそれでかまわないと考える者も大ぜいいる。騒いだところで、きみらが痛い思いをするだけだ。わかるね? それじゃ、グドンくん、次に会うのを楽しみにしている」
グドンたちの挨拶を待つことなく、トクサワは部屋を出ていった。
「おれ、何て言っていいか…」
三人だけになると、リンタロウは気まずそうに頭を掻いた。
「とにかく、この恩は忘れないよ。薬草地や聖地では、おれのできることは何でもする。誓うよ」
そうは言ったものの、自分にそんな力がないことはわかっていた。むしろ、足手纏いになるのが関の山だろう。実際、今回の七号薬草地ではそうだった。
グドンは、気にしないでというように二三度手をひらひらさせた。
「薬草地で妖獣と対峙するなんて、何か勝算はあるの?」
現実へ引き戻すように、ホウカが厳しい声を出した。
「薬師協会の会長が望んでいるように、妖獣と真正面から対決する気はないんだ」
とグドン。
「小犬の妖獣には、おいらの術がまったく効かないようだったし、今はとても敵う相手じゃないと思う」
「じゃ、どうするのよ?」
ホウカの、彼を責める口調がさらに厳しくなる。
「適当に誤魔化すよ。どうせ薬草地へは入るんだし、中で何が起きたかなんて誰にもわからない。それよりも…」
と、グドンは改めて二人を見た。
「これから起こることに、きみたちは二人は関わらないほうがいい。出来るならすぐにこの島を離れるべきだけど、それが無理なら逃げる準備だけはして、出来るだけ安全なところに留まるんだ」
「あなた一人が危険を背負い込むというの? わたしたちにはそれを傍観していろと? そんなことできるわけないでしょ」
ホウカが言うと、リンタロウも覚悟を決めた顔つきで、
「おれは命にかけても…」
と言いかける。
それを困った顔でグドンが制し、
「きみたちは何か勘違いをしてるよ。おいらが薬草地へ行くのは、純粋に秘密を探るのが面白そうだからだよ。島を救いたいからじゃない。労働者のことだって、今はもう薬草地へ行かない理由が出来たでしょ? それでも行くというなら、それはその人の自由でおいらに助ける義務はないよ。妹さんの薬のことは、薬草地へ入ることは何の関係もない。だから、いざとなったら、おいらは逃げる。そのための準備もするつもり。二人は二人で、おいらが気を遣わなくて済むように、自分の命を守る準備をしてほしい。そういうことだよ」
グドンの言う正論に、ホウカとリンタロウは黙り込んだ。
「そんなことをいっても誤魔化されないわ」
ホウカがやっといったが、その口調には力がなかった。
「それにね」
と、グドンが続けた。
「おいらは、この島が崩壊するなら崩壊するで、そのほうがいい気がするんだ。そうなれば、リンタロウたち使役者の契約も自動的に反故になるだろうしね。だから、今大切なのは自分たちの命を守ること。それ以外には何もない。わかるでしょ?」
言われてリンタロウは考える顔になった。確かに、妹コンの薬が手に入れば、もうこの島に用はなかった。心配なのは島主らが彼を手放してくれないことだが、仮に島そのものが潰れてしまえばその心配もなくなる。
リンタロウの反応に、グドンは笑顔を見せた。
だが、本心はもっとずっと複雑だった。
本当にこのまま放置すれば島は崩壊するんだろうか? 崩壊すれば、二度と死んだ使役者のような犠牲者は出なくなる?
グドンは、それほどことは単純ではない気がした。
島にはまだほかにも彼らが気づいていない秘密がある気がしてならなかった。
だいたい、アサホがなぜあんなに安閑としていられるのかも不思議だった。本来なら、彼女が一番焦っていてよいはずなのだ。何しろ、島の現状に最も詳しいのは彼女なのだから。なのに、彼女は焦っていない。だったら、何かそれなりの理由があるはずだ。
自分を守るためにも、今は、こうした謎を一つ一つ解き明かしていくしかない。
グドンはヨイショと立ち上がり、
「おいらは部屋で一休みするよ。色々準備したいこともあるし」
と、ホウカとリンタロウへ別れを告げた。
グドンが出ていき、二人きりになると、ホウカが大きく溜息をついた、
「まるで、わたしたちがお荷物でしかないって態度よね?」
リンタロウも頭をかく。
「仕方ないよ。事実そうなんだから」
しばらく考え込んでから、ホウカは何か決心したように腰を上げた。
「やっぱり駄目。グドンの思い通りにはさせない。何をどうするつもりか知らないけど、わたしも絶対についていく。足手纏いになっても」
そう言いおくと、彼女は足早に部屋から出ていった。
一人になったリンタロウはまた大きく溜息をついた。




