66 リョクギダン
「え? お兄さん?」
グドンが驚いた顔をしたのは演技ではなかった。
リョクギダンがコウギシの知り合いであるとは確信していたが、年恰好からして、コウギシの父親か叔父の年代の誰かだろうと想像していたのだ。もし、本当に兄だとすると、リョクギダンは見た目ほど老けていないのかもしれない。
「わたしはこんな外見だから不思議に思うのも無理はない」
グドンの内心を察したのか、リョクギダンは自虐的にそう笑った。
「これにも理由があるんだが…。そんなことより、わたしがきみを待ち伏せたのは、お察しだと思うが、妹が今も元気でやっているか知りたかったからだ」
それ以外のことには一切関心がないし、とりわけ渉不城のことは聞きたくない、と彼はわざわざ付け加えた。やはり、彼自身、渉不城にいたことがあるのだ。
グドンは返答に困った。
コウギシの現在の状態を、兄である彼にどう説明したらよいだろうか?
グドンの知っているコウギシは瀕死の重傷を負い、今もこん睡状態にあるはずだ。ところが、渉不城を離れるときに受けた印象では、どうもそうではなさそうだ。
ヤセイは、コウギシがいなくなった、と言った。あれは、どういう意味だったのか? 言葉の調子からすると、亡くなったわけではなさそうだったし、元気になって、自分でどこかへ行ったわけでもなさそうだ。
自分でもよくわからないものを、ほかの者にうまく説明できるわけがなかった。
「コウギシはある事件に巻き込まれて重傷を負ったんだよ。おいらが知っている限りでは、まだこん睡状態にあると思う。教えてあげられるのは、それだけ。ひょっとすると、今は状況が変わってるかもしれない」
と、グドンはわかっている事実をそのまま告げた。
聞き終わったリョクギダンの顔は苦渋に満ちていた。まるで、妹の災難は自分に責任があるとでもいいたげな様子だった。
「まあ、どこへ行っても平穏無事ばかりとはいかないが…」
リョクギダンはやっとそれだけ口にした。
グドンは、渉不城で起こった凄惨な事件についても話し、
「誰が、何のために殺害を繰り返していたのかもわからないけど、今は町も落ち着いているようだし、新しい被害者も出ていない。それだけが救いといえば救いかも」
リョクギダンは頷いた。
「町の一部には、セイイツの仕業だと考えている者もいるよ」
相手の反応を見てみたくて、グドンはあえてセイイツの名を持ち出した。もちろん、セイイツと自分の関係は話さなかった。案の定、リョクギダンは大きな反応を示し、
「そんな証拠でもあるのか?」
と、人が変わったように強い目線で彼を睨んだ。だが、そのあと、すぐに自分の態度を恥じるように肩を窄め、
「いや、あの人が妹を傷つけるはずがない。あの町に、セイイツが唯一傷つけない者がいるとしたら、それは妹だろう」
と視線を落とした。
コウギシはセイイツに思いを寄せていた、という噂をグドンは思い出した。
「実らぬ恋というやつさ」
と、リョクギダンは苦笑いした。
「わたしは諦めるように何度も忠告したが効果はなかった。ましてや、セイイツがいなくなり、渉不城に残ったところで何もよいことなどないのに。それでも妹は奇跡が起こることを信じて町に残った。だが、我々二人の現状を見れば、どちらも間違っていたということかもしれない」
「失礼かもしれないけど、あなたは、どうして町を離れたの?」
リョクギダンは初めて声に出して笑った。
「こんな島で下働きのように扱われているのが不思議なんだろう? それくらいなら渉不城に残ればよかったと」
グドンは否定しなかった。
リョクギダンの現在の境遇が恵まれたものであるとは、とても思えなかった。ヤナギの口調からもわかるように、人族から尊敬されているとも思えない。半妖であれば、どこへいっても、今よりましな生活が手に入ったはずだ。
それなのに、なぜ?
「ここにいるのは、ジタバタすることに飽きたからだ」
「ジタバタする?」
「どこへ行っても、何をしても、所詮何も変わりはしない。いってみれば厭世感から世捨て人になったということだな。笑ってもらって構わない。笑われることを気にする心さえもう残っていない。それに、ここでの暮らしも、それほど捨てたものじゃないんだ」
グドンにはとても信じられなかった。
「わたしと島主の関係をどう思った?」
突然、リョクギダンが何の脈絡もなく訊いた。
「島主との関係?」
グドンなりに思うところはあったが、それをあえて口にはしなかった。二人の関係がどうだろうと、基本的にグドンには関係ない。
「彼女はかつて、必死でわたしの尻を追いかけていたといったら、信じるか?」
と、リョクギダンが自嘲交じりに訊く。
「だが、実際、かつてのアサホは、妹がセイイツを見る目でわたしを見ていた。この人が生涯唯一の男性だとね」
生涯唯一…。
グドンは、なぜかふとボウの顔を思い出した。
リョクギダンは続けた。
「まあ、彼女は半妖とのこどもが欲しかっただけかもしれない。とにかく、わたしと彼女はそういう関係だったことがある。愛にも子づくりにも失敗した今も、そうした関係が完全に切れたわけではない。多くの島民は知らないだろうが、わたしは意外なほど恵まれた暮らしをしているんだ。そうは見えないだけでね」
グドンは、ある意味敬服する目を彼に向けたが、そのいっぽう、心の奥底では別のことを考えていた。
渉不城を離れた理由を訊いた自分の質問に対し、この半妖は話をはぐらかそうとしている、と。
「あなたと、セイイツの関係はどういうものだったの?」
誤魔化しを許さず、グドンはあえて追求した。
「あなたが町を離れたことと、セイイツの間には、何か関係があるんじゃないの?」
この初老に見える男が、町を裏切ったとか、ましてや犯罪を犯して逃げているとはとても思えなかった。町を離れ、妹とは別の道を選んだのには、何かほかの理由があったずだ。
アサホとの会話の中で、彼女はセイイツに会ったことがあると言った。つまり、セイイツもここ蟻巣島へ来たことがあるわけだ。そのこととリョクギダンがまったく無関係だとはとても信じられなかった。
長い間、リョクギダンは黙り込んだ。
グドンも根負けせず、相手が話し始めるのをじっと待った。
「わたしは、妹のコウギシとは別の意味で、セイイツの尻を追いかけていた」
と、彼はやっと口を開いた。
「セイイツはわたしの憧れで、傍にいられるだけで、言葉に出来ない幸せを感じた。セイイツが喜べば、わたしも一緒になって喜び。彼が悩めば、わたしも一緒に頭を痛めた。わたしはほんの少しでも彼から何かを学び、ほんの一歩でも彼に近づきたいと思った。だが、それも、妹と同じ悲しい片思いにすぎなかったということさ」
「片思い…? あなたは、いつ、どこで彼と別れたの?」
リョクギダンは返事をしない。アサホたちと食事したときと同様また彼の目が濁ってしまったように見えた。
「セイイツが町を離れたのは、誰かの裏切りに遭ったからだと聞いたけど、ひょっとして、あなたはそのことにも関係している?」
と、グドンは訊いた。




