192 伴侶の紹介
グドンは手を掲げ、住民たちのざわめきが治まるのを待った。
「あなた方は、大事なことを忘れている。おいらがこどもだったころ、町のほぼ全員がおいらの力を怖がっていたことだよ。その力を覚醒させないために、皆は何でもやった。おいらはずっと痩せこけて立つのもやっとの小犬のように育てられた。そのおいらに、今さら何を期待するの?」
住民の間にまた重く長い沈黙が流れた。
グドンがどんなこども時代を過ごしたか、彼らが一番よく知っていた。とても人間的、いや、半妖的とはいえない育てられ方だった。彼から何もかも奪い、ただ死なないで生きていることだけを求めた。そんな彼に、住民たちは何を求めることができるのか?
「おれたちも騙されたんだ」
やっと、群衆の中からそんな声が漏れた。
「そうだ。きみは非常に危険な存在だと思い込まされた。そう仕向けたのが、セイイツなのか、ドミアールなのかはわからない。だが、我々はそれを信じるしかなかった…」
「あなた方を責めてるんじゃないよ」
グドンはやさしい声で相手を慰めた。
「もちろん、責める気持ちもあるけど、今はもうどうでもいい。セイイツと話をしたから、ああした生活を要求したのが彼だということも知っている。彼が怖がったのは、おいらの力の覚醒ではなく、ジュウイツの邪悪な心がおいらに与える影響だった。でも、それももうどうでもいい。いずれにせよ、過ぎたことだし。ただ、おいらが町のために何かするとは期待しないで。おいらはすぐにこの町を離れる。町をどうするかはあなた方の問題だ。ただひとつはっきりさせたおきたいのは、セイイツがこの町へ戻ることは二度とないこと。彼自身がそういったから間違いない」
その言葉に、コウギシはなぜか頷いた。
グドンが続ける。
「だから、セイイツもおいらもなしで、あなた方はこの町をどうしたいか考えて。もし、町と外の世界を自由に行き来できるようにしてほしいというなら、それはおいらがセイイツに伝える。おいらに出来るのはそれくらいだ」
「あなたは、これからセイイツに会うの?」
驚いたコウギシが反射的に尋ねる。
グドンは頷いた。
「彼は今、ドミアールと一緒にいる。でも、コウギシ、あなたがセイイツやドミアールに会う機会は恐らく二度とない。辛くても、それを受け入れてほしい」
実のところ、グドンにはもう一つコウギシに伝えなければならないことがあった。彼女の兄リョクギダンのことだ。だが、彼はそれをあえて伝えないことにした。長い間、互いに音信不通だったようだし、今さら彼の現状を告げたところで、悲しませるだけで何もならない。
それに、グドンの想像が間違っていなければ、蟻巣島を崩壊させたのはセイイツだ。妖獣ではない。妖獣が島を崩壊させるはずがないし、そんな力もなかったろう。力を持った者がいるとすれば、セイイツしかいない。ということは、間接的ながら彼はリョクギダンの生命をも危険に晒したことになる。それをコウギシに話すのはあまりに残酷だった。
「どうして?」
訊いたのは、ヤセイだ。
「どうして? それは、なぜセイイツがここへ戻らないかを訊いてるの?」
「いいえ。あなたのことよ。あなた自身、ここへはもう二度と戻らないといったように聞こえたわ。本音では、そこまでわたしたちを憎んでるということ?」
グドンがはじめて笑顔を見せた。
「違うよ。おいらには、好きな女性がいるんだ。そのひとと二人、どこかで静かに暮らしたい。出来れば、おいらたちのことを誰も知らない土地で」
何人もがはじめてボウへ視線を向けた。
グドンと住民たちの対話が始まってから、ボウはずっと蚊帳の外だった。
そのことに対し彼女に不満はなかった。彼らの問題に自分が口を出すのは間違っていると感じていたし、グドンが自分を無視しているわけではないのもわかっていた。
むしろ、彼女は、誰にも注目されないことでホッとしていた。このままグドンたちの話が終わるのを待ち、二人でここを離れればそれでよかった。
それでもグドンが手招きすると、傍へ歩み寄り。グドンと並んで立った。
「ボウというんだ。もうおいらの伴侶だよ」
ボウが微笑むと、ほとんどの住民が驚いて二人を見直す。
ホウカだけは複雑な表情で顔を背けた。
「ボウは半妖なの? そうは見えないけど」
揶揄うようにヤセイがいう。
ボウが仮面をとると、その姿が半妖たちの目の前からパッと消え去った。
「化け物だ!」「幽霊だ!」
大ぜいが悲鳴を上げる中で、
「違う。彼女は仙族だ」
リャクナンが落ち着いた声で指摘する。
再び仮面をつけたボウが姿を現すと、
「そうだ。仙族に間違いない」
とジャキュウも頷いた。
だが、多くの者はまだ衝撃から立ち直れず、何かあればこの場から逃げ出そうと、腰が引けた状態で身構えている。
「仙族? でも、普段の状態なら、彼女の姿すら見えないでしょ?」
揶揄する口調ではなく、二人の行く末を心配するようにコウギシが言った。
「グドンには、わたしの姿が見えるんです」
ボウがはじめて喋ったことで、住民たちにまたざわめきが広がった。
こいつ、本当に喋ったぞ! 幻影じゃないのか!
「見える? 見えるはずがないわ」
コウギシが持っている常識からすれば、半妖に仙族が視認できるはずはなかった。
再びボウの姿が消える。
しばらくして、グドンが十メートルほど移動し手を差し出すと、そこに彼と手をつないだボウが現れた。
グドンはやはり通常の半妖とは違う。コウギシをはじめ住民全員がその思いを新たにした。これがグドン自身の能力にせよ、ジュウイツの能力にせよ、自分たちとはまったく別の存在なのだ。
「でも、仙族の伴侶は神によって選ばれると聞いたことがあるわ。二人が一緒にいることは可能でも、やがて別れの時が来る。彼女に本物の伴侶が現れたとき」
尚もコウギシは食い下がった。心配しているのは、もちろん、グドンの心だった。セイイツとのこともあり、彼女は男女の関係に敏感だった。一時の感情から夢を見たところで、その夢が破れたとき、受ける苦痛が計り知れないことを、彼女は誰よりもよく知っていた。
「それは啓示のことですね?」
とボウは親しみを込めて言う。このコウギシという女性が、グドンの数少ない味方であることを知っていたし、今も心から彼を心配していることを感じていた。
「わたしにとって、グドンは啓示を受けた相手です。残念なことに、グドンにとってわたしは唯一ではないかもしれませんけど、わたしにとって彼は唯一無二です」
「唯一無二…」
聞いたコウギシの心はなぜか、敗北感で一杯になった。
縁のあるものは放っておいても自分のものになるし、そうでないものは、何をやっても永久に自分のものにはならない。やっとそのことに気が付いた様子だった。遅くなり過ぎたとはいえ、今こそ、未練と決別をつけるときかもしれない…。
「今夜一晩、おいらはこの町にいるつもりだよ。明日の朝、皆の思いを聞かせて。それをセイイツに伝えてあげる」
と、グドンは住民たちに告げた。
「それと一つだけ、おいらは、天妖都で何人もの半妖に出会った。でも、彼らの生活はここよりも希望のないものだった。実は、彼らが渉不城へ移ってきたいというのを、おいらが止めたんだ。だけど、もし将来、彼らがここへ来ることがあったら、優しく迎えてあげてほしい。お願いだから」
住民たちが複雑な表情で黙り込む中、グドンは続けて、
「おいらが住んでいた小屋は今も空いてるでしょ? 今夜一晩だけ、あそこを使わせて」
言い終わり、この場を離れようとしたグドンを、
「そ、それはいいけど…」
と、コタンフが引き留めた。
視線を向けるグドンに、コタンフはいつものヘラヘラ笑いを浮かべ、
「へへ、今さら、どうでもいいことかもしれないけど、おまえはさっき、ホウカの発言の一部が当たってるといったよな? あれはどういう意味だったんだ?」
死んだように顔を伏せていたホウカがぼんやりとした視線を上げた。
グドンは苦笑し、
「言われなければ忘れてしまうところだった」
と上着から別天袋を取り出す。
戸惑いを見せつつ見守る住民たちの前で、グドンが腕を振ると、突然、目の前に何人もの半妖が現れた。
それがムダイたちだとわかると、誰もが驚愕の声を上げる。
ホウカは立ち上がり、思わず父親の傍へ近づいて行く。この父親が偽物だろうと何だろうと、今の彼女に縋れるのはムダイしかいなかった。
出現したムダイたち本人は、状況がのみ込めず呆然とその場に立ちすくんでいる。
彼らが我を取り戻すより早く、ジャキュウが誰にともなく大声で命じた。
「こいつらを逃がすな! 町の裏切者だ!」
はっと我に返ったように、大ぜいがムダイたちを取り囲む。
だが、実際には、そんなことをせずとも、はじめから彼らに逃げる意思など毛頭なかった。この期に及んで、いったいどこへ逃げろというのだろう。
ホウカたち多くの住民は、ムダイたちに真相を確かめる機会があるはずといったグドンの言葉の意味を、今にして理解できた気がした。
真相を知りたくて、誰もが顔色を変えている。
それまで生気を失っていたホウカまでもが、一縷の望みを託すようにさらにムダイの近づく足を速めた。
これがグドンの嘘を暴く最後のチャンスだ。
グドン自身はそれにはかまわずボウの体を抱くと、再び宙に舞い上がった。
あっという間に、グドンとボウの姿はその場から消え去った。
だが、ほとんどの者はそれに気づいてさえいなかった。
ムダイたちを取り囲む住民たちの輪が、次第に小さく狭められていく。
ただ、コウギシやヤセイたち数人だけは、打ちのめされた表情のままその場をゆっくり後にした。
彼女たちにとって、ムダイのことなどもうどうでもよかった。たとえ、グドンの発言を否定することを言ったとしても、彼女たちの思いが覆ることなどありえない。
それより、これからの自分の身の振り方を真剣に考える必要があった。




