199 ボウの企み
グドンには、今のボウがグドンとジュウイツを混同し、混乱しているように見えていたかもしれないが、実際にはそうではなかった。
彼女の中で、愛するのは今もグドンであり、ジュウイツではなかった。元より、今見ているのが幻覚であると強く認識していた。
ただ言動の制御が利かなかった。グドンを愛していると言いたくとも、なぜか、憎いと口にしてしまう。さらにやっかいなのは、それに伴い、実際にグドンを嫌悪する感情が湧いてしまうことだった。それはごく一時的なもので、その場が過ぎればすぐに治まるが、リンタロウに対し肉欲を我慢できなかったように、その瞬間だけは、どうにも抑えがきかなかった。
しかし、そんな状況の中で、彼女は自分に何ができるかを考えた。
今、セイイツの幻覚に抗うことはとうてい不可能だ。また、幻覚の中で自分が何かしたところで、そのことに意味があるとも思えなかった。幻覚は幻覚だ。たとえ、ドミアールを殺すことに成功したとしても、本物のドミアールには何の変化も起きない。幻覚の中で、ドミアールにビンタを食らわせ留飲を下げるのは、愚か者のぬか喜びといってよかった。
そこで彼女は考えた。相手に危害を加えることができないなら、グドンを助けることは出来ないか?
もちろん、この場合のグドンは実際のグドンで、幻覚の中のグドンではない。
ドミアールを殺害すること以外に、グドンが求めるのは何だろう? いうまでもなく、ジュウイツを自分の中から消し去ることだ。そして、それなら、今の自分にも協力できる気がした。
この幻覚の中で、ボウはグドンを嫌悪し、ジュウイツの体から追い出したいと考えている。それはとりもなおさず、立場が逆転しているだけで、現実のグドンと同じではないか? 今のグドンを攻撃することは、現実世界でジュウイツを抹殺するためのヒントになるのではないか? 彼女はそう考えた。
試みがそんなに簡単に成功するとは思わなかったし、成功は、幻覚の中の話とはいえグドンの死を意味する。
だが、現実世界での二人の幸せのために、幻覚の中のグドンが死んだところで痛くも痒くもない、と彼女は思うことにした。もちろん、幻覚であってもグドンを苦しませるのは申し訳ないが、将来の幸せのため、彼には我慢してもらうしかない。
ボウは、ドミアールを助ける形でグドン抹殺に専心した。
これには、思わぬ収穫が二つあった。
一つは、ドミアールの施術法の習得だ。
ドミアールはグドンに直接危害を加えることは出来ないから、彼の魂に侵入するボウがそれを代行することになる。その際、ドミアールの使う手法は主に、グドンに病原体を植え付けることだ。それも、ジュウイツの体には悪影響を与えず、グドンだけを集中して狙う手法が必要になる。現実世界で、グドンがジュウイツを抹殺するのに、これほど合致した方法はないように思えた。
病巣を相手に植え付ける手法や植え付ける病原体を、彼女はドミアールから手取り足取り学ぶことができた。
もう一つは、ボウの攻撃によって、グドンの生命力が弱まるどころか逆に強まり、力が向上し始めたことだ。
これが、彼女の攻撃と直接関係があったかどうかはわからないが、とにかく、グドンは日を追うごとに能力を高め、存在感を増していた。
考え方によっては、これは彼女が忌むべき結果だったかもしれない。なぜなら、攻撃によってグドンの影が力を強めることは、現実世界で、ジュウイツに対する攻撃は、その生命力を強めることを意味するからだ。
だが、ボウは別の考え方をした。
幻覚のグドンの影は、本物のグドンではないが、同時にグドンの分身でもある。彼が幻覚の世界で力をつけることは、現実世界の能力向上にもつながる、彼女はそう推測したのだ。
幻覚の世界で彼女が学んだものを現実世界で利用できるかどうか自信はなかったが、グドンなら、必ず現実世界でもここでの経験を生かせるに違いない、と彼女は確信していた。それはグドンに対する信頼の証でもあった。
幻覚の中の彼女は、グドンの影を消し去ることに日々明け暮れた。
しかし、残念なことに、それは長くは続かなかった。
効果がなかったわけではなく、もちろん、彼女が飽きたからでもない。正確にいえば続けられなくなったのだ。グドンの力があまりに強まったことで、彼の反撃により、ボウはもちろん、ドミアールも重傷を負うことになった。誰が考えても、グドンへの攻撃は消極的な結果しかもたらさなかったし、続けたくとも、もうその余力が残っていなかった。
意気消沈するボウを、ドミアールが肩を抱き笑顔で慰めた。ジュウイツのためにあなたが払ってくれた犠牲をわたしは決して忘れない、と。その裏で、ボウが内心ほくそ笑んでいたことも知らずに…。
ボウとドミアールはグドンの影を消滅させる作業を完全に放棄した。
そのことが結果的に、ドミアールとジュウイツが一緒に過ごす時間を増やすことになった。
一つには、グドンの影が次第に存在感を増す中で、彼女の危機感が高まったことが理由にあげられる。このままいけば、いつか、グドンが今の肉体を占拠し、ジュウイツは駆逐されてしまう。そんな恐れが彼女の中で次第に強くなった。想像したくないと思いながら、ドミアールは最悪の事態を予測し、それに備えないわけにはいかなかった。
仮にグドンが肉体を占拠し、ジュウイツが消えてなくなるか、それに近い状態になれば、この肉体を生かし続けることは出来ない。もし、肉体を破壊すれば、ジュウイツも永久に復活できないことになる。それでも、あえて手を下すほか方法はなかった。
だから、多少なりとも心が残っている今は、少しでも多くの時間をジュウイツの体と過ごしたい。ドミアールがそう願ったのは、いたって自然な流れだった。
こうした局面を迎えても、セイイツは姿を現さなかった。
その理由が彼女には理解できなかったが、もうそんなことはどうでもよかった。自分の誇りであり、心から愛する息子と一秒でも長く一緒に時間を過ごしたい。彼女の心にあるのはそれだけだった。
最後のときが来たら、自らが手を下す。そして、自分もこの世から消え去る。どんな形であれ、どんな理由があったとしても、愛する息子を手にかけた自分を許すことは出来ない。元より、自分だけ生き続けることになど、何の意味もなかった。
心を決めたドミアールは、自分がかつてより強くなった気がした。
そして、ジュウイツが自分の息子として生まれてきてくれたことに心から感謝した。自分自身がこの世に生を受けた意味がそこにあった、と思えたからだ。




