55 ホウカは怪しい?
「手や足をいくら撫でてもつまらないでしょ?」
言われた男は目を丸くしたが、それ以上に、グドンが驚いた。
あいた口が閉じられず、見ると、イタチ男も同じ表情でぽっかり口をあけている。まさに、自分の耳が信じられないといった顔だ。それはグドンも同じで、少なくとも十代の美少女からそんなことを言われた経験はなかった。
退屈そうに三人を見ていた御者台の女性の目が、一瞬、ホウカを値踏みするように細まった。
グドンもホウカの思惑がよめなかった。故意にイタチ男を挑発しているのは間違いなかったが、いったいどんな狙いがあるのか、挑発して、彼女にどんな得があるのかわからない。
「早くして!」
突然、御者台の女性がが強い口調でイタチ男に命じた。
我に返った若い男は、苛々しながらも何とかホウカの縄を解いた。
その震える手先を眺めていたグドンは、ようやくあることに気づいて、あっとなった。
こいつらは人族だ!
ずっと渉不城にいて、半妖の仲間ばかりに囲まれていたから、彼らも半妖だと思い込んでいた。
恐らく人族である彼らも、グドンとホウカが人族のこどもだと誤解しているに違いない。元より、彼らに、人族と半妖の違いを見抜く能力などない。
グドンが縄を引きちぎらなかったのは、できなかったからではなく、逃げたところですぐ捕まって連れ戻されると観念していたからだ。だが、相手が人族なら話は別だった。
恐らくホウカは初めからそのことに気づいていて、相手を揶揄ったのだ。
考えてみれば、むしろ、すぐに気づくのが当然だった。数からいえば、妖族は人族の十分の一、半妖はさらにその百分の一しかいない。
この周辺に居住しているのはほとんどが人族で、半妖はもちろん、妖族もほとんどいない。偶然、妖族や半妖を目にすることはあっても、人攫いなどをしている可能性はゼロだった。
イタチ男に縄を解いてもらったグドンが、ホウカと前後して荷車を下りると、周辺に、似たような荷馬車が数台停車して、用足しのためにこどもたちを下ろしていた。
グドンとホウカの背後で、御者台の女性が、
「あの二人を連れてきたのは失敗だったかもしれないわ」
と愚痴るのが聞こえた。
若い男が、
「なぜです?」
と尋ねると、女は、
「わからない? あの二人は湖岸に倒れていたのよ。だったら、どこから来たと思う? 空から降ってきた? 違うわ。当然、渉不城から逃げてきたのよ」
「し、渉不城?」
若い男の声にも緊張の色が滲む。
「じゃ、あいつらは…」
「混血の化け物よ。半妖の若い男女が駆け落ちでもしたのかもしれない。娘のほうは、自分たちへの扱いが不満で一芝居うったのよ」
若い男が尚も何か言っているのを耳の端で聞きながら、グドンとホウカは荷車の傍から離れた。
「恐れ入ったでしょ? お礼は言わなくていいわ」
無表情なまま、勝ち誇る様子もなくホウカが言った。
「いつから気づいてたの?」
と仏頂面のグドン。
「初めから気づいていたわ。湖の岸辺で縛られたときから」
「じゃ、なぜ、抵抗しなかったの? 抵抗してたら、縛られて、車に転がされることもなかったのに」
と、思わず不満が口をついてでる。
「どうせ、ほかの町へ行くつもりだったんでしょ? それなら、移動手段が必要よ。それとも、どこへ行くつもりかしらないけど、ずっと歩いて行くつもりだったの?」
あなたは計画性ゼロね、とでも言いたげな顔つきだった。
グドンはホウカを睨んだあと、
「いったい、きみは、どうしちゃったの?」
と詰め寄った。
深い意味はなかったが、ホウカは一瞬ひるんだ顔になった。
「どうしたって。何が?」
「いつものきみらしくないよ。いつものホウカとは別人みたいだ、それとも、何か魂胆があるのかな?」
「魂胆?」
彼女は何とか平静を装う素振りで、
「あなたがよその土地へ行きたいというから、手伝ってあげたのよ。湖で命を助けられたし、お返しをしたかっただけ。それが悪いの?」
グドンは尚も疑う目で彼女を見た。
「でも、きみまで一緒についてくる必要はないよね? もう、おいらを渉不城へ連れて帰ることは無理なんだし。だったら、自分は戻るしかない」
「言ったでしょ? あなたを引き留められないなら、渉不城に残っても、わたしに価値なんてないの」
「信じないね」
「あなたは、わたしにどんな魂胆があると告白すれば満足?」
ホウカは開き直ったようにグドンを睨み返した。
それでも、グドンは納得できなかった。
ムダイとの関係がどうであるにせよ、ホウカが自ら渉不城を離れることなどありえない。渉不城にいてこそ、彼女はわがまま娘でいられるからだ。
だが、それ以上の質問を拒絶するように、彼女は背中を向けてしまった。
用を足しに行くという彼女を追っていくわけにもいかず、グドンは、自分も用を足したあとは、仕方なしに足腰を伸ばすなどして時間を潰した。
そうして、ゆっくり荷馬車のところへ戻ると、思いがけない光景が彼を待っていた。
ホウカが、荷馬車の御者台かけて投げ出した足をぶらぶらさせ、その前でイタチ男が地面に膝をついて土下座していたのだ。
「わたしたちに、こんなところで下りろというの?」
面白がるわけでもなく、真面目な顔でホウカが男を非難している。
「本当に申し訳ない。すべてこちらの勘違いで、お嬢さんには何の落ち度もない」
と、イタチ男が頭を下げる。
「だけど、正直言って、このままおれたちの町へ来てもらっても、お互いに困るだけだから」
「誘拐しておいて、今さら困るって、どういうこと?」
「だから、誘拐なんてしてないよ」
「こども攫いが誘拐でなくて何? 女郎屋にでも売り飛ばすつもりだったんでしょ?」
「女郎屋? 違う、違う。おれたちは人攫いじゃない。女衒でもない。身寄りのないこどもたちを保護して、生活の糧を与えてやろうとしてるんだ」
ホウカの笑みが大きくなった。
「人助けということ? それなら、わたしにも生活の糧を与えてほしいわ。今は行く当てもないし」
「だから、そんな町じゃないんだよ。だいたい、普段なら、きみらのような男女は荷車へ乗せもしなかった」
「わたしたちのようなって、どういう意味?」
とホウカが訊く。
「売り飛ばすには、年を取り過ぎてるってこと?」
図星をさされのか、男は言葉に窮した、
「とにかく、わたしは車を下りないから」
と、ホウカはきっぱり宣言した。
グドンは、かかわりになるのを避けようと荷車の後ろから中へ乗り込んだ。
二人のやりとりを黙って見ていた美婦人が、こそこそ逃げていくグドンに気づいてイタチに声をかけた。
「もういいわ。町へ行きたいというなら、乗せて行ってあげましょ」
それから、ホウカに顔を向け、
「わたしたちの町は、ほんとうにあんたには相応しくないと思う。何を考えているか知らないけど、面白い場所でもない」
「それはわかってるわ。こどもを誘拐する人たちの町だもの」
女性は呆れたように苦笑して、イタチたちに出発の準備をするよう命じた。
車に乗り込んだグドンは、改めて自分の体を確かめていた。
湖岸で目を醒ましたあとも、すぐに後頭部を殴られ気絶してしまったから、湖で負った傷の状態を確かめる暇もなかった。
着ていたものをたくし上げて全身を確認すると、あちらこちらに怪我の痕らしきものが残っていた。しかし、そのどれもが浅い傷で、大半はもう完治し、ほんの少し線状の赤い模様のようなものが見えるだけだ。
これがグドンの治癒能力によるものか、ホウカ同様、誰かが治してくれたものなのかは不明だ。いずれにせよ、生活するのに一切の支障はなさそうだった。
そんな彼の様子を、戻ってきて彼の向かいに座ったホウカがじっと見ている。
「湖では、どうして助けてくれたの?」
「あのとき起こったことを覚えているの?」
皮肉ではなく、当時の彼女の状況では、何も覚えていなくても不思議はないと思えたのだ。
「あなたが庇ってくれなかったら、わたしは今、間違いなくここにいない」
「許嫁の関係でしょ? お礼はいいよ」
と、今度は皮肉を込めて言った。
意外にも、ホウカは言い返さず黙って頷いた。
「きみの怪我のほうは、どうなの?」
右肘を掲げ、彼女は腕全体を観察するようにしてから、
「ある日、肘から先がポロリと床に落ちるかもね」
と薄く笑う。
牢獄の中でも、彼女は似たようなことを言ったが、あのときはまるで状況が逆だった。当時は、彼を侮辱するために言ったのだ。
本当にいつものホウカらしくない、とグドンは改めて感じた。
なぜだろう? ひょっとして、渉不城を離れたことと関係があるんだろうか? 町での彼女は、何か事情があって、あえて他人を不機嫌にさせる行動をとっていたのか?
そうとでも考えなければ理屈が合わないほど、今のホウカは別人のように見えた。
「酷いことをあえていうけど、あのとき、きみの右腕は肘から先がなくなっていた」
水の渦に揉まれて鎌鼬に遭ったように切断され、水中に漂っていた彼女の右腕を、今もグドンは鮮明に覚えている。
「それなのに、今は完全に元に戻っている。どうして?」
「わたしも、岸で目を醒ましたとき、あれは夢だったのかと思ったわ。でも、今は間違いなく現実だったと思う」
二人はしばらく黙ったが、どちらも英雄と呼ばれた男のことを考えていた。
これがセイイツの仕業だとして、彼がそんなことをする必要がどこにあったのだろう?
「でも、考えても仕方ないわ。とにかく、腕は戻ったんだし」
と、ホウカがまた薄く笑った。
その笑顔を見て、グドンは、この子はこんなに優しく笑える子だったろうかと、ほんの一瞬、彼女に見惚れた。
そして、そんな自分に気づいて、驚くと同時に警戒した。
おいらは、彼女の策略に嵌まろうとしているんじゃないか?
ホウカはきっと、何か目的があっておいらについてきた。彼女にとって今一番大事なのは、おいらを安心させ、油断させることだ。
そのことに思い至ったグドンは、決して彼女への警戒を緩めぬよう、改めて自分を戒めた。




