56 かけ引き
荷馬車はその後もゆっくり移動を続け、半日以上してようやく目的地らしい場所へと到着した。
その間、数回の休憩をとり、一度だけだが、食べ物と水も与えられた。
ここがどこであろうと、これで今夜は足を伸ばして寝られそうだ、そう期待したグドンだったが、彼の憶測に反し、実際に到着したのは中継地点で、下りた先に見える鬱蒼とした森をさらに徒歩で抜けていく必要がある、と告げられた。
森を抜けた先には海岸線が続いていて、最終目的地までは、そこから半日以上舟に乗ることになるらしい。
その説明を聞いたホウカが、
「この人たちは蟻巣島の住民なんだわ」
と呟いた。
「蟻巣島? きみは彼らの素性を知ってるの?」
その名前に好奇心をそそられたグドンが訊く。
町でずっと軟禁状態だったグドンに比べ、ホウカは、父親が指導者の一人だったこともあり、知識が豊富で様々な経験も積んでいる。田舎者のお上りさん状態であるグドンにとって、この点で、彼女はよい手助けとなるはずだった。
「素性を知っているというか、島には大ぜい人族が住んでいて、面積は渉不城の何倍も大きいと聞いたことがある。いっぽうで、とても危険な場所で、島へ入った人の半分は生きて出られないといわれている。でも、それは人族にとっての話だし、彼らがこども攫いの集団だとは知らなかった」
こども攫い…。彼らはこどもを攫って、どうしようというのだろうか?
グドンはふと素朴な疑問を抱いた。
そんな危険な場所で働かせようというのだろうか? 普通に考えるなら、足手纏いになるだけで何の役にも立たない、そんな気がするが…。
自分とホウカは別にして、こどもたちは年齢が幼すぎるし、男の子も多いことを考えると、女郎屋へ売り飛ばすためとも思えない。それなら、何をさせるのか?
まさか、イタチ男が言ったように、浮浪児を保護して衣食住を与えてやるつもりではないだろう。そんな話はとても信じられない。
二人にとっては気楽な話題だったが、車内にいたこどもの何人かが、ホウカの話を真に受けて泣きべそをかき始めた。
とても危険な場所? 半分は生きて出られない?
攫われた以上、至れり尽くせりで安逸に暮らせるとは思っていなかったろうが、半分以上が死ぬと聞けば、心穏やかではいられないのも当然だった。
だが、同情はするものの、今のグドンにはどうしてやることもできなかった。仮に彼らを人攫いから解放してやったとしても、かえって路頭に迷わせるだけだろう。
「島がそんな危険な場所なら、きみは本当にここから引き返すべきだよ」
暗い話と裏腹に、何だか嬉しそうに言うグドンを、ホウカが睨んだ。
「人が半分死ぬという話が、そんなに面白いの?」
「いや、面白いのはそこじゃない」
「じゃ、お為ごかしをいって、わたしを追い返すこと?」
答える代わりに、グドンはははと笑った。
「どうして、そんなに、わたしを毛嫌いするの?」
「逆に、どうして、そこまでおいらにつき纏うのか訊きたいよ。ここには、もうムダイはいない。おいらにつき纏っても誰も褒めてくれないよ。だいたい、悪人ばかりの島へ行って、女の子が何をするつもり? 父親との間にどんな軋轢があるにしろ、渉不城へ帰えれば、少なくとも安全には暮らせるよ」
「じゃ、あなたの安全は? 自分だって、こどもじゃないの」
「おいらは大丈夫だよ。というより、やっと半妖の仲間から解放されて楽しくて仕方ない。きみには理解できないだろうけど」
「あと目障りなのは、わたしだけということ?」
「大正解」
「じゃ、わたしのことは無視すればいいわ。ここにはいないと思うか、ほかの子たちのように完全に別々だと割り切って」
「駄目だよ。ホウカには一緒に来てもらいたくない。一緒だと、ずっときみに気を遣わなくちゃならない。どこかに落とし穴があるんじゃないかと心配になるからね。まあ、きみがおいらにつき纏う本当の理由を教えてくれるなら、話は別だけど」
「本当の理由なんてないわ」
「信じないよ」
グドンが笑うと、ホウカは口をとがらせじっとグドンを見つめたあと、
「ここから、一人でどうやって帰ればいいの?」
と、やっとそれだけ口にした。
「それなら、わたしたちが送ってあげてもいいわ」
二人の話に聞き耳を立てていたのか、馬車の垂れ幕がひらいて、御者台の美婦人が顔を覗かせた。
「わたしたちは島へは渡らないの。このまま元きた道を戻るつもり」
「また別のこどもを攫いに行くの?」
余計なことに口を出すなとばかりに、ホウカが冷たく突っぱねた。
女性は、ホウカの嫌悪を受け流し、
「わたしたちは、人攫いばかりしているわけじゃないわ。このあとは、島で必要な物資を買いだしに行くの。帰りたいなら、あなただけでも、二人一緒でも、喜んで送らせてもらう」
ホウカは小さく口元を歪め、
「厄介払いをしたいんでしょ?」
女性が故意に笑みを大きくした。
「おいらはそんなに厄介じゃないよ。この子は別だけど」
グドンがホウカをちらりと見ていう。それを聞いた女性は不思議そうに二人を見比べ、
「あなたたちは一緒に逃げてきたんじゃないの? 駆け落ちか何かだと勝手に想像していたけど…」
「違う」「そうよ」
二人が同時に答えた。
女性は益々混乱した顔になったが、二人の内情に興味はないらしく。
「まあ、色んな事があるわよね」
とあっさりいって、
「でも、うっかり大事なひとをとり逃して、あとから後悔しないようにね。こんな可愛い子は、どこにでもいるわけじゃないし。それに、肌が艶々すべすべしてる。今がお買い時よ」
満更でもない顔で、ホウカがツンと顎を反らせた。
「おいらたちは、本当にそんな関係じゃないんだよ。それに、おいらは、渉不城のほうへ戻る気持ちはない。島へ渡らせたくない気持ちはわかるけど」
「島へ渡っても、あんたたちが考えてるほど好き勝手にではできないよ」
御者台からイタチ男も顔を覗かせ、ここぞとばかりに口を挟んだ。
「どういう意味?」
とグドン。
「半妖は、あんたたちだけじゃないからだよ。おれたちの…」
ゴホン!
言いかけたイタチに、女性の咳払いがに待ったをかけた。
イタチはびくりと首を竦めて黙ったが、もう手遅れだった。
「蟻巣島にも、半妖がいるの?」
とグドンが訊く。
それに答えたのは美婦人ではなく、ホウカだった。
「渉不城には、仲間を裏切って逃げ出した者がいるの。その大半は、わたしたちと違って、町に損害を与えたり、仲間を傷つけた人たち。だから皆から追われてる。たぶん、この人たちは、そういう半妖を匿ってるのよ」
女性が苦り切った顔でイタチ男を睨む。イタチ男もようやく自分の失言に気づいた様子で、顔を蒼くした。
「渉不城の仲間がこれを知ったら、どう思うかしら?」
ホウカが薄く笑って女性とイタチに駄目を押した。
御者台の美婦人は考え込むように黙り込んだ。
彼女も渉不城の噂は何度も聞かされていた。両者が地理的に遠くないだけに、情報量も豊富で、流れてくる噂話にもことかかない。彼らがグドンやホウカを丁重に扱うのも、そうした情報やかつて聞いた噂話が原因していた。
何十年か前、まだ渉不城ができたばかりのころ、交易に出てきた半妖を殺害し、彼らの物資を盗んだ集団があった。だが、それから数日後、彼らの町は、こどもや老人も含め全員が惨殺され、のちに無人の廃墟となって発見された。
もちろん、渉不城の住民たちの仕業だ。交易に出た仲間に手出しした者は容赦しない。半妖からのそういう明白なメッセージだった。
実際に、それ以降、半妖に手出しする者はいなくなった。
「これでもまだ、わたしたちを渉不城へ送り返したいと思う?」
ホウカが美婦人を揶揄った。
「渉不城へ戻られると困ると思うなら、むしろ、この子もわたしも島へ渡るよう仕向けるべきじゃない? それに、元々、あなた方はそれを望んでいたはずだし」
ホウカの言葉に、御者台の女性ばかりか、グドンまでもが興味をそそられ、彼女へ目を向けた。
「それは、どういう意味?」
と御者台の女。
「どういう意味? あなた方もさっき認めたじゃないの。普段なら、わたしやこの子を連れてくることはなかったって。じゃ、連れてきてどうするつもりだったの? なぜ、今は普段と違うの?」
グドンは驚いて、ホウカと御者台の女性を見比べた。
「あなたは、何を知ってるの?」
訊いた女の目はもう笑っていなかった。




