72 別の世界
次の瞬間、周囲がぱっと明るくなり、目前に広大な土地が広がった。それは、グドンが想像していた一面のお花畑や薬草畑ではなく、見渡す限りどこまでも続く、なだらかな丘陵地帯だった。
これがリンタロウのいう薬草地だろうか? もしそうなら、ここだけでも、蟻巣島と同じくらいの面積がありそうに思えた。
ここは本当に別の世界じゃないのか?
グドンはその広大さにまず違和感を抱いた。さらに蟻の巣が何層にも重なっていることを考えると、全体でどれほどの大きさになるのか想像すらできない。到底、蟻巣島の地下に存在しているとは思えなかった。
「わあ、凄いのね!」
初めて薬草地を見るホウカも驚きの声を上げた。
グドンが振り向くと、ホウカとリンタロウが、迷子になることもなくしっかり彼の後に従っている。
「さっき、きみたちは何か感じた?」
グドンが訊くと、二人は困惑した目で彼を見た。
「感じたって、何を?」
リンタロウが尋ねる。
「いや、いい」
グドンは適当に誤魔化し、
「これからどうすればいいの? 想像していたのと少し違うから、薬草をどう探せばいいのかわからない」
とリンタロウの指示を仰いだ。
「ただ歩き回って、足で探すしかない。でも、薬草は群生しているわけじゃないから、簡単には見つからない。比較的価値の低いものは別だけどね。価値の低いものは雑草のように伸びるているから、奥のほうへ行けば、今もたくさん見つかると思う」
「雑草のように? そういえばここでは雨が降るの? 雨なしには雑草も生えないでしょ?」
もっともな疑問をホウカが口にした。
実はグドンも同じことを考えていた。気になったのは雨とお日様だ。ここは地下だから太陽は目視できない。それなのに、あたりは昼間のように明るかった。やはり何かしらの光源があるようだ。
「雨は降るよ。土砂降りの日さえある。今日はたまたま晴れているけどね。太陽の件は、皆が不思議に思っている。でも、誰も答えを知らない。知らなくても、その内に、どうでもよくなってしまう」
理解できる気がして、グドンとホウカは頷いた。
それに、もっと不思議なことがあるし、とグドンは思った。幾ら土地が広大でも、薬草がなくならないのは、やはりどう考えても不自然だ。まるで誰かが種をまいて、大量栽培しているようだ。しかも、驚異的な速度で薬草を成長させなければ、この島のようなことは起こらない。
だが、そんなことが可能だろうか?
背後で、ひとがガヤガヤ騒ぐ声がして、グドンが振り返ると、ほかの使役者たちが次々に通路を通って姿を現した。
グドンたちの選択が間違いでなかったとわかって、皆、後に続いたようだ。
誰もが安堵と感動で晴れやかな笑顔を見せている。
「リンタロウ、この借りは必ずいつか返すよ」「次も絶対にお世話になるから、見捨てないでくれよ」「おまえら、神様だよ」
彼らは口々に感謝の言葉を口にし、それぞれ思い思いの方向へ散っていく。
「おれたちも薬草探しを始めよう」
リンタロウが先頭に立って歩き始めた。
「あなたは、もう何度もここへは来てるんでしょ?」
彼の後ろから、グドンと肩を並べるように歩き始めたホウカが訊くと、リンタロウはなぜか奇妙な表情を浮かべた。
「七号の入口から入ったことは何度もあるよ」
と曖昧な返答をする。
「入ったことはある?」
グドンも訝って片眉を上げると、リンタロウはへへと小さく笑った。
「何がおかしいの?」
ホウカが詰問する。
「ひょっとして、入ったことがあるのと、この薬草地に詳しいのとは、別問題と言いたいの?」
グドンの憶測に、リンタロウはまた小さく親指を立てた。
「それぞれの入口と、その先にある薬草地が繋がっているのは、その通りだよ。その薬草地がどんな状態にあるかも変わらない。たとえば、危険性とか薬草の枯渇程度とか、どのレベルの薬草があるかとかね。でも、薬草地の地形やどこに薬草が生えているかは、その時々で違うんだ。実際、前回ここへ来たとき、ここは森だった」
驚いたホウカがあんぐりと口を開いた。
グドンも改めて周囲を見回し、どう見ても森と表現する場所ではないのを確認して、吐息をついた。
どんな広大な土地でも、薬草が枯渇しないのは変だと思ったが、やはり何か裏がありそうだ。それぞれの入口は、ひょっとすると幾つもの違う土地に繋がっていて、どこへ行きつくかは毎回変化するのかもしれない。もしそうなら、いったい、どれだけの薬草地が存在するのか? グドンは改めて首を捻った。
それともう一つ、分岐点を通るときに、グドンは思いついたことがあった。
周囲の空気が揺らぐように感じたあの瞬間、自分はどこかへ伝送されたのではないか、という考えだ。
分岐点を通ったあと、グドンが出たのは、蟻巣島のどこかではなく、もっとずっと遠く離れた、広大な薬草地のある別の土地だった、と想像したのだ。もしそうなら、すべての辻褄が合う。
彼自身は見たことはないが、昔、古族という部族が仕切っていた町には、そうした装置があったという。そうした話をグドンは聞いたことがあった。
ただその場合は、伝送元と伝送先に装置を操作する要員がいるのが通常のはずだ。だが、薬草地の分岐点には、そうした者の姿は見当たらなかった。だとすると、伝送ではなかった可能性もあるが…。
いずれにせよ、蟻の巣だろうが何だろうが、ここが普通の薬草地とはとても思えなかった。
リンタロウに先導され、二人はどんどん先へ進んだ。
薬草地の中には小川があり、丘や谷間があり、小さな滝やため池もあった。
滝の近くでは、腰を下ろし、風景を眺めながら三人で昼食をとった。
元々、ホウカは物見遊山だったし、グドンも、出来るかぎり島での生活を楽しみたいと思っていた。
薬草とりという目的がなくとも、知らない土地を歩き回るだけで、グドンはかつてない解放感に包まれ、喜びを感じた。
食事はリンタロウが用意してくれていた。
朝、グドンが部屋を訪ねたとき、リンタロウがいなかったのは、弁当の調達をしていたためらしい。
「食事のことは、昨日、きみに話せばよかったんだけど…」
リンタロウはむしろ申し訳なさそうに弁当を差し出した。
だが、問題は弁当が二人分しかないことだった。ホウカが参加するとは想定していなかったから、彼女の分は用意していなかったのだ。
ところがホウカは、
「大丈夫よ。わたしはグドンのお弁当を半分ずつするから」
と、何でもないことのように言って、当然のようにグドンに体を摺り寄せてくる。
グドンはことさら大袈裟な反応を示すことなく、彼女に弁当を差し出した。
もうこうした状況を受け入れるしかない、と彼は半ば諦める気持ちになっていた。
食事が終わると、三人はまた薬草探しを続けた。
だが、薬草はなかなか見つからなかった。
それ以前に、歩いても歩いても果てというものに行きつかない。まるで土地が無限に広がっているようにさえ思えた。広すぎるからか、歩くている途中で、別の使役者たちに出くわすこともなかった。
実のところ、薬草をめぐって、ほかの使役者と争いにならないか、とグドンは危惧していた。たかが薬草のためとはいっても、人は利益のために平気で傷つけあったり、殺し合ったりする。そうした愚かな行為だけは、是非とも願い下げにしたいと思っていた。
しかし、そうした心配は完全に杞憂に終わった。あまりに誰にも会わないので、寂しいと感じたくらいだ。傍にリンタロウとホウカがいなかったら、不安や不気味さを禁じ得なかったかもしれない。
「いったい、どこまで歩けばいいの?」
一向に薬草のある土地へたどり着けないことで、業を煮やしたホウカが、ついに音を上げ始めた。
いつもなら、「お嬢様は先に帰れば」と皮肉の一つも言うグドンでさえ、今は彼女に賛同したい気分になっていた。
「ひょっとして、薬草が一本も見つからないということもありえるの?」
グドンが訊くと、
「ゼロということはないけど、量の多寡は当然あるよ。薬草地に当たり外れがあるように、日によっても当たりはずれはある。それにしても、今日は…」
リンタロウが、案内人としての自分の無能さを謝罪する目になったとき、グドンたちの視線の先に、洞窟のようなものが現れた。
それは低い丘のような土地に、半ば地下へ潜るような形で開いていた。
「何だか、大型の獣が塒にしていそうな洞窟ね」
好奇心と警戒心の入り混じった声でホウカがいうと、リンタロウも一瞬、身構えるような姿勢になった。
ゆっくり近づき、そっと窺うように洞窟の中へ目を向ける。
グドンは、足音を忍ばせ彼の背後に近づくと、無防備な姿で油断しているリンタロウの脇腹を容赦なく指で強く突いた。
「ひっ!」
リンタロウが叫んで飛び上がる。
それを見て、グドンは大笑いした。
「我らのリンタロウ先輩が、こんな臆病者だったとは思いもしなかった」
「冗談は勘弁してくれよ」
振り向いたリンタロウの顔が恐怖と羞恥で赤らんでいる。
「これは、本当に命懸けの作業なんだから。死ぬかと思ったじゃないか!」
彼の非難にも、グドンは我存ぜぬの顔で、
「これをコンが見たら何と思うかな? お兄ちゃんは命知らずじゃなかったのって、がっかりするかもしれないよ。いや、意外にきみを見直すかもね」
リンタロウはいったん彼をじっと睨んでから、やっと笑顔になった。
「覚えてろよ。グドンが一番油断してるときに、おれも仕返ししてやるから」
「望むところだよ」
二人は尚も大笑いした。笑い終わって、グドンがふとホウカを見ると、彼女は何やら複雑な表情で彼を見つめている。
「何?」
こんなところで大笑いするのは不謹慎?
彼女に皮肉をいわれるのを警戒し、グドンは片眉を上げて見せたが、ホウカは意外にも慌てて視線を逸らせ、
「さあ、早く洞窟の中を探索しましょ」
と、リンタロウの背中を押して自ら洞窟のほうへと去っていく。
何だ、あいつ…。
グドンは、やはりいつもの彼女らしくないと思いつつも、お嬢様の気まぐれをいちいち気にしても仕方ないかと思い直し、自分も洞窟のほうへ向け歩き出した。




