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半妖グドンの選択  作者: すいかあたま
第一章 渉不城
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46 啓示

 大広間での一件があってから十日ほどが過ぎた。

 グドンは、慌てて戻ってきたボウの手を借りて何とか地上へ戻り、その後は、以前と同じ狩猟生活を続けた。

 この間、誰もグドンを訪ねてこなかった。

 彼は、それまでになかった解放感に満たされるいっぽう、一抹の寂しさも味わった。

 いずれ、ボウたちが訪ねてくることはわかっていた。今のところ、病の治療に彼の力は必要ないが、ひと段落つけば、どの程度完治したか調べる必要が出てくる。その際には、グドンの能力が不可欠となるはずだった。

 だが、それを自分は喜ぶべきだろうか? 

 おいらは病を治すためのただの道具?

 考えても意味のない、自虐的な思いがふと脳裏をよぎる。必要とされるのは、自分か? それとも自分の能力か? 

 そうはいっても、グドンも、ただボウたちの来訪を待ち続けていたわけではなかった。

 彼は、時間の大半をもっぱら大池での修練に費やした。

 渉不城を出るつもりなら、湖を渡らなくてはならない。仮に、町の仲間が噂するように何か“呪い”がかけられているとすれば、一番に心配すべきは溺れることだ。それを防ぐためには泳ぎを学ぶしかなかった。

 元々彼は、すべての運動を禁止されていたから、泳ぐ能力はほぼ皆無だった。

 溺れないためには、泳ぐ力を速やかに向上させる必要がある。

 毎日訓練するうち、能力は急速に向上した。

 今では三十分以上息継ぎすることなく水中に潜っていることができる。

 泳ぐ速度も、魚並みとはいかないが、町の半妖が相手なら、誰にも引けを取らない自信があった。

 この日も、水中を散々泳ぎ回り、魚類の動きを制御する能力を磨き、へとへとになるまで修練を続けた。

 ようやく岸に上がったときには、もう日暮れ時間が迫っていた。

 岸に上がり、大の字になって激しく胸を上下させていると、うっすら残っていた日差しを何かが遮った。

 目を開ける前から、それがボウだとグドンにはわかった。

 上半身を起こすと、彼は笑顔のボウと向き合った。

「おいらのことは、もう忘れたかと思ったよ」

 グドンがわざと拗ねて見せると、ボウは本当に申し訳なさそうに視線を伏せた。

「病で動けなくなっている人たちを、沼地まで運んで治療しなければならなかったの」

「わかってる。それじゃ、やっぱり沼地が治療に役立ったんだね?」

「そう」

 ボウはグドンと並んで腰を下ろした。

「初めは渓流やその周辺で色々試したの。でも、治療の役には立たなくて。効果が出たのは沼の中」

「ひょっとして毒ガスのせい?」

 ボウは小さく首を振る。

「何が有効なのかは、今もよくわからない。でも、病気が治ればそれで十分だって、皆思っている。だからというわけではないけれど…」

 そこまでいうと、ボウは何やら言いにくそうな様子を見せた。

「わたしたち、病の治療が一通りすんだら、やっぱりこの山を離れることになると思う」

「そう…」

 グドンも彼女が躊躇した意味がわかりため息をついた。

「じゃ、もうすぐお別れだね?」

 ボウが頷く。

 グドンとボウは種族が違う。いずれ別れのときが来ることは、二人にもわかっていた。

「具体的に何が治療の役に立つのか、沼地での調査に協力して上げられたらよかったけど」

 グドンは無理に笑顔を作って話を逸らせた。

「とんでもないわ。沼が、グドンたち半妖にとってどれほど有害かわかってる。それに、あなたに頼ってばかりでも駄目だし」

 どうせ、おいらはいつかいなくなるんだから?

 言ってしまってから、ボウも失言に気付いたらしく目を伏せた。

「ボウの病状がどれほど回復しているか、見てあげようか? そのためにおいらに会いに来たんでしょ?」

 グドンは自虐的に笑って彼女に訊いた。

「恥ずかしいわ。頼ってばかりじゃ駄目なんて言っておいて」

「いいよ。それに、都合のいい時間を教えてくれれば、ほかの仙族の仲間のことも見てあげられると思う」

「ありがとう」

 他人行儀にまだ申し訳なさそうにしているボウを、グドンは揶揄いたくなった。

「ボウの病気を覗くって、どういうことかわかる?」

「どういうこと?」

「見えるのは、内臓や脳の中だけじゃないんだよ」

 束の間思案して、ボウはやっと気付いたように小さく笑った。

「それは、もうずいぶん前からわかっていたわ。逆にグドンが気にするんじゃないかと思って、黙っていたの。皆も同じよ」

「そうか…」

「いってみれば、グドンはわたしたち仙族の治療師だから」

 治療師に肌を見せることを恥ずかしがる者はいないという意味だろう、とグドンは推測した。

 ボウは、それでも、グドンと視線が合うと、耐えきれなくなったように背中を向けた。

「もういいよ」

 とグドンは告げた。

「診察は終了。ボウの体には、もうほとんど何の影も残っていない」

「本当に?」

 ボウが慌てて振り向く。

「まったく正常と言っていいと思う。それでも心配なら、もう少し沼地で過ごせばいいよ」

 ボウは心からの感謝するようにグドンの手を握った。その行為には、感謝の意味以外、他意はなかったのだが、グドンの目を覗き込んだとたん、彼女の体に思ってもみない異変が起きた。

 突如、目の前が真っ暗になり、彼女の意識がすっと遠のいたのだ。

 驚いたのはグドンも同じだった。いや、彼女の何倍も驚いたといってよい。ボウの急変を自分のせいだと思い込んだからだ。

 これは腔妖術だ!

 薄く開いた口、幕がかかったように白く濁った目。まるで、自分が獣を制御する際と同じじゃないか。

 グドンは頭が真っ白になった。なぜ、こんなことになったのか、自分のどんな行為が急変を生んだのか、皆目見当がつかなかった。

 何とか今の状態を解除しようと脳裏で念じ、最後はボウの体を激しく揺さぶったが、何をしても、彼女は元に戻らなかった。

 意識がないまま、ただ呼吸を静かに繰り返すばかりだ。

 薄く開いた唇から、若い女性特有の甘い吐息が、顔を寄せるグドンの頬にもかかった。

 どうすればいいのか? 

 おいらには、何かできるはずだ。それを必死で考えろ。

 己を叱咤するいっぽう、このままボウが意識を取り戻さなかったら、と思うと、情けないことに泣きそうになった。

 グドンは、ボウの両手をもう一度握りしめ、

「目を覚まして!」

 と声に出して叫んだ。

 それでも変化は起きなかった。

 だが、最後に、神に祈るつもりで握った彼女の手を自分の額につけたとき、ボウの瞳が一瞬震え、ふっと術が解けるように元の状態に戻った。

 彼女の意識が戻った!

 やっと自分を取り戻したボウは、それまで以上に荒い呼吸を繰り返し、激しく胸を上下させる。ボウの顔には、隠しきれない心の動揺が色濃く滲んでいた。

 意識がない間、彼女は何を感じ、何を見ていたのだろうか? グドンの操り人形になり、獣のように喉をかき切られる夢か?

 彼女が何を見ていたにせよ、グドンは申し訳ない気持ちで一杯だった。

「大丈夫?」

 グドンの問いに、彼女は答えることさえできなかった。嫌々するように、俯いたまま激しく首を横に振るばかりだ。

 それから、やっと平静を取り戻したように顔を上げ、何かまったく見知らぬ相手を眺めるような目でグドンを見た。

「ここが、どこかわかる? おいらが誰かわかる?」

 ボウはそれにも答えなかった。

 ただ自分の手を彼の手から捥ぎ取るように引き離す。

「帰るわ」

 震える声でそれだけいうと、彼の返事を待たずに立ち上がる。

 グドンが謝罪の言葉を言う暇さえなかった。

 ボウは彼から離れると、瞬く間にその場から姿を消した。

 彼女がいなくなってしばらくしても、グドンは何が起こったかわけが分からず呆然としていた。

 ボウは、自分が彼女を危険に陥れたと誤解したろうか?

 誤解? 本当にあれは誤解なのか? 自分さえ気づかない内に、自身の欲望がああした事態を引き起こしたのではなかったか?

 違う、とグドンは思いたかった。

 だが、今は、彼女が自分を許し、また口をきいてくれることを願うしかなかった。


 やっと自分の洞府に戻ったボウは、まだ胸の高鳴りを抑えられずにいた。

 自分が見たものが夢ではない、と今でも信じらなかった。

 あれは何だったのだろう?

 まさか、本当にあれは啓示? 誰に対しても、一生に一度だけの啓示?

 だが、そんなことがあり得るだろうか? 

 わたしにとって、グドンが選ばれた伴侶?

 そんな話はとても信じられない!

 グドンが嫌いなわけではない。半妖に対して偏見もない。でも、そう、彼は仙族ではなく半妖なのだ。

 仙族が半妖や人族、妖族と婚姻を結んだなどという話は聞いたこともなかった。

 だいたい、仙族が半妖と魂の繋がりを持つことなど可能なのだろうか?

 ふたりのこどもをもうけることができる?

 そのどちらも、まったく現実的ではない気がした。

 でも、もし、あれが本物の啓示だったとしたら?

 それを拒否した自分はどうなるのだろう? 一生に一度である以上、自分は生涯伴侶を持てなくなるのか?

 実際、啓示を拒絶し、相手を伴侶として選ばなかった例はある。

 彼らの大半は一生独身のまま生涯を過ごすことになった。こどもも持てない。

 わたしも、そうなってしまうの? 

 一生孤独に生きる人生…。

 ボウにはとてもそんなことは受け入れられない気がした。しかも、これは自分が招いたことではない。こんな不公平なことがあるだろうか?

 相手の容貌や性格をどうしても受け入れられない、というならわかる。それは本人の自由意思であり選択だ。でも、半妖と魂の繋がりを持てないというのが、自分のせいだろうか?

 グドンには申し訳ないが、こんな啓示を与えた誰かを、ボウは恨みたいと思った。

 もちろん、グドンに責任はない。それどころか、仮に彼が仙族だったら彼女は喜んで伴侶に選んでいたろう。

 グドンの人となりも、外見も、彼女の好みといってよかった。

 考えてみれば、あんなふうに会話したり体を触れ合ったりした異性は、これまでにいなかった。別の誰かが自分に触れたり、性的な話をしたりしたら、相手を嫌悪し拒絶していたはずだ。今まで、どこかで自分を騙そうとしていたが、確かに自分はグドンに惹かれている。

 それにしても、とボウは思った。

 恋心と実際の婚姻は別物だ。魂の世界で互いに触れ合うこともできないのに、婚姻関係など結べるわけがない。

 ボウは両掌に顔を埋めた。

 いったい、これからどうすればいいんだろう? 正直にグドンに話して、一度試してみたいと頼んでみようか?

 ボウは、そんなふうに考えている自分に気付いて、思わず顔を熱くした。

 だけど、自分には、ほかにどんな選択肢が残っているだろう? 

 グドンと婚姻関係を結ばず、一生独身で過ごす必要もない、ほかの選択肢…?

 もう一度、お試しを考えてみる?

 ボウは絶望するように何度もかぶりを振った。

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