64 疑念
「セイイツという人よ。あなた方の間では、英雄と呼ばれているらしいわね」
アサホが言うのを聞いて、グドンとホウカは驚嘆に目を丸くした。
「セイイツと会ったことがあるの?」
驚くと同時に、グドンは、アサホがセイイツと自分の関係を知っていて、わざと話題に持ち出したのではないかと疑った。ホウカも思わず彼に目を向ける。
だが、考えすぎだったようだ。
「あなた方のように若い人でも、彼の名前は知っているようね。でも、百聞は一見に如かずよ。実際会ったことのあるわたしとしては、聞いていた以上に恐ろしい人に思えた」
「恐ろしい? 具体的に、どんなところが?」
グドンは本気で興味を覚えた。
「詳しいことは話せないけれど、あの人の力の一部をこの目で見たのよ。そのときの経験は今でも忘れられない。それに…」
と何か言いかけて、アサホはいったん口を閉じ、思わせぶりにリョクギダンへ目線を移した。
「詳しい話は彼から聞くといいわ」
グドンとホウカはリョクギダンを見たが、彼は顔を上げなかった。
アサホにも彼に強いる様子はない。
「物見遊山のことですけど…」
返事を期待できないと察したのか、ホウカが全然別のことを話題にした。
「わたしたちには使役義務があると思うんですけど、それには参加しなくていいんですか?」
「使役義務?」
これほどおかしな話はないというように、アサホが声に出して笑った。
「あなた方に使役なんてさせるもんですか。住むところも、良ければここへ移ってこないかお誘いしようと思っていたくらいよ」
その言葉を聞いて、ホウカは満足そうに目を輝かせた。
「どう? これで、危険なことに関わらずにすみそうじゃない?」
と、グドンへ同意を求める視線を向ける。
グドンは食事の手を休めずに、
「おいらは今の宿舎が気に入ってるからいいよ。友達も出来たし」
とあっさり拒絶した。
「だけど、ここのほうがずっと快適そうでしょ?」
彼女は不満げだ。
「じゃ、きみだけここへ移ればいいよ」
それから、顔を上げてアサホに目を向け、
「使役のほうも、おいらは予定どおりに参加したいな。薬草とりには二種類あって、一般の薬草地と聖地があるそうだけど、そのどちらにも、おいらは参加したい。かまわないよね?」
それを聞いたアサホの顔が曇った。ホウカはすかさず、
「絶対に駄目よ」
と釘を刺した。
「きみには関係ないだろ?」
ホウカが物見遊山の話を持ち出したのは、グドンを使役に参加させないためだとわかっていた。少なくとも、それはグドンの安全を慮ってのことかもしれないが、彼は受け入れるつもりはなかった。
「聖地での活動に参加することは認められないわ」
アサホが断定する声を出した。
「今の聖地はとても危険なの。半妖のあなた方でも命を落とす可能性が十分にある。それがわかっていて、参加させるわけにはいかない。何かあれば、渉不城の人たちが黙っていないでしょうし。違う?」
これ以上の援軍はないとばかりに、ホウカはアサホへ感謝の視線を送った。
「具体的に、どう危険なの?」
これはいいチャンスだと、グドンは情報を引き出すことにした。
「それに、命の危険があるとわかっていながら、ほかの使役労働者たちを今も聖地へ送り込んでいるのは、なぜ?」
言われて、アサホは深く息を吐いた。豊かな胸が大きく上下する。礼儀知らずな半妖への不満を何とか抑えようとした様子だった。
「とにかく、その件は許可できません。島主の権限として」
と、アサホはまさに有無を言わせぬ口調だ。
グドンは小首を傾げた。
アサホはなぜ自分を聖地へ行かせたくないのだろう?
本気でグドンの身を案じているとは思えなかった。渉不城の報復を恐れているというのも嘘だろう。それなら、なぜ?
「あなた方の抱えている問題を解決できるかもしれないのに?」
軽い気持ちで言った言葉だったが、とたんに、アサホの表情が動いた。それは動揺といってもよかった。自分を抑えようとしたが、どうにもならなかった印象だ。
問題を解決できると言ったのに、なぜアサホが動揺するのか?
グドンはさらに疑念を深める。
まるで、解決されたら困るみたいじゃないか?
「問題を解決できるって、わたしたちが抱えている問題が何なのか知っているの?」
グドンの言葉に疑いを抱きつつも、アサホは訊かずにはいられないようだった。
「いや、知らない」
グドンがあっさり否定すると、こどもに揶揄われたと思ったのか、彼女の口元が大きく歪んだ。
「もちろん、薬草の収穫量が減っていることや、とりわけ聖地での犠牲者が増えていて、人手不足に陥っていることは知ってるよ」
と、グドンが釈明する。
「でも、なぜそうなっているかは知らない」
「だったら、どうして、問題を解決できると思うの?」
ほんの少し表情が和らいだものの、アサホの声にはまだ棘が含まれていた。
逆にグドンは不可解な様子で、
「問題を解決するには、問題が起こっている原因を知らないと駄目でしょ? 島主さんにはわかってるの?」
と逆に質問する。
「いいえ」
迷うことなくアサホが答える。
「だったら、原因を知るためにまず現場へ行くのが普通じゃないの? おいらが言うのはそういうこと。どこか、変なところがある?」
アサホは少し言葉に窮したあと、
「でも、やっぱり、あなたを危険なところへ行かすわけにはいかないわね」
と先ほどの言葉を繰り返した。
「おいらには自分を守る力があると言ったら?」
「力?」
アサホは嘲るように小さく笑って、リョクギダンに目を向けた。
「あなたはどう思う? 半妖の仲間として」
リョクギダンは濁った目で彼女を見返した。
「わたしに訊かないでくれ。わたしとこの子は同じじゃない。同じ半妖でも待っている力は大きく違う。それは、きみも経験済みだと、さっき、そう言ったじゃないか」
彼がセイイツのことを言っているのだ、とグドンにもわかった。
だが、それよりも、グドンの気に留まったのは、リョクギダンのアサホに対する話しぶりだった。まったくおもねる感じがない。聞いていた話の印象では、何の力もない若者にさえ軽視される駄目半妖のようだったが、あれは自分の誤解だったのだろうか?
グドンは、アサホとリョクギダンの関係について見直す気になった。二人の関係は、単純に、世捨て半妖とそれを見て見ぬ振りしながら利用している雇い主の関係ではないのかもしれない。
もしかして…。グドンはふと思いついた。今日、グドンとホウカをここへ呼んだのも、謝罪や脅しが目的ではなく、リョクギダンのためだったのではないか? 久しぶりに現れた半妖の仲間を単純に彼に会わせ、気晴らしをさせたかった。だが、残念ながら、リョクギダンにその気はなかった。
そう考えれば、周りに取り巻きがおらず、部屋も質素であった理由がわかる。
「では、あなたには、どれほどの力があるの?」
アサホは訊いたが、その声には軽侮の響きがあった。
そう聞かれるのを待っていたように、グドンの目の色が一瞬変化した。




