202 ドミアールの死 そして、選択
グドンは瞬間移動しなかったのだ、とボウは気づいた。彼は風の力でボウの体を撥ね飛ばした。そして、その間に瞬間移動したドミアールに体を貫かれた。
結局、グドンはボウを犠牲にはできなかった。瞬間移動せず、自らドミアールに体を貫かれる道を選んだのだ。
理屈と実際の行動は、しょせん一緒にはならないということか。ボウを傷つけるくらいなら死んだほうがましだ。良心というよりは、そうした単純な感情をグドンは選んだのか?
ドミアールは勝ち誇った表情でグドンを眺めた。
彼女の心にあるのは、死んでいくグドンのことではなく、息子ジュウイツをいかに復活させるかだった。その方法を考えることで頭が一杯だった。もうグドンのことなど過去のことで、どうでもよくなっていた。
出来るのなら、彼女が何をしなくともジュウイツが自分でこの肉体を占拠し、復活してくれるのが一番良い。グドンが死に直面し、最も弱っている今なら、それが可能なはずだった。彼女はジュウイツの奇跡的な力を信じていた。
さあ、グドン、一刻も早くこの世から消えてちょうだい。あなたの魂が一秒でも早く消えてなくなれば、それだけジュウイツの復活も早まる。
だが、このとき、ドミアールは奇妙なことに気づいた。
もう死を待つだけのグドンの顔に、なぜか笑みが浮かんでいるのだ。
これはどういうこと? 死ぬくせに、どうして笑っていられるの?
ドミアールは、グドンの口から、聞こえないほどの小さな呟きが漏れるのを聞いた気がした。
「時光逆転!」
次の刹那、ドミアールはグドンに突進する直前の自分に戻っていた。
このとき、何か不可思議なことが起きたとは感じたが、彼女にも、具体的にそれが何かはわからなかった。それに、時間が短すぎて気に留める暇もなかった。
目の前にはグドンが立っている。
その顔には、なぜか笑みが浮かび、嘲笑するようにドミアールを凝視していた。それでも、ドミアールには自信があった。彼が瞬間移動すれば、確実にボウの体を傷つけることになる。ドミアールだけを傷つけるのは、百万分の一の偶然が重ならなければ無理だ。
次の瞬間、グドンの姿が目の前から消えた。
瞬間移動したのかと思ったが、そうではなかった。まるでグドンそのものがこの世から消えてしまったようだった。
実際には、グドンが仙族の能力を使って透明になったのだが、ドミアールはそのことを知らない。これはどういうこと? そう思ったことで一瞬の空白が生まれた。
そのとき、彼女は頭に小さな痛みが走った気がした。
一瞬何が起こったかわからなかったが、グドンに向け瞬間移動しようとしていた自分の体からふっと力が抜けるのがわかった。
ほんの数秒前、グドンはボウとドミアールの間にほんの小さな隙間があるのを見てとった。その隙間を狙って攻撃したのだ。
それは誰にとっても普通ならありえないことだった。実現不可能といってよい。時間が短すぎ、いつまたボウとドミアールの体が重なってもおかしくなかったからだ。
だが、グドンは正確にその瞬間がわかった。ほんのわずかな隙間を通り抜けドミアールに到達した。
なぜ、そんなことが可能だったかといえば、彼にとってこれが二度目だったからだ。
グドンは時間を巻き戻すことに成功したのだ。ある一瞬を正確に狙って時間を巻き戻し、間髪入れずに姿を消した。そして出来た空白を利用しドミアールに向け攻撃を仕掛けた。
時間を正確に巻き戻すためには、感情の大きな振れが必要だった。それをあの瞬間のボウの失望が可能にした。
ドミアールの脳内を突き抜けたとき、グドンは試みが成功したのを知った。
いっぽう、ボウは複雑な心境でグドンの傍らに立っていた。
このときのボウはまだ、グドンが時間を巻き戻したとは知らない。
グドンはドミアールへ瞬間移動し、結果としてそれは成功した。だが、それはとりもなおさず、グドンがボウの犠牲を覚悟していたことを意味する。
グドンが勝ち、ドミアールが死んだ。そうとわかっても、ボウはなぜか喜べない自分がいることに気づいた。
ドミアールの体がゆっくり地上へ向け落下していく。その口元から真っ赤な血が糸を引くように流れている。
「ジュウイツ、わたしのジュウイツ、やっとあなたと一緒になれる…」
彼女がそう呟いたように見えたが、目の錯覚かもしれなかった。いずれにせよ、ドミアールの目からはもう完全に生気が消えている。
グドンはボウに笑顔を向けた。
その屈託のない笑顔に、ボウは驚きを隠せなかった。
彼女が犠牲になるかもしれないと知りながら、攻撃を仕掛けたにもかかわらず、良心の呵責を露ほどにも感じていないように見える。
これはいつものグドンらしくない。
次の瞬間、ボウはあっとなった。
「グドン、あなた、何かしたのね? わたしを傷つけないと自信があってやったのね?」
笑顔のままグドンは頷いた。
どうやったの? どうすれば、そんなことが可能だったの?
訊こうとしたボウはなぜかそれが口に出来なかった。
心のどこかに鋭い痛みのようなものを感じ、心を乱されたからだ。
え? これはどういうこと? グドンが勝ったし、彼には自分を傷つけない方法を知っていたとわかった。それなのに、なぜ、心に痛みが残っているのだろう? それも、この痛みはただの痛みではない。まるで自分がグドンを失ったときに感じるような、耐えがたいほどの痛み…。
でも、グドンは死んでいない。いったい、こうした矛盾はどこから生まれたの?
笑顔のまま、グドンはまだ目の前に立っている。
ボウはたまらずその胸に飛び込んだ。
どうなったかはもうどうでもよかった。グドンが生きていて、今も傍にいてくれれば、それがすべてだ。
グドンの胸に顔をこすりつけ散々泣いたあと、やっと彼から体を離すと、地上でドミアールの体を抱きかかえているセイイツの姿が見えた。
セイイツは本来の半妖の姿に戻っていた。
グドンとボウがはじめて見る半妖の英雄セイイツの姿だ。
ボウもグドンも、突如現実に引き戻された気がして表情を引き締めた。
たとえ憎むべき相手であったとしても、一つの命が今失われたことに変わりはない。
二人が見ている前で、ドミアールの姿が目の前からふっと消えた。セイイツが彼女の遺体を収容したのだろう、とグドンたちにもわかった。
二人は地上へ下り立ち、セイイツに歩み寄った。
「あなたには、結果がこうなるとわかっていたんでしょ?」
グドンが訊いたが、セイイツは冷たい目で彼を見返した。
(そんなことは、どうでもいい)
グドンは黙って頷いた。
(さあ、願いをかなえてやろう。おまえの中から、ジュウイツを消し去ってやる。それによって、おまえ自身に大きな変化が起きるかもしれんが、それでもあえて、その道を選ぶんだな?)
グドンとボウは視線を見かわした。これが、今のグドンでいられる最後の瞬間かもしれなかった。
「ごめんね」
と彼は最後に謝った。
「でも、やっぱりおいらは元の自分に戻る選択をするよ。たとえ力がなくなっても、本来の自分のままで生きていきたい」
ボウは強く首を振った。
それがどういう意味なのか、彼女自身よくわからなかった。
謝らないで、という意味か? あなたが今のグドンでなくなっても、わたしはずっと愛し続けますという意味なのか? 自分が変わってしまったときはかまわず傍を離れ、別の幸せを探してほしい、と言ったグドンの願いを拒否したのか?
「いいよ。もう準備は出来てる」
グドンはセイイツに向き直り自分の意志を告げた。
「これがおいらの選択だから」
ボウは「待って!」と叫びそうになるのを、何とか必死の思いで堪えた。これは彼の選択だ。それを変えさせる権利は自分にはない。
セイイツが小さく手を振ったように見えた。
グドンとボウは息と止めて変化が起きるのを待った。
だが、しばらく経っても、何も変化は起きなかった。
セイイツはおいらを揶揄っているのか?
そんな思いが、一瞬、グドンの脳裏を掠めた。
ジュウイツを消し去ると言いながら、実は端からまったくその気がなかったということか、高い能力が失われると散々脅したくせに、本当は、ジュウイツを消す力など彼にはなかったとか…。
グドンが抗議しかけたとき、セイイツが突如背中を向けた。
「ちょっと、どういうことなの?」
思わずセイイツを追いかけようと、グドンは何歩か前へ進みかけた。
ボウも混乱した顔で、グドンのあとに従おうとする。
(もう終わった)
振り向いたがセイイツが冷たい表情のままそう言った。
「終わった? 何が? おいらは何も変わっていないよ」
(それは、おまえに自分の変化を感じとる能力がないだけの話だ)
グドンは驚愕の思いでその言葉を聞いた。
変化を感じとる能力がない? ということは、自分の中からジュウイツの影がすでに一掃されたということか? ただ自分はそれを感じとる能力がない?
再び、グドンとボウが顔を見合わせる。
ボウは、今すぐにでもグドンと繋がり、セイイツの話が本当かどうか確かめたい気持ちで一杯だった。
(これで、約束は守ったぞ)
グドンの顔にゆっくり笑顔が広がった。
その笑顔に感化されたようにボウも笑顔になる。
セイイツの話が事実なら、これまでと何も変わらず、二人で一緒に生きていける。そのことがグドンもボウも信じられなかった。しかし、セイイツに嘘をつく必要がどこにある? 間違いなく、グドンはジュウイツの影から解放されたのだ。
二人は思わず手を取り合った。
その瞬間、セイイツの存在はもう二人の頭から消し飛んでいた。
しかし、もう少しじっくり観察していたら、セイイツの行動の不自然さに気づいていたかもしれない。
もう用済みとなったはずの彼は、なぜか、二人に背を向けたままその場から去ろうとしなかった。
グドンとボウが喜びを分かち合ったあと、握り合っていた手を放し、冷静さを取り戻すと、それを待っていたように、セイイツは再び二人を振り向いた。
それでも、二人はまだセイイツの不可解な行動に気づいていない。
気づいたときにはすでに手遅れだった。
グドンが何か胸騒ぎのようなものを感じてセイイツを振り返ったとき、彼の脳天を強い力が貫いた。
「あ!」
それは、渉不城前の湖で、グドンたちがセイイツから攻撃を受けたときとまったく同じだった。
一瞬にして、グドンは気を失うと、その場に頽れるように倒れた。
それはボウも同じだった。脳天に強い衝撃を感じると、痛みを感じる暇もなく、その場にどさりと昏倒する。
セイイツが腕を振ると、どこからともなく巨大な木箱が二つ飛来して、夫々、グドンとボウの横に着地し静止した。
もし二人がその木箱を目にしたら、これと同じものをどこかで見たことがあると気づいたろう。
それは廃墟の扉を通して行く、倉庫の中に積まれていたあの木箱と同じものだった。
そう、あの小児趣味の老人や妖器職人、さらにはコウギシが収容されていた例の木箱と、そっくりそのままだった。
誰の手を煩わせることもなく、木箱の蓋が自然に開くと、セイイツはグドンとボウの体をそれぞれの木箱に納めた。。
やがて、蓋の閉じられた木箱が独りでに空中に浮かび、再びセイイツが腕を振ると、空を切ってどこかへ飛び去っていく。
二つの木箱がどこへ飛んでいったかは、考えるまでもなかった。二人を収容した木箱はあの倉庫へと向かったのだ。
二人は、いつか、必要なときが来るまで、ほかの者たちと一緒に倉庫の中に放置される運命にある。グドンとボウは正式に倉庫の新たな住民となったのだ。
セイイツは、そうした作業を終えると、自らも宙へ浮かび上がり、どこかへ向けて飛び去った。




