36 密会
思わず身構えるグドンに、「グ、グドン…?」と女性の声がした。
振り向いた先に、蝋燭のようなものを手にしたボウが立っていた。
暗闇で見る彼女はまさに亡霊か幽霊のように見えた。
ただ不思議なのは、以前より彼女の透明感が薄まっているように感じることだ。一瞬、病のせいで実体化し始めているのかと心配したが、そうではなさそうだった。そういえば、ボウだけでなく、ほかの仙族にも以前ほどの違和感を感じなくなっている。
これはもしかして、おいらの目が仙族に適応し始めているということか?
だとしたら、それはグドンにとってプラスになるはずだった。
どんなに魅力的な女性でも体が透けていては恋愛の対象にもならないから…。
見ると、ボウも相手を化け物と思ったのか、顔に恐怖の色が張り付いている。
それにしても、こんな夜遅く、どうしてボウがこんなところにいるのか?
そう訊こうとしたグドンは思わず自分の愚かさに苦笑した。
目の前に並んでいる無数の棺。これはすべて仙族のものだ。ボウがここにいても何ら不思議はない。むしろ、疑われるべきは自分のほうだ。
「あなた、どうして、こんなところにいるの?」
グドンの思いをボウがそのまま口にしたので、彼の緊張が一気に緩んだ。
「というより、あなた、本当にグドン?」
こんなところでグドンと再会したことが、ボウにはどうにも信じられない様子だった。
グドンのほうは、彼女が意外に元気そうなのでほっとしていた。眠れずここに来たということは、やはり精神的ダメージがあるのだろうが、寝室から動けないでいるよりはずっとマシに思える。
「自分の小屋で寝ていたとき、誰かに名前を呼ばれた気がしたんだ」
グドンは自分の小屋で経験したことをそのまま彼女に伝えた。微睡んでいたとき、誰かの呼び声を聞いたこと、坑道へ入ってきて、ここで棺を見つけたこと…。
黄閃砂のことは話さなかった。
自分も眠れなくて悶々としていたとき、死んだ仲間に呼ばれた気がしたの、とボウも打ち明けた。
ということは、グドンとボウは、ともに何か理由があって誰かにここへ呼ばれたということか? それとも、坑道が発した何かの音を、たまたま二人が同じ聞き間違いをしただけだろうか?
「あなた、この暗闇の中で目が見えるの?」
何も灯りを手にしていないグドンに、ボウが訊く。
「見えるよ。きみの持っている灯りは少し眩しすぎるかな」
そんなグドンの冗談に、ボウが火を吹き消そうとするので、
「ちょっと待って」
と、彼が慌てて止めようとすると、
「冗談よ」
と、彼女のほうが弱弱しい笑みを見せた。
「火を消したら、あなたはよくても、わたしは何も見えなくなってしまう」
ボウが無理に明るく振る舞っているのはわかっていたが、それでも、グドンも少しだけ気が楽になった。
「それにしても、突然、ボウが現れたからびっくりしたよ」
彼は棺の蓋を元に戻しながら言った。
仙族が地中を抵抗なく移動できることをグドンも今は知っていた。彼らが突然パッと消えるようにいなくなるのはそのせいだ。
だが、わかっていても驚きを抑えきれなかった。
ボウが優しく微笑む。その笑顔に引き込まれそうになりながら、
「よかったら、少し話をしない?」
と、グドンはボウを誘った。
「ここじゃ話し辛いから、いったん坑道の外へ出るのはどう? ボウが外へ出る近道を知っていると助かるけど」
普通に坑道の外へ戻るには、また一時間以上歩き続ける必要があった。
しかし、ボウは、彼の誘いに少しだけ逡巡する様子を見せた。
考えてみれば、真夜中にこんな場所で若い男女が二人きりというのは、余り褒められた話ではない。誰かほかの者に見られたら誤解される恐れもあるし、神聖な場所を侵された、と仙族の怒りを買う可能性もあった。
「きみが亡くなったお仲間と話したいなら、おいらはここで失礼するけど…。話はまた今度にしよう」
そういって、グドンは背中を向けようとする。
今度はボウが慌てて、
「待って」
と声をかけた。
躊躇ったのは、グドンを警戒したからではない。言ってみれば、これは二人の初めてのデートだ。俺についてこいよ、と男性から声をかけられ、あっさり受け入れてしまっては尻軽と思われないか、と躊躇したのだ。
「いいわ」
と、彼女は素っ気ない振りを装った。
「でも、近道は知らないから、歩いていくしかない。それでよければ、歩きながら話をするというのは、どう?」
もちろん、別の方法もあったが、ボウはあえて内緒にした。
「おいらはいいけど、結構距離があるよ」
「大丈夫。疲れたら、わたしは飛ぶことができるし」
彼女は茶目っ気を出して微笑んだ。
二人は並んで歩き始めた。
漆黒の闇の中、ボウのもった灯が二人の姿をぼんやり浮かび上がらせる。
ボウが手にしているのは実際には蝋燭ではなった。だから炎も出ていない。それは、彼女の思い一つで明るなったり暗くなったりする石のような照明具だった。面白いことに、その石の明度に従って、グドンの夜目の能力も上がったり下がったりする。
「棺のことだけど…」
グドンが先に口を開いた。
「仙族の仲間が亡くなったとき、通常ならどんな風に埋葬するの?」
本当に訊きたいことは別にあったが、病因について新しい情報を持っていると感づかれたくなくて、グドンは当たり障りのないことを口にした。
「ああして遺体を棺に入れて並べることが、あなたたちの習慣だとは思えないけど」
「仙族は死ぬと無になるのよ」
ボウはあっさり答えた。
「無になる? それは半妖も同じじゃないかな。生まれ変わりとか輪廻転生とかを信じていないかぎり」
「違うの。わたしのいうのは物理的な話。仙族は死期が近づくと次第に影が薄くなる。仙族同士でも相手が目視できなくなって、やがては透明になりこの世から消える。ただ事故死や殺害された場合は別で、徐々にではなく瞬時に消えていなくなる」
「へえ…」
グドンは驚いて言葉が見つからなかった。神秘的といえば神秘的だが、いっさいの容赦がなく、無慈悲といえばこれほど無慈悲な死に方はない。周りの者たちが躯を前に死者との別れを惜しむ余裕さえないのだ。
直前まで命のあった仙族が、死んだ瞬間、細かな粒子に変化し、やがて散り散りになって宙に広がり消えていく。
それは実際、どんな光景、感覚なのだろうか?
「じゃ、埋葬施設とか墓地もないの?」
「ないわ。だから今の状況に多くの仙族は戸惑ってる。亡くなったあと、遺骸が残るなんて経験のないことだから」
それで、町の半妖に発見される危険を冒しながら、坑道に棺を並べたりしているのか…。他に遺体を安置する場所や方法を思いつかないのだろう。
言い換えれば、死後も遺骸が残る病というのは、仙族にとって、非情に重篤かつ異様なものということだ。ボウが今置かれている状況も、それだけ深刻なものと言っていい。気丈な態度の裏に、どれほどの苦悩が隠されているか、グドンは計り知れないものがあると感じた。




