6 ホウカの計画
「ここから逃げる?」
口一杯に頬張った獣の肉がグドンの口元からぼろぼろと零れている。
その野人のような食いざまをホウカは嫌悪する目で眺めながら、
「ここに留まったままで、生き延びられる可能性がどれくらいあると思うの? 外の殺気立った雰囲気がわからない?」
とグドンに忠告する。
「それは誰かがここへおいらを殺しに来るという意味?」
グドンが口をモグモグさせたまま可笑しそうに目を細めた。
「処刑されてしまうと言っているのよ。今日の食事をよく御覧なさいよ。随分豪華だと思わない? 考えてみて。なぜ今日だけ豪華だと思うの? あなたにも想像力はあるでしょう?」
最後の晩餐…。
彼女がいっているのはそういうことなのだろう、とグドンにもわかった。
どの国でも、囚人に死刑が執行される直前の食事だけは、普段より豪華なものが提供されるという。死ぬ者へのせめてもの情けか、それとも、執行者たちの罪滅ぼし、どこかで免罪符を求めようとする心の表れか。とにかく、囚人にとって最後の時が迫っているという暗示だ。
「その考えには賛成できないよ」
グドンが事も無げに反論した。
「まず第一、この食事が豪華だとは思わない。獣の肉くらい、きみたちは毎日食べてるじゃないか。飽き飽きするほどね。これまで虐待してきたおいらに対し、豪華だなんてよくいえたもんだよ。それにおいらの見る限り、これは看守が用意したものじゃない。たぶん、どこかの世間知らずのお嬢さんが、召使に作らせたものだよ。逃げなければ大変なことになるわよって」
ホウカの顔が思わず赤らんだ。
「第二、仮にこの食事を看守が用意したものだとしても、刑が執行される前触れだとは思わない。処刑されるにしても、それはもっとずっと先の話だよ。実際、この町においらの処刑を望んでいる者は多くないと思う。被害者の家族が理性を失ってそう要求したとしても、町を牛耳っているきみの父親やコウギシが反対するだろう。最後の住民殺しは、おいらがここにいる間に起こったんだし、益々おいらを処刑するのは難しくなった。まあ、一部の暴徒が私刑、つまりリンチにしようとするなら話は別だけど」
「ずいぶん冷静に分析するのね」
誉め言葉とも思えない冷たい口調でホウカが皮肉った。
「第三。犯人でないおいらを死刑にしても、住民殺しは終わらないよ。刑の執行が間違いだったとわかったとき、誰がその責任をとるの? 皆、嫌がるよ。おいらは英雄の息子だし、下手なことをすれば祟りがあるかもしれないから。違う?」
とグドンは笑った。
「だから、ここに留まるというのね? 第四もあるの?」
ホウカが苛々を隠さずに言う。先を促したわけではなく、もう黙れという意味だ。
それにはかまわず、グドンが続ける。
「第四、ここを逃げ出してどこへ行くの? 牢獄から逃げたりしたら、むしろ危険だよ。自分の小屋に戻っても、今は買い物や食事の用意だってこれまでのようにはいかない。生活に困るだけだね。それより、ここから逃げろという理由が訊きたいよ。父さんの入れ知恵?」
「父は、あなたを家に引き取りたいのよ。わたしは絶対御免だけど」
「だから?」
「あなたはうちには来たがらないでしょ? 父の無駄な手間を省いてあげたいの」
それでやっとホウカの本音がわかった気がした。処刑される危険を回避するためには、ここを出てムダイの世話になるしかない、とそう思わせたかったのだろう。
グドンは、口の中に残っていた獣の小骨をプッと床に吐き出した。
眉を顰め、ホウカが顔を背ける。こんな野蛮人と一刻も一緒にいたくない様子だ。その反応の仕方に、グドンは軽く吐息をつきながら、
「どうして、きみはおいらとの婚約を破棄しないの? 今、そっちの家に行ったりすれば、二人の関係がさらに微妙になるだけだよ。互いにどんどん逃げ場がなくなってしまう。グドンとホウカはもう夫婦だ、同居を始めている。そう思われてもいいの? きみがそれを望んでいるとは思えないけど」
回りくどいことはいわず、グドンは本音をぶつけた。
意外にも、婚約のことをホウカと面と向かって話すのは初めてだった。というより、信じられないことに、これまで彼女とは、ほとんど口をきいたことがなかった。生活の活動範囲がまるきり違っていたし、偶然顔を合わせても、ホウカはいつも無視する態度をとっていた。牢獄に収監されるようになったあとも、食事等の世話はしても、ほとんど口を開くことはなく、用が済むとすぐに部屋から出ていった。どこの世界にこんな婚約者がいるだろうか?
「父がそれを希望しているからよ。父がわたしたちの婚姻を望むなら、わたしはそれを喜んで受け入れる。あなたのことを好きか嫌いかは関係ないの」
ホウカがあっさりいってのけた。さすがにグドンも自分の耳を疑い言葉を失った。
父がそれを望んでいるから? 親の発言は絶対? 父が望むなら猿の家にでも嫁ぎます? それが育ててくれた親の恩に報いる、子の務めだから?
これはいつの時代の話だろう? だいたい、そんな話は絶対に信じられなかった。何よりそうした考えは、ホウカの性格に一番そぐわない気がした。
“峰華”という名前の響きのとおり、彼女は気位が高く自分の信念をブレさせない。そのいっぽうで、役に立たないもの、将来につながらないものは一顧だにしない冷酷な面も持ち合わせている。そのどちらの側面からも、親への恩とか自己犠牲いった考えは出てこない。だとしたら、彼女が嘘をついているということだ。そうでなければ、グドンが知らない裏の事情がほかにあるのか、そのどちらかだろう。
「ここを出ていくのはいいとして、具体的にはどうやるの?」
グドンは一歩譲ることにした。
「お便所の下に地下道を掘って逃げるの? それには時間がかかるし、ここには看守がいるからすぐ見つかるよ。仮に外へ出られたとしても、住民たちの目があるから、きみの家までたどり着けない」
ホウカが初めて小さく笑顔を見せる。
「看守のことは任せて。というより、父がこっそり釈放の令状を出してくれる。住民の目は夜中に逃げれば大丈夫。被害に遭うのを怖がって、夜は誰も外へ出たがらないから」
ホウカは得々と自分の計画を開陳した。やっと自分の求める方向に話が進みだしたことで、グドンを言い負かした気分だった。
グドンは考える目になった。
ということは、ムダイは、釈放する力があるのに、今も牢獄に彼を収監したまま放置しているということか。ホウカは無意識のうちにそれを認めたことになる。語るに落ちるとはまさにこのことだ。
だが、それに気づかないホウカは、彼の厳しい表情を見て益々気分を良くした。
「考えることはないわ。あとは、全部わたしに任せればうまくいく」
彼女は胸を張り、今なら、グドンが望めば頬にキスすることも許しそうな雰囲気だった。
散々考えるふりをしたあと、グドンは、
「でも、やっぱり逃げるのはやめにするよ」
と満面の笑みを浮かべた。
「おいらはここが好きだし、食い物もおいしくなってきた。今ここを離れるのは勿体ない気がする。それに、きみとこうしてお喋りするのも楽しいし」
とたんに、ホウカの眼差しが険しくなる。
「揶揄ったのね?」
グドンが大笑いしようとしたとき、何やらドアの向こうが急に騒がしくなった。ドタドタと大勢の足音が聞こえ、それがグドンの独房へ向け迫ってくる。どこか不穏な空気も感じられた。
「何なの?」
ホウカは少し腹を立てたように扉のほうを振り向いたが、グドンは何か嫌な予感がした。
牢獄の中は安全だと思っていたが、それは間違いだったのだろうか?
気が付くと、ずっと窓から漏れてきていた住民たちの怒号が消えている。
「きみが入ってきたとき、看守さんは入口の前にちゃんといた?」




