71 罠を仕掛けたのは誰か
「ことはそんなに簡単じゃないんだよ」
と、リンタロウは溜息をつく。
「地上にあった入口を自由に選べないのと同じで、途中で勝手に棄権できるわけじゃないんだ。棄権した者には厳しい罰則がかされる」
「罰則?」
「そう。これまで島で稼いできた貯蓄の半分を没収されてしまう。きみらのように、この島へ来たばかりの者はいい。でも、大半はここで何年も使役に就いている。その間に貯めた金の半分を失うことになるんだよ。しかも、使役期間は最初からやり直しになる。つまり新たに十年だ。こんな罰則を受け入れられる奴はいない」
もちろん、自分もその一人だ、とリンタロウは言いたいようだ。
グドンやホウカにもそれが痛いほど伝わった。
「だから、今、地上へ戻ろうとしてる者は、ここへ来てまだ日が浅い奴らばかりさ」
おれは無一文なままここを離れることになる、と嘆いていた労働者の気持ちが、グドンにも理解できた気がした。
「でも、死ぬよりはましでしょ?」
と、ホウカが食い下がる。
リンタロウは返事をしなかった。
「悲鳴を上げた人は確かに死んだの? 道の途中で倒れているようなことはない?」
とグドンが訊く。
「ないと思う。悲鳴は徐々に消え入るように聞こえなくなった、と皆いっている。底なしの穴へ落ちるようにね」
「じゃ、ほかの入口は? 今回、ほかの入口へ入った者はいないの?」
「いる」
「ちょっと待って!」
頷くリンタロウに、突然、ホウカが癇癪を起こした。
「だったらその入口を進めばいい、と言うんじゃないでしょうね? グドン、あなたの顔にそう書いてあるわ。だけど、わたしは絶対に認めないから」
彼女の剣幕に辟易しながら、グドンは、
「そんなことは言わないよ。もし、その入口を進めばいいのなら、誰もここに残って悲壮な顔を並べてないだろ?」
言われたホウカはあっとなり、リンタロウへ目線を移した。
「あくまで聖地の場合だけど、誰かが罠にかかったあと、入口の先はシャッフルされてしまう。つまり新たな組み換えが起こるんだ」
「新たな組み換え?」
「これまで罠があった入口と安全だった入口が無作為に入れ替わる、ということだよ」
「あ、だったら、また一からやり直しというわけ?」
ホウカもさすがに血の気を失った。
「あなた方は、それでもまだ入るかどうか迷ってるの? 本当にどうかしてるんじゃない?」
彼女は怒りを通り越して呆れている。
「それが聖地の危険というわけか…」
呟いたグドンも溜息をついた。
「それがわかっていて、まだ聖地へ入る人族がいるの? わたしには信じられないけど」
「いや、聖地の危険はそれ以上だよ」
と、リンタロウが付け加えた。
「ここの入口は今、恐らく四本のうちの一本だけに罠がある。あとの三本は安全というわけだ。でも、聖地の場合は、三つ入口があったら、その内二つは死の入口だ」
聞いたホウカは、世の中にこれほど愚かな生き物が存在するのか、という侮蔑の目でリンタロウを見つめた。
「これまで、きみは何度聖地へ入ったの?」
とグドン。
「三度」
リンタロウはへへと照れたように笑った。
「でも、以前は、今ほど危険じゃなかったんだよ。三つのうち二つが死の入り口になったのはここ最近で、以前はその逆だった。一般の薬草地は、以前にもいったように危険性はほぼなかった」
「それが最近になって変化したわけだね?」
「そういうこと」
兄を聖地へ入らせないよう泣いて懇願したコンの気持ちが、グドンにもわかった気がした。これは博打などというレベルではない。ほぼ確実に命を落とす死の遊戯といったほうが適切だった。
ここでの活動に関しては、さすがに彼もホウカの意見に同調しないわけにはいかなかった。すべての使役者は今すぐ作業をやめて宿舎へ帰るべきだ。いや、こんな薬草とりの方法は元々間違っている。これじゃ、まるで人の命を道具扱いしてるのと同じだ。
それにしても問題は、これは誰が仕掛けた罠かということだが…。
その疑問をリンタロウにぶつけると、
「それは蟻なんじゃないか?」
と、当たり前のように彼は答えた。
「ここは蟻巣島だし、おれたちが今いるのは元々蟻の巣だったところだからね」
「蟻が何のために、労働者を罠にかけるの?」
ホウカが訝る。
「さあ、薬草を盗られるのが嫌だからかな」
と至って熱意なく答える。
自分の命がかかっていることになぜこうも無頓着なのか、グドンは首を傾げざるを得なかった。
恐らく、薬草とり自体がギャンブルになってしまっているからではないか、とグドンは推測した。
大きな見返りを求めるなら、多少の危険があるのは当たり前とでも思っているのだろう。
つまり、分岐点の穴は遊戯のルールだ。
誰がそのルールを決め、どうして決まったのかは問題ではない。こうしたルールがあるのが全ての前提で、それを受け入れ参加するかどうかはあなた次第、というわけだ。そして、参加者のそうした浅はかさをアサホたち幹部が利用して金儲けをしている。
島のことを知れば知るほどグドンは腹が立った。
それでも、グドンは、入口の一つへ向かうと、そのまま奥へ進もうとした。
今は、ここで起きていることを探り、同時に、命を落とす者が一人でも減るように力を尽くさなくてはならない。
一瞬遅れたものの、ホウカが凄い勢いで彼を追いかけ背後から抱き着いた。
リンタロウはもちろん、その場にいた誰もが呆気に取られ、束の間、身動きできなかった。
それまでの悲壮な雰囲気が、そのときだけぷつりと途切れたように思えた。
抱き着いたホウカは、自分の頬をグドンの背中へ押し付けたまま、
「お願いだから、愚かな真似はやめて!」
と懇願する声を出した。
リンタロウは口をあけたまま二人を見ている。
振り向いて、自分の体に抱きついている彼女をしばらく見下ろしたあと、グドンはゆっくり彼女の腕を解き、正面から向かい合った。
ホウカは今自分に抱き着いた。それも、湖のときと違い、現在は彼女に何か危険が迫っているわけでもないのに。
「ありがとう」
と、グドンは真面目くさった顔で言った。
「きみらしくないと思うけど、おいらのことを心配してくれて心から感謝するよ。でも、抱き着くのはまだ少し早いかもしれない。きみも言ったでしょ? もう一度一から始めるって。だから、お互いに行動にはもっと慎重であるべきだと思う。違う?」
それからさらに、
「それに、きみは、おいらが化け物の子であることを忘れているよ」
と、全然別のことを言った。
「化け物の子?」
と、顔を真っ赤にしたホウカ。
「おいらが何の確証もなく危険を冒すと思う?」
「どういうこと?」
「あ、ひょっとして、グドンには、どれが安全な入口なのかわかるんじゃないか?」
そう思いついたリンタロウが慌てて彼に近づく。
「わかる、と思う」
そういうと、グドンは四つの入り口のうち、右から二番目の入り口を指さした。
「この入口だけが他とは違っている。うまく言えないけど、ほかは先へ進むと道が途切れていてぼんやりしている。いわば実体がないように見えるんだ」
「実体がない?」
それを聞いていた使役従事者の一人から、
「随分あやふやな言い方じゃないか」
と心配する声が上がった。
「うまく言えないとか、ぼんやりとか、見えるとか」
また別の誰かが、
「だいたい、それじゃ、四本の内三本が罠ということになるだろ?」
と指摘する。
グドンは、言い返すどころか笑顔になった。
「おいらもそう思うよ。だから、絶対にこれが安全な道とは言わない。でも、引き返す選択肢がないなら、おいらが先に試すのを待ったほうがいい」
それから、リンタロウを振り向いて、
「仮に、この入口が安全だったとして、後に続く者には、何か制約があるの? 一度に入れるのは一人だけで、毎回組み換えが行われるとか、おいらが成功したかどうか知るすべがないとか」
リンタロウはほかの使役者と顔を見合わせたあと、
「聖地の場合はあるよ。同じ道を五人が安全に通ると、やっぱりシャッフルが起こる。でも、一般の薬草地にそんなものはない。いや、これまではなかった。シャッフルが起きるのは、誰かが犠牲になったときだけだ」
「失敗したときは、きみが大声で悲鳴を上げてくれればいい。その声はきっと皆に届く」
使役者の一人がいうと、ほかの者が思い合わせたように小さく笑い声をあげた。
「それは冗談で言ってるのよね?」
ホウカが鬼のような形相で声の主を睨みつける。
その青年が降参するように手を挙げると、また、周囲から笑いが起こった。
「とにかく、試してみよう」
グドンが入口を入ると、リンタロウとホウカがすぐそのあとに続いた。
ほかの者たちは、遠巻きに彼らの成否を見守っている。
入口を入ってしばらく進んだとき、グドンは空間が揺らぐのを感じた。それはほんの一瞬の出来事だったが、まるで、自分が違った世界との境界線を越えたように感じた。




