68 二人の関係
その後しばらくして、リョクギダンはグドンの宿舎を離れた。
離れたリョクギダンは、グドンの推測どおり、その足でアサホに会うため屋敷へ向かった。初めからその約束だった。
豪華な家具でしつらえられた寝室で、彼女はリョクギダンを待っていた。
彼女はゆったりとした部屋着に着替え、風呂を使ったあとなのか、顔がほんのり上気している。
リョクギダンが入ってきたときも、肌の手入れに余念がなく、束の間、目の端で彼を確認しただけで、
「どうだった? 久しぶりのお仲間との会話は楽しめた?」
と砕けた口調で声をかけた。
リョクギダンは部屋へ入るなり、彼女の傍に胡坐をかいて座り、
「本当に、あの子を放ったらかしにしておいていいのか? 聖地へもいかせる気なのか?」
と逆にアサホへ訊き返した。
「放ったらかし? 何のこと?」
質問に対し質問、それに対しまた質問だ。
「薬草地にしろ、聖地にしろ、半妖がうろつきまわれば、面倒なことになるのは目に見えているぞ。何を嗅ぎつけるかわからない」
深刻そうな声でリョクギダンが忠告する。
「嗅ぎつけられたら、きみにとっても島にとっても何もいいことはない」
「あんなこどもに何もできるもんですか」
と、アサホは化粧の手を止めず鼻で笑った。
「あの子も言っていたように、下手に留め立てすればむしろ藪蛇よ。こっちに何か後ろ暗いところがあって邪魔していると勘繰られる」
「でも、実際そうじゃないのか? もし、事実が咋になれば、島民の中には、おまえに恨みを抱く者が出るかもしれない。そうした万が一のことを考えないのか?」
「あんなこども一人に、ずいぶん怖気づいているのね。配膳の女中みたいに、ちびっちゃった? こどもだましの術が使えるからって、何? まさかセイイツの再来じゃあるまいし」
「冗談で言ってるんじゃないぞ。半妖の力を甘く見るな」
アサホは面倒そうに肩を上下させ、
「今さら、何を恐れることがあるの? 島民が恨むのなら恨めばいい。だいたい、町の幹部の中で、島の秘密を知らない者がどれだけいる? わたしが知ってる、あなたも知ってる、ほとんどの幹部も知ってる。皆、一蓮托生じゃないの。知らないのは虫けらのような使役者だけよ」
リョクギダンもさすがに返す言葉を失った。
「今の言葉を後悔しないことだ」
相手の暗い表情に、アサホは少しだけ真剣さを取り戻し、
「あの子の力なんて、本当に心配していない。何もできないと思うから、薬草地へも行かせることにしたの。少し頭は回るのかもしれないけど、ただのこどもよ。あなたこそ、あの子の能力を買いかぶっているんじゃないの?」
リョクギダンはしばらく黙ったあと、
「グドンのことはともかく、きみは島の現状をどう見てるんだ? どう見ても危機的状況なのは間違いないだろう? このままだと、聖地へはもちろん、薬草地へも誰もいかなくなるぞ」
「大丈夫よ」
と、アサホはあっさり請け合った。
「お金のためなら命を捨てるという人はいくらでもいるわ」
「随分、自信があるんだな。わたしは正直、きみのやっていることが理解できない。この期に及んでも、こどもを攫ってくるのをやめない。島の危機がこのままやり過ごせると思っているのか? 五年後、十年後、あのこどもたちが島の役にたつようになるまで島がもつ、と?」
「もちろんよ。島の将来について、わたしは何の心配もしていない」
リョクギダンは呆れたように首を振った。
「その自信がどこから来るのか、わたしは知りたい。もうこんな島は捨てて逃げ出す時がきているんじゃないか? 少なくとも、そのための準備をするべきだ。ほかの奴らは、すでにそのつもりで動き始めてるぞ」
「逃げるつもりはないわ」
女島主はきっぱり拒絶した。その顔にはまだ余裕が溢れている。
「逃げる必要があるとも思わない。今は少しだけ混乱してるけど、いつかまた元に戻るわよ。これまでだって、わたしやあなたに実際の損害は出ていないでしょ? 使役者に多少の被害が出るのは端から承知の上よ」
「混乱が収まると、どうして断言できる?」
「さあ、どうしてかしら?」
そういうと、アサホは思わせぶりな視線をリョクギダンへ投げた。
もしかして、この女は、わたしにも何か隠し事をしているのか?
「でも、何事にも万が一はあるわよね」
とアサホが笑う。
「だから、財産の一部はもうよそへ移してある。そのあたりに抜かりはないわ。心配してくれたのはありがたいけど」
リョクギダンは小さく溜息をついた。アサホへの忠告は、釈迦に説法だった、と今さらながらに気づいたからだ。
「それより、あなたこそ、どうなの?」
「わたしが何だ?」
「わたしがここから逃げるといったら、一緒について来てくれる?」
誘惑する甘い声ではなく、リョクギダンの出方を窺っている様子だ。
「わたしたちは、もうそんな関係ではないだろう?」
「そう思っているのは、あなただけかもよ」
そういうと、彼女は初めて媚びる表情を見せた。
リョクギダンはそんなアサホから視線を逸らすことなくじっと見返す。
「わたしは何と答えれば正解なんだ?」
やっと彼は口を開いた。
「おまえが望むなら、どこまでも一緒についていくと言えばいいのか? それとも、この島の混乱は一時的なものだというおまえの言葉を信じて、ここへ残ると言えばいいのか?」
アサホは白けたように口元を歪めた。
「とにかく、島は、あなたの心配するようなことにはならないわ。それより、心配すべきは、混乱が収まったあと、どうこの島を立て直するかよ。そのときは、あなたも力になってよね」
彼女の自信がどこから来るのか見当もつかなかったが、二人の会話に少し疲れたリョクギダンは腰を上げた。
室内に漂う強い香水の匂いにも、そろそろ我慢の限界がきていた。
リョクギダンは襖の引手に手をかける。
「泊まっていかないの?」
背後でアサホの甘える声がしたが、リョクギダンは返事をしなかった。
その夜、一番辛い思いをしていたのは、リンタロウとコンの兄妹だったかもしれない。
グドンたちが部屋を出て行ったあと、コンの具合が急に悪くなったのだ。
といっても、それは特別なことではなかったし、グドンやホウカの行動とも無関係だった。
コンの病状は、ここ何年かずっと快方と悪化を繰り返している。
強いていえば、今日のようにそれまで面識のなかった者と長話をしたり、興奮したりすると、病状が悪化することが多かった。だが、それは一時的な症状で、彼女の病気そのものが直接悪化したわけではない。そのことを二人も過去の経験から知っていた。
実際、グドンたちと知り合えたことをコンもリンタロウも心から喜んでいた。それは、彼女の具合が悪くなり寝込んだあとも変わらなかった。
「あの人たち、どちらもいい人みたいだった」
発熱のために顔を赤らめたコンが、寝台にぐったりと横たわったまま、薄く笑みをうかべた。
妹の額にのせてあった濡れタオルを新たなものに交換してやりながら、リンタロウも無理に笑顔を作った。
「いい人かどうかはまだわからないさ。だけど、元の相棒が死んじまったから、誰か別の奴を探すほかなかったんだ。今は人手不足だからな。贅沢は言えないよ。それに、あの二人は、正確にいうと、いい人じゃない。いい半妖というべきだ」
「嘘ばっかり。お兄ちゃんはグドンがすごく気に入ってる。そう顔にかいてあるもの」
「そう見せかけてるんだ。彼には味方になってもらわないと困るからな」
それから二人は思い合わせたように笑顔になった。
コンの病気は今に始まったことではない。治療師の見立てでは、それほど悪質なものではないらしいが、治療には高価な薬が必要だった。リンタロウが何年も働き続けたところで買えるかどうかわからない高価な薬だ。
リンタロウは万策尽きてこの島へ来た。
二人は、攫われたのではなく、自分から進んでこの島へ入った数少ない住民だった。普通なら許されない兄妹の同居も、それゆえ許可されている。もちろん、コンの看病を別の人間にさせられないという事情もあった。
ただし、コンが働けない分、リンタロウの使役期間は倍の二十年だ。
ただそのいっぽうで、ほかの使役者同様、稼いだ金の貯蓄は許されており、金が貯まったら特別料金で薬と交換してくれることも条件に入っていた。
二人がこの島へ来た唯一最大の目的がそれだった。
この島にいれば、どこよりも早くどこよりも安く薬が手に入る。無論、それでもリンタロウが容易く貯められる額でないことは、二人ともよく理解していた。だが、何としても最後まで頑張りぬく覚悟だった。
ところが、ここへ来てそうした事情が変わりつつあった。
一番は大量の犠牲者が出始めたことだ。
どれほど薬が大事でも、死んでしまっては元も子もない。コンが一番心配するのもそのことだった。リンタロウはコンを自分の命以上に大事に思っている。コンも兄なしでは生きられない。そうした状況の中で日々を送ることは、心の中で大きな負担となっていた。
コンは大きく胸を上下させ、熱い吐息を漏らした。
「大丈夫か?」
心配そうに、リンタロウが妹の目を覗き込む。
コンは何とか頷くと瞼を閉じて、とにかく眠ろうと自分にいいきかせた。
彼女が眠りにつけば、リンタロウがほんの少し休息をとることができる。
眠るのよ、さあ、早く眠るの…。
荒い呼吸音の中、幸運にも、コンの意識は次第に遠のき、やがて闇と安逸が訪れた。




