193 失敗、失敗!
ソウエイと暮らした小屋は以前のまま残っていた。
よく考えれば、グドンが渉不城を離れてまだ数か月しかたっていないのだから、それほど大きな変化があるはずもなかった。だが、心の中では、ここでの生活が、遥か遠い昔のことのように感じられる。
ボウを連れて小屋へ入ると、驚いたことに中には先客がいた。
「ショウボクさんでしょ?」
笑顔で奥から姿を現した青年に声をかけたのは、ボウのほうだった。
グドンと二人、小舟で渉不城を離れる際、この青年が手を振って彼らを見送っていたのを、ボウははっきり覚えていた。
こども時代、グドンをいじめたことで大人から折檻を受け、脳に障害を負った青年だ。しかし、今のショウボクに障害の影はなく、二人を見ると、
「いつか帰ってくると思っていた」
と白い歯を見せた。
「病気は治ったんだね? ショウボク」
グドンも嬉しそうに近寄って彼の肩を叩く。
「信じられないだろうけど、小犬が治してくれたんだ」
グドンとボウは顔を見合わせ、笑みを大きくした。
「信じるよ。その小犬はただの小犬じゃない。凄い力を持ってるんだ」
「あの犬のことを知ってるのか? じゃ、両親にもそのことを話してくれ。いくら言っても信じてくれないんだ。病気が治ったあと、一時期、おれがグドンの姿だったこともね」
三人は思い合わせたように声をあげて笑った。
ショウボクは、どれくらい当時のことを覚えていて、また、理解できているのだろうか?
いずれにせよ、すっかり元気になったショウボクを眺めながら、グドンは心の重荷から少しだけ解放された気がした。
「二人の邪魔はしないよ」
ショウボクが言う。
「きみたちがいなくなってからも、時々、ここへ来て眠っていたから、室内は片付いているはずだよ。しばらく過ごすには不自由しないと思う」
「ありがとう」
グドンの感謝に頷いたショウボクは、あっさり小屋を出て言った。
ショウボクの背中を見送っていたボウは、すぐにグドンを振り向いた。
「今夜、これからどうするか聞かせて。まさか、わたしをここへ置き去りにするつもりじゃないわよね?」
と、相手の心を見透かしたように言う。
グドンは悪戯小僧のように鼻梁に皴を寄せ、
「じゃ、おいらと一緒に来る? 能力の修練をするもりだから、近くにいると、また例の夢を見ると思うけど、それでもいい?」
恨めしそうにボウはグドンを睨んだ。
「グドンは凄く能力が高いのに、どうして、そこだけ自分を制御できないの? もしかして、わざとじゃないの? わたしを揶揄って喜んでる?」
「濡れ衣だよ。そんなことして、おいらに何の得があるのさ? きっと、ジュウイツの欠片の仕業だよ。邪悪な心がきみに悪さをしてるんだ」
ボウが疑う目でグドンを睨む。
「ふん。都合が悪くなると、全部ジュウイツのせいね。いいわ。わたしはここで一人寂しく一夜を明かすから」
「うん」
頷いたグドンは真面目な表情に戻り、
「おいらの能力に何か進展があればいいけど…。時間をかければ、ドミアールに勝てると仄めかしたセイイツの勘を信じるしかないよね」
「セイイツさんは、本当にグドンに勝たせたいと思っているかしら」
ボウの口から思わず本音が漏れる。その顔色は暗くどことなく表情が浮かなかった。セイイツの思惑が、グドンの推測とはどこかズレている気がして仕方ないのだ。
「以前にもいったけど、ドミアールにおいらを殺させる気なら、渉不城から彼女を連れ出す必要はなかったし、小船の上でおいらたちを待ち伏せする理由もなかったと思う」
「そうであることを願うわ」
名残惜しい気持ちを堪えながら互いに別れを告げると、グドンは小屋を離れ、鉱山のある山奥へと向かった。
鉱山は今日もひっそりと静まり返っていた。
グドンが下山し、渉不城を離れる前と何一つ変わっていない。
坑内に入れば、もちろん、仙族の遺体を入れた棺はなくなっているだろうが、外から見るかぎり変わったところはなさそうだった。
ただこの辺りも、冬を迎え、凍てつき、夏場にはあった生命力を失っている。
グドンは坑内の奥へと足を踏み入れると、しばらく進んだのち、適当に場所を見つけて腰を下ろした。何も坑道内へ入る必要はなかったが、ボウやほかの者たちに与える影響を少しでも軽くできればと考えた。
今回の修練は、時を巻き戻す能力を手に入れることに時間と精力を集中させるつもりだった。
ドミアールに対抗する手段として、今、役に立ちそうなのはこの能力以外にはない。元々持っている能力では彼女に勝ち目がないのだから、自信はなくとも、新しいことに挑戦しなくては話にならなかった。
前回、湖畔での経験から、今回は巻き戻す時間を出来るだけ短くすることにした。とりあえずは、ついさっき、坑道の入口に着いたころに巻き戻すことから始める。
問題は、再生される映像を自由に選べるかどうかだったが、意外にも、これはあっさり克服できた。前回見た映像を応用する感じで、脳海で坑道へ入ったばかり自分を思い浮かべると、すぐにそこから映像が始まった。
ところが、時間を遡る試みは、結果的にうまくいかなかった。
坑道へ入った直後へ戻ろうとしたグドンは、何も出来ぬままあっさりはね返された。いや、はね返されたというより、ほんの少しその時間軸へ吸い込まれる感覚があった以外は、何一つ変化が起きなかったのだ。
これは湖畔の夢の中で、何時間も前の馬車の中へ戻ろうとしたときとまったく同じだった。一言でいうなら、坑道の入口まで時間を遡ることは、今のグドンの能力では難しいということだ。
しかし、坑道へ入ってから腰を下ろすまで五分はかかっていない。五分さえ戻れない能力に何か意味があるのだろうか?
疑問に感じつつも、グドンは、何事も一歩ずつだと考え直し、さらに遡る時間を短くすることにした。
今回は、今いる場所に腰を下ろした瞬間だ。
グドンは頭の中で胡坐をかいたばかりの自分を思い描き、そのときの映像が流れ始めるのを待った。そして、映像が始まってもすぐには時間を遡らず、前回、坑道の入口まで時間を遡る試みを始めた時点になって初めて時間を遡ろうとした。
今回は前回までとは違う反応があった。
明らかに何か強い力で映像の中へ吸い込まれるのを感じ、思わず期待に胸を膨らませた。だが、次の瞬間、見ていた映像が急に真っ暗になり、同時に彼は意識を失っていた。
それから、どれほどの時間が経ったろうか?
グドンはひどい頭痛の中で目を覚ました。
目を覚ました途端、自分に何が起こったのかを悟った。
おいらはまた気絶したんだ。
今回の頭痛はなかなか治まらず、上半身を起こして頭を抱えたまましばらく痛みに耐えねばならなかった。
それがほんの少し治まると、大きく溜息をついて背後に倒れるように寝転がった。
失望というより、絶望に近かった。
今回と前回の試みの間に、いったいどれほどの時間があっただろうか?
一分か、それとも数十秒?
ただ単に時間を遡ることに失敗しただけでなく、長い時間気を失ってしまった。これが、実際の戦闘の中で起こったらどうなるだろう? 相手はグドンに対し何でも好き放題に出来る。これでは、相手を倒す能力というより、自ら首を絞めるに等しい能力だ。この能力を高める修練を続けるべきかどうかさえ怪しくなる結果といえた。
それでも、グドンは諦めず、上半身を起こして再び胡坐をかくと、今度は、たった今、上半身を起こしたたばかりの自分を脳裏に思い描いた。
時間にすれば十秒もない。
しかし、時間を戻ろうとした瞬間、また周りが真っ暗になり意識を失った。
しばらくして意識を取り戻したグドンはもう、起き上がる気力さえ失っていた。
十秒しか遡れない能力など、もう能力とはいえない。しかも、その十秒さえ遡ることに成功したとはいえない。実際、遡ってなどいないし、気絶してしまった。
つまり、成果はゼロだ。
グドンは大声で叫びたい衝動をやっと堪えた。
十秒? 十秒が駄目なら次は五秒でやってみよう。
こうなれば、我慢比べというより意地だった。
グドンはもう一度胡坐をかき、直前の自分を脳裏に思い描いた。しかし、すぐには時間を遡らず、自分が胡坐をかいた瞬間を待って時間を遡ろうとした。
次の瞬間、グドンは胡坐をかいたばかりの自分に戻っていた。
だが、成功した、と思った刹那、また気を失っていた。
再度、目を覚ましたグドンは、自分は喜ぶべきか否かに頭を痛めた。いや、元々頭は割れるように痛かった。試みを続けるのは、もう限界だという気もした。
それでも、遠くにほんの小さな明かりを見た気がした。
気を失いはした。だが、先刻、自分は確かに時間を遡ることに成功した。これは紛れもない事実だ。
こうした試みを何度か繰り返せば、遡る時間を長くすることができるだろうか? 少なくとも、気絶せずにすむようになれるか?
答えはわからなかったが、今の自分には、試みを続ける以外選択肢がない気がした。
それはそれとして、グドンは、とりあえず一度、坑内から出ることにした。
これまで何度も気を失ったから、時間の感覚がおかしくなっている。坑内へ入ってからどれほど時間がたったのかさっぱりわからない。もしかすると、もうボウと別れてから、何十時間も経ってしまっている可能性があった。




