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半妖グドンの選択  作者: すいかあたま
第一章 渉不城
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42/150

42 お腹が真っ黒

 辟易している最大の原因は、声の主にあった。

 かなり以前から、自分が尾行されていることに、グドンは気付いていた。気付いていながら無視を決め込んだ。反応を示すことさえ面倒に思える相手だったからだ。

 タグが薄笑いを浮かべて彼の前に浮かんでいた。

 タンタンの父親で、グドンに重傷を負わせた仙族の一人。きっと、黄閃砂の廃棄場所を聞いてまわったボウの噂を耳にし、ここまで追ってきたのに違いない。

「こんなところまでおいらを追いかけてくるなんて、余程暇なんだね」

 グドンは感情を抑え、顔を上げずに淡々と言った。

 タグの顔を見たら、吐くのを我慢できそうになかった。

「おれには十分時間はあるさ。おまえにはもう残り少ないがな」

 相手がそういうのを聞いて、心の底から可笑しくなり、グドンは大声を出して、あははと笑ってしまった。

「何が可笑しい!」

 タグの声に怒気がこもる。

「あなたのほうこそ、時間はもうほとんど残っていないよ。知らぬが仏という奴だよね」

 グドンの目には、タグの内臓がひどく黒ずんでいるのが見えていた。まさにいつ身動きできなくなってもおかしくない状態だ。

「どういう意味だ?」

 何か不吉な響きを感じとったらしく、タグが真剣な表情に戻って訊く。

「さあね」

 グドンは肩を竦めて見せる。

「おいらをどうするつもり? ここで殺すの? 時間が残り少ないって、そういう意味でしょ?」

「自分たちの犯した罪を考えれば、それが当然の報いだろう?」

「おいらの犯した罪?」

 グドンは溜息交じりにゆっくり首を振った。この男には反論さえしたくなかった。どうせ自分の舌が疲れるだけだ。

「おれの妻、つまり、タンタンの母親は昨日、罹患者用の収容施設に入った。そう聞けば、おまえたち下等な獣でも、少しは良心の呵責を感じるだろう?」

 グドンはふんと鼻を鳴らしせせら笑った。

 タグの表情がみるみる強張り、威嚇するようにグドンへ近づく。

「タンタンには気の毒だと思うよ」

 グドンは初めて顔を上げて言った。

「もうすぐ両親とは口もきけなくなるだろうから。身動きできないあんたに話しかける彼女の姿を想像すると泣けてくる」

 その言葉と裏腹に、グドンが笑って見せると、一瞬緩みかけたタグの表情が再び強張った。

「さっきも似たようなことを言ったな。両親とはどういう意味だ? はっきり言え!」

「知らないの? ああ、仙族でも下層の仲間には話してないんだね。おいらはね、仙族の病が見えるんだよ。どれほど重症か、死ぬまであとどれくらい時間が残っているか。ゲゲやマキたちはとうにそのことを知ってる。それともう一つ。仙族はもうすぐ集団移住するよ。罹患者を置き去りにしてね。その移住の名簿にあなたは入っていない。あなたは罹患者だって、おいらが言ったから。でも、過去に、あなたもほかの仙族に同じことをしようとしたから、お相子だよね」

 タグの顔から瞬時に血の気が失せ、グドンを指さす手が細かく震えている。

「嘘をつけ!」

「いや、あんたの内臓はもう真っ黒だよ。いつ死んで不思議はないくらいにね。その手をごらんよ。随分実体化していると思わない? もう透明とはほど遠い」

 どれほど残酷なことを喋っているか、グドンもわかっていた。だが、タグには一抹の同情も罪の意識も感じなかった。自分を殺そうとしている相手に、甘い顔を見せるほど愚かではない。目には目をだ。

 自分の腕を見たタグは、衝撃を受けたようにどどと二三歩後方へよろめいた。

 考えを整理しようとしたが、頭の中が真っ白で何も考えられない。

 それでも、しばらくして視線を上げグドンを見た目には、新たな殺意が滾っていた。

「これで、何の躊躇いもなく、おまえを殺せる」

 地上に下り一歩二歩とグドンに近づく。

 そのとき、グドンが、袋の中で何か手探りする様子が見せたが、タグは気にも留めなかった。どうせ、刃物か何かだろうが、そんなものはおれには通用しない。

「また髪でおいらを縛るの?」

「うるさい。もう黙れ!」

 タグの腕が、立ち上がったグドンの首へ伸びる。二人の目と目が合った瞬間、グドンは獣相手に培ったやり方で相手の動きを封じようとした。

 腔妖術!

 タグは顔に薄ら笑いを浮かべる。

 グドンが何か術を使って獣を動けなくすることは、娘のタンタンから聞いて知っていた。だが、そんなものは自分には通用しないと自信を持っていた。そうした術は下等な獣にしかきかない。術の効果はかける相手の知能の高さに反比例するのだ。半妖同士ならいざ知らず、仙族の自分に効くはずはない。

 だが、次の瞬間、自分の目が霞むのがわかって、タグは動揺した。

 体の動きが完全に制御されたわけではないが、意識がすっと遠ざかり、四肢の感覚が弱まった。

 そんなはずはない。落ち着け! 落ち着いて対処すれば、術はすぐに解ける。

 しかし、グドンはその余裕を与えなかった。袋から取り出し手にしていた瓶の中身を、この時とばかりにタグの頭にぶちまけた。

 黄閃砂を頭からかぶったタグは思わず悲鳴を上げ、両手を振り回して髪や顔についた粉を払い落とそうとする。

 その姿は何とも滑稽だった。

 しかも、髪や肌についたものは払い落とせても、開いたままの目に入ったものは、どうしようもなかった。

 タグは目の奥に刺すような痛みを感じて唸り声を上げた。

「小僧! おれに何をした! これは何だ!」

 目の中のものを擦り取ろうとしながら、タグは大声で罵った。

 グドンが彼にぶちまけたものが、ただの砂や植物の粉末だとは思えなかった。

「黄閃砂だよ」

 グドンは冷たく嘲笑った。

「それも聞いていなかったの? それが仙族の病の元凶だよ。あんたはすぐに動けなくなる。そして、あっという間にあの世へ行くんだ。仙族にも、あの世があるならね」

 それは口から出まかせだったが、今はタグを動揺させることが何よりも大切だった。

「あああ…」

 タグは再び悲鳴を上げた。

 顔が歪み、絶望で泣いているようにも見える。

 次第に体が硬直し、動きの自由もきかなくなっていく。

 それは錯覚に過ぎなかったが、タグには錯覚かどうかの違いを見極める冷静な判断力はもう残っていなかった。

 グドンはいったん姿勢を低くし、勢いをつけ前方へ飛び込むようにタグに体当たりした。

 今のグドンは、半月前の彼ではなかった。全身に筋肉がつき、一般の半妖の成人に劣らぬ力強さをそなえている。

 それでも、少し前までのタグであれば、グドンの攻撃を軽くかわせていたかもしれない。だが、今は目が見えず、体も硬直して自由がきかなかった。自身を透明化して衝撃を半減させる仙族独自の能力も、実体化した体では使えない。

 タグは、グドンの突進の勢いをそのまま下半身に受け、もんどりうって背後へと倒れこんだ。いや、後方へ吹き飛ばされたといったほうが正確かもしれない。

 元々、彼らの立っていた場所は崩れた斜面の端だった。

 倒れた勢いのまま、タグは崖を真っ逆さまに転げ落ちていく。

 途中何度か頭を打ちつけ、その度にごつんと嫌な音が響いた。もうグドンの術は解けていたが、それすら、今のタグにはわからなかった。

 最後は、宙に投げ出され、五メートルほどの高さから渓流の水面へ真っすぐ落下する。

 ざぶんと激しい水しぶきが跳ね上がり、水中へ落ちたタグは川底の岩で頭をしたたか打ち付けた。

 とたんに目の前が真っ暗になりそのまま意識を失った。

 そして、さらに水のうねりにのみ込まれ、次第に遠くへと流されていく。

 グドンのほうも、それほど幸運だったとはいえない。

 タグに体当たりをしたのはよいが、勢いあまって、自分も斜面から転がり落ちる羽目になった。

 ただタグとは違い、意識がはっきりしていたことが幸いした。

 とにかく落下の勢いを食い止めようと、遮二無二振り回した腕が、何かに触れた。斜面が崩れた際、土砂と一緒に流された樹木の幹のようだった。樹皮は腐ってボロボロだったが、樹心はまだ固く残っていた。グドンは死ぬ物狂いでそれにしがみ付いた。

 それでも落下する勢いは弱まらない。

 彼は幹の残骸と一緒に、ずるずると斜面を滑り落ちていく。

 五メートル、十メートル…。

 ようやく動きが止まったのは、三十メートル近くも滑り落ちた後だ。

 落下が止まっても、グドンはしばらく動くことができなかった。胸の高まりが治まらず、ハアハアいう呼吸音だけが耳の中で煩いほど響いている。

 しばらくの間、冷たい地面に頬をあずけ、胸の高鳴りが静まるのを待った。

 助かった! おいらはまだ生きている。

 そう確信できたのは、さらに何分も時間が経過したあとだった。

 地面に這いつくばったまま何とか顔を上げる。

 落下する前、自分が立っていた場所は、遥か遠く、何十メートルも上方に見えた。

 いや、今の彼には、それが百メートル以上あるような気さえした。

 この滑りやすい崖を、どうやって元の場所まで登って行けばいいのか?

 大きく溜息をつくと、グドンは再び地面に突っ伏し目を閉じた。

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