49 下山
仙族たちは、あっという間に鉱山から姿を消した。
病人はほとんどが完全に回復していたから、移住にあまり時間はかからないだろうとグドンも想像していたが、これほどの早さとは思いもしなかった。
いなくなった中には、当然、ボウも含まれていた。
例のことがあって以来、彼女はグドンの前へ一度も姿を見せていない。
自分に見切りをつけたということだろう。そう思うことにした。
不思議なことに、グドンにも失望や後悔はなかった。渉不城での生活への未練を捨て、新たな道へ進むには、このほうがよいかもしれないという気さえした。一方的な彼女からの拒絶に引き摺られることもなく、むしろ、グドンもサバサバした心境で前を向いていたといってよい。
ただ意外だったのは、ボウだけでなく、マキやゲゲまでが彼に一言の挨拶もなく渉不城を去ったことだ。
さすがに不思議に思い、ある種、裏切られたような失望感も抱いた。
仙族とグドンたち半妖は、何か根本的にものの考え方が違うのだろうか? そんなふうに考えたりもした。
もし、次にどこかで偶然仙族に出会ったら、どんな顔をしようか? 素知らぬ顔で互いに相手を無視してすれ違う? そんな自分を想像し思わず笑ってしまった。
あれ、あなた方はどちら様でしたっけ?
グドンは愈々山を下りる決意を固め、ここひと月あまり過ごした小屋に別れを告げた。
この期に至っても、仲間と摩擦を起こさず湖を渡る方法は見つかっていなかった。
それでも、不思議と道は開ける気がした。
ここひと月、誰一人として自分を探しに来なかったことも気持ちを楽にしていた。
きっとおいらのことなんて、皆もう忘れたんだ。自分で思うほど重視されていなかったんだよ。まさに、どちら様でしたか状態というわけだ。
挨拶なしに去った仙族もきっと同じだったのだろう。
だが、そんなグドンの考えがどれほど甘く幼稚なものだったか、すぐに思い知らされることになった。
計画通り、夜陰に紛れて町なかを抜けたグドンは、まだ夜が明けないうちに、そっと湖岸へ近づいた。
しかし、近づいたのはよいが、小舟の舫いを解き始めてものの一分と経たないうちに、へへへという、ひとを小ばかにした笑い声を聞いて、背後を振り返ることになった。
そこに、にやにや笑いを浮かべたコタンフが立っていた。
猟犬なのか、脇に小型犬に似た獣を従えている。
こんなところへ、こんな時間に、コタンフが突然現れた。これが偶然とはとても思えなかった。グドンが網にかかるのを、ここでずっと待ち続けていたということか。
それにしても、コタンフはいつからここにいたのか?
仮にグドンが鉱山へ入ってからずっといたとすると、その執拗さには驚くべきものがある。でも、なぜ、そこまでするのか? それに、どうしても捕まえたいのなら、なぜ鉱山へ彼を探しに来なかったのか?
「本当に湖を渡ろうとするとは思わなかったよ。ホウカの思い込みに少しうんざりして、あいつに何か仕返しをしてやろうと頭を捻っていたところだよ。だけど、間違っていたのはこっちだったようだ。とにかく、この一か月の張り込みが無駄にならずに助かった」
長広舌を吐いてから、コタンフはようやく不思議なことに気付いた様子で、
「あれ?」
と片眉を釣り上げた。
「おまえ、本当にグドンか?」
グドンの外見上の変化に刮目している。
あのチビで生白く、がりがりだった小僧はどこへ行った?
「相変わらず変わり者だね、コタンフは。へらへら笑いと減らず口はまったく変わらない」
グドンが皮肉ると、コタンフの形相が一変した。
「何だと?」
コタンフはグドンより五歳以上年上だ。この年代の五歳差というのは、上下関係に強く影響する。ましてやコタンフは、己を将来の町の幹部と自認している。グドンに、かつてこんな辛辣な言葉を吐かれたことはなかった。
コタンフはグドンに一発かましてやろうと身構えたが、ふっと我に返ったように、またいつものヘラヘラ笑いに戻り、掌をひらひらさせた。
「その手には乗らないよ」
故意にコタンフを怒らせ、一対一で戦うよう仕向けようとしたグドンの企みは失敗したようだ。
グドンはそれほどがっかりすることもなく苦笑を漏らした。
コタンフは、懐から何かを取り出し操作している。
伝音符という通信器だった。符の上に文字を書くとそれが通信相手の符に表示される。彼は伝音符でほかの仲間と連絡を取り合っているようだ。
コタンフは操作が終わると、
「すぐにアンカイやヤセイ、ホウカもやってくる。そこでおとなしく待ってな。それと、とりあえず、手漕ぎ舟から少し離れようか」
グドンは手にしていた舫い綱を投げ出し、桟橋の上に腰を下ろした。
捕まってしまった以上、今さらジタバタしても無駄だった。こうなれば、出来る限り穏便な別の方法を見つけて、渉不城を出ていくしかない。
出来るなら、強硬手段はとりたくなかった。それなら、どうすればいいか?
「一つ訊いていい?」
とグドンは訊いた。
「何だ?」
獣の頭を撫でながら、コタンフは振り向きもしない。
「この一か月、おいらを探しに来なかったでしょ。それは、なぜ? どうせ、ここへ来るはずだから、手間をかけないことにしたの?」
「何のことだ? それも、何かの戦法か?」
本当に意味がわからないのか、面倒そうに頬を歪めている。わざと意味不明なことをいって注意を逸らせる気だな、とでも思っているようだ。
「鉱山にくれば、すぐにおいらを見つけられたはずだよ。なのに、誰も来なかった。それが不思議なんだ。もしかして、例の住民殺しがまだ続いているの? だから、おいらに構っている暇がなかった?」
やっとグドンに顔を向けたコタンフは不機嫌そうに、
「おまえはずっと自分の小屋にいたじゃないか。何のつもりでそんな出鱈目を言う? 住民殺し? いつの話だ? コウギシのことがあって以降、誰も被害にあっていないだろう? 何のつもりか知らないが、それ以上無駄口をたたくな」
この返答には、グドンも戸惑った。
なぜか、話がまったくかみ合っていない。奇妙なのは、コタンフの困惑した表情が演技とは思えないことだった。
おいらがずっと自分の小屋にいたって?
ほかのことならいざ知らず、自分がどこにいたかは誰よりもよくわかっている。鉱山で生活していた自分が、同時に自宅の小屋にいられたはずがない。
だが、コタンフの口調には、実際にそれを見た者の響きがあった。
これはいったいどういうことなのか?
それ以降、コタンフはグドンを無視すると決めたらしく、何を訊いても反応を示さなくなった。
しばらく手持無沙汰な時間が続いたあと、やっとホウカが姿を現した。それに続いて、ヤセイ、アンカイもそれほど気の乗らない様子で顔を見せる。
「やっぱり、町を抜け出す機会を狙っていたのね?」
得意満面の顔で、ホウカがのたまった。
「どんなに普段どおりを装っていても、わたしの目はごまかせないの。絶対何か企んでいるとわかってた」
胸を反らせ、グドンの横顔へ上から目線を向けた彼女は、とたんに表情を曇らせた。
「これ、どういうこと?」
とコタンフへ顔を向ける。
「どういうこと、とはどういうことだ?」
コタンフは彼女の反応を楽しむように訊き返した。




