201 卑怯者
それはまるで、グドンがやられたときの再現映像を見ているようだった。
ドミアールは驚愕の表情で、自分を見下ろすグドンを上目勝ちに見た。
「どう? 五分五分でしょ?」
グドンが薄ら笑いを浮かべると、ドミアールはセイイツの背中へ目を向け、
「セイイツね。彼があなたに教えたんでしょ?」
と食い縛る歯の隙間から声を絞り出す。
「セイイツ? 彼は関係ないよ。だいたいそんな時間もなかったでしょ? おいらとボウは、あんたと一緒に幻覚を見てたんだから」
「だったら、どうして、こんな力をもってるの!」
グドンはボウに目を向けると、にっこり微笑んだ。
ドミアールの能力を学んだのは、もちろん、ボウを通してだ。幻覚の中で、彼女が彼に対し何度も放った攻撃から多くを学んだ。と同時に、ボウと魂が繋がったことにより、彼女がドミアールから学んだすべてを知り把握した。だから、間接的ではあるが、グドンはドミアール自身から能力を授けられたといってもよかった。
しかし、ドミアールに対してはそんなことはおくびにも出さず、
「それが重要? それより、もう痛みに耐えられないんじゃない? やっとボウの苦痛がわかった? ひとに痛みを与える専門家が、痛みに弱いなんて笑えるよね」
実際、彼は小さく声を出して笑って見せた。
ドミアールが何か言い返そうとしたが、グドンはその隙を与えず、再び瞬間移動すると、彼女の背後に現れ、左右の肩甲骨の中央あたりを指で突いた。
ドミアールが絶叫と共に体を痙攣させ、堪らず地上へ落下していく。
彼女の感じた激痛は、グドンの痛みをはるかに上回っていた。右半身はすでに痺れて自由が利かなくなっている。
彼女がもう一つ衝撃を受けたのは、グドンの移動する速度だった。
瞬間移動の速度がどんどん速くなっている。初めてグドンが瞬間移動したときは、それを軽く避けることができた。それなのに今は、相手の動きを把握するのが難しくなっている。そんなことはありえないと思っても、この短い時間に、グドンが能力を向上させているとしか思えなかった。
この子、いや、ジュウイツの肉体が持つ潜在能力はそれほど高いものなのか?
そう感じたドミアールは、益々グドンを殺さずにはいられなくなった。
グドンを殺してもジュウイツはきっと生き残る! この奇跡的な肉体は元々ジュウイツのものだったのだから。
だが、悲しいのは、自分の勝ち目がどんどん少なくなっていくことだった。
時間をかければかけるほど、グドンの力は強まり、自分は弱くなる。
それでもドミアールはグドンへ攻撃を仕掛けようとした。まだ勝負は決まっていない。
そのとき、彼女は自分の動きが遅くなったように感じた。まるで、周りの空気の粘力が高まったようだった。水の中で泳いでいたら、突如、その水が泥沼に変化したように。
見ると、グドンが笑みを大きくしている。
「おいらはもう、昔のおいらじゃないよ。でも、これはあなたが言ったように、セイイツのお陰かもしれない。彼がおいらを幻覚の世界に閉じ込めてくれたお陰で、いろんなことがわかったし、いろんなことが出来るようになった。幻覚の中で、おいらは寝たきりだったけど、あなたやボウを傷つけることができたでしょ? これもそれと同じだよ。あなたに触れることなく、あなたを傷つけられる」
「嘘よ、こんなの…」
ドミアールは現実を受け止めきれない。
そのとき、彼女の目の端に、ボウの姿が映った。
思わずドミアールの口元が嫌悪の感情で歪む。彼女にとってボウは裏切者だった。あれほど熱心に手ほどきしてやったにもかかわらず、平気で自分を裏切った小娘。幻覚の世界では、ジュウイツが自分の命より大事だという振りをしていたくせに、現実に戻れば、あっさりすべてを忘れている。これが裏切りでなくて何だろうか?
ドミアールが地上へ落ちたあとも、グドンの攻撃は容赦なく続いた。
グドンが彼女に触れるたび、ドミアールは激痛でのたうち回った。今はもう目も霞み始めている。
「どう? 痛い? ボウがどれほどの痛みを感じていたか、わかった?」
その痛みが強まるだけ、ボウに対する彼女の恨みも募った。
この小娘が裏で何かしたに違いない。ドミアールはやっとそのことに気がついた。気がつくと同時に、自分に残されているのはこの娘を利用する道しかないと悟った。
今はグドンに歯が立たない分、ボウに対する憎しみも募る。
ドミアールは、最後の力を振り絞って瞬間移動した。次に現れたときは、ボウの背後に立っていた。
彼女はすかさずボウの急所を指で突いて動きを封じると、鬼の形相でグドンを振り向いた。
「一歩でも動けば、この娘の頭を吹き飛ばすわよ」
グドンは動きを止め、ドミアールの顔を睨みつける。
「勝てないとわかると、卑怯な手を使うんだね? ジュウイツはやっぱりあなたのこどもだ。彼の不幸は、あなたから卑怯者の血を受け継いだことだ」
血走ったドミアールの目からは今にも本物の血が流れ出しそうだ。
「その汚い口をもう一度開いたら、まずこの小娘の右腕を吹き飛ばす」
グドンは顔色を変えず、セイイツに視線を向ける。
「こんなことになっても、あなたはドミアールを放置するの?」
セイイツはあらぬほうを向いたまま返事をしなかった。
グドンは思わず失笑した。
「おいらはさっき間違ったことをいったよ。ジュウイツが屑だったのは、母親がドミアールだったからじゃない。両親があなた方二人だったからだ」
はじめて、セイイツがグドンに目を向けた。
(おまえのいう通りだ。だから、わたしはおまえを助けない。畜生の息子を持った、畜生の父親として)
グドンは、それ以上何もいう気が起こらず口元を歪める。ボウは軽侮の籠った目でセイイツを睨んだ。この男性は本当に半妖の英雄と呼ばれた人だろうか?
グドンは改めてドミアールに目を向ける。
「それで、おいらにどうしろというの?」
今度はドミアールが失笑した。
「どうするべきか、わたしに訊かないとわからない? そうね。確かに難しい問題ね。できれば、ジュウイツの肉体は傷つけたくないし…。でなければ、まず両手足を切り落とすことから始めてほしいけど。体を傷つけず、あなたの息の根を止める方法。何かない?」
「駄目よ!」
ボウが大声で叫んだ。
「あなたが死んだところで、この人はわたしを絶対に生かしておかない。結局二人とも死ぬことになるのよ。二人が犠牲になるより、一人でも生き残る道を選ぶべき。わたしはグドンが敵を討ってくれると信じてる」
それを聞いたドミアールは口をへの字に曲げたが、
「残念ながら、あなたが犠牲なって死ぬのを見て見ぬ振りをする度胸は、この子にはないわね」
と哀れむように言った。
「生きるか死ぬかの戦いで、卑怯な手がどうとかいっているようじゃ駄目。自分の命より良心を選ぶなんて愚の骨頂よ。だけど、悲しいことにこの子はそう生まれついているのかもね。目の前であなたが死んでいくのに耐えられない」
「グドンは愚か者じゃないわ」
ボウは断言した。
「二人とも死ぬとわかっていながら、あなたの汚い手に乗るほどこどもでもない」
ホホホと、ドミアールは本当におかしそうに笑った。
「じゃ、この子がどうするか見てみましょう。本当なら、賭けをしたいところだけど、どうせ、あなた方は二人とも死ぬことになるから、賭けても意味がないのが残念ね」
「おいらが、ボウを犠牲に出来ないと思う?」
ドミアールの自信を嘲笑するように、グドンは頬を緩める。
「出来るというの?」
「出来るよ」
あっさりいってのけた彼の言葉は、はったりのようには聞こえなかった。とたんにドミアールの顔が強張る。
「あなたに出来るはずがない」
「それを聞いて、おいらは喜ぶべきかな? ボウも言ったでしょ? 二人とも死ぬより、一人生き残る道を選ぶべき。それにボウにかまけている間は、あなたは攻撃も防御もままならない。これほど簡単な選択はないよ。あなたはボウを殺すのに時間をかけていればいい。おいらはその隙を利用させてもらう」
ドミアールが迷いを見せるのと同時に、ボウは蒼ざめた顔で目を伏せた。
自分でもそう言ったし、理屈ではグドンのいう通りだとわかっている。それでも、実際に彼の口からこうした言葉を聞くのは辛かった。
でも、わたしたち二人には、今、そうする道しか残されていない。自分を慰めるようにそう考えようとしたが、心の奥底にどうしようもない痛みが走った。
彼女は血の出る思いで首を振り、
「グドン、短い間だったけど、あなたといられて幸せだった」
と心の中で呟き、自分の弱い心を封印した。
その表情を、グドンは心に焼き付けるように凝視している。
彼女は自分を恨んではいない。ただどうしようもなく悲しくて堪えられないだけだ。できれば、二人一緒に死のうと言ってほしかった。そう思っているのが顔に出ている。そして、それを必死で覆い隠そうとしているのもわかった。
ボウ、おいらは誰よりもきみが好きだ。これまでも、これからも…。
グドンは瞬間移動の体勢に入った。
ドミアールもそれを敏感に感じ取り、ボウの体を盾にする。
「あなたの体が貫くのは、わたしではなくて、このお嬢さんよ!」
必死で叫び、ボウを盾にしたまま、自分もグドンへ向けて突進する。
ボウを傷つけず、ドミアールを仕留めることは無理だ、と誰にも見てとれた。
次の瞬間、ボウの体が何か強い力で撥ね飛ばされた。
彼女は何メートルも吹き飛ばされたあとで、何とか体勢を立て直し、慌てて背後を振り返る。
彼女の目に空中に佇むグドンの姿が映った。
何が起こったかわからず、グドンに声をかけようと口を開きかけたとき、彼の後ろにドミアールの姿が見えた。
ドミアールは二人を見ると、大声で笑い始めた。
その笑い声はすでに常軌を逸していた。けたたましく耳障りで、女性の笑い声とはとても思えない。
そのとき初めて、グドンの胸に大きな穴が開いているのが見えた。
「嫌ああッ!」
見えた瞬間、ボウの口から絶叫があがった。




