190 英雄帰る
「湖が閉鎖されただと?」「セイイツ?」「こいつは何を言ってるんだ?」
グドンの発言には、ジャキュウやリャクナンばかりか、味方であるはずのコウギシやヤセイまでもが耳を疑った。
「ほら、いった通りでしょ? この子の言うことはすべて出鱈目よ。たぶん、どこかで頭でも打っていかれてしまったの」
ホウカが勝ち誇ったようにグドンを罵る。
これまでずっと彼女を庇っていたボウの顔色が一変した。この少女は本当に嫌な奴だわ。グドンに聞いていたより数倍腹が立つ。
コウギシはホウカを無視しグドンと向き合うと、その両手をとり、
「セイイツはまだ生きているの?」
と彼の目を覗き込む。
彼女の瞳の奥には強い祈りのようなものが感じとれた。
グドンは頷いたが、セイイツの現在の姿を思い起こし、
「あなたが想像する姿ではないかもしれないけど、生きてるよ。たぶん、ほんの少し前までこの町にいたと思う」
周りを取り囲んでいた住民の大半の口から、驚きとも何ともとれぬどよめきが上がった。
「皆、この子のいうことを信じないで。何か魂胆があって嘘をついているだけだから」
ホウカは大声をあげると、強い視線でグドンを睨み、
「ついさっきまでこの町にいた? 誰かセイイツさんを見た者はいる? それらしいことに気づいたひとは?」
誰もが黙り込む。
確かに、この青年のいうことは荒唐無稽だ。セイイツが今も生きているはずがない。
「グドンの発言は確かに町を混乱させる。とりあえず拘束して、この子の取り調べは改めて行うことにしよう。どうかね?」
リャクナンがいうと、ジャキュウもすぐさま同意した。今回は手下に頼らず、二人が自ら確保する気でグドンへ近づく。
失望を隠せないグドンは、ジャキュウたちではなくホウカへ視線を向けた。
「きみは心配じゃないの? おいらは、湖は封鎖されていて、今船を出せば死ぬことになると言ったんだよ。それなら、ムダイはどうなったか、どうして訊かないの?」
誰もが虚を突かれたように動きを止めた。
ホウカの顔も蒼ざめる。
「セイイツはムダイを殺したの?」
訊いたのはコウギシだった。
「そのつもりだったようだけど、結局は助かった。でも、これ以上渉不城で暮らすことは難しいだろうと思う」
裏の事情をある程度推測しているらしく、コウギシは黙って頷くとそれ以上何も訊かなかった。
グドンは改めてホウカへ顔を向け、
「おいらの言葉が信じられないなら、あとからムダイに確認すればいい。その機会はあると思うよ」
「ムダイのことはともかく、今はいったんおまえを拘束させたもらう。言いたいことがあるなら、あとでゆっくり聞こう」
ジャキュウが近づこうとするのを、彼らの間にコウギシが割り込んで立ちはだかる。
「やるなら、わたしが相手よ」
睨みあう二人に、グドンは心から溜息をついた。
これ以上、言葉で説得するのは無理という気がした。下手に出ることがかえって混乱を招く。こうしたときは残念ながら実力行使するしかなかった。一番嫌いな力を使って相手を黙らせるのだ。
グドンは無言のまま宙へ浮かび上がった。
「あ!」
住民たちの間から悲鳴が上がる。
その声に背後を振り返ったコウギシも緊張で表情が固まった。
グドンはぐんぐん上空へ上昇していく。と同時に、その体がいきなり炎に包まれた。すでに上空五十メートルを超えているが、地上の住民たちは放射される熱気に、思わずたじろいで掌を頭上へ掲げ背を縮める。
グドンはそのまま湖のほうへと飛翔すると次いで急降下し、速度を落とすことなく、湖面に激突した。
高温度の炎と接触し、水面が爆発したように飛沫を上げる。飛沫は水上数十メートルに達したところで散り散りになり消え去った。
誰もが声を失っていた。
沈黙の中、水中へ消えたグドンの動きを見守る。
やがて、彼の体が水面を突き破って再び空中へ飛び上がると、誰からともなく、
「英雄が戻った!」「我々の英雄が帰ってきた!」「坊ちゃん!」
と、様々な叫び声が上がった。
誰もが興奮に顔を染めている。
ジャキュウやリャクナンはもちろん、コウギシ、ヤセイ、アンカイ、ホウカ、コタンフといった、グドンをよく知る者たちは身動きができず、言葉を発することすらできない。
目の前で起こっていることが真実とは思えなかった。
ジャキュウたちには自分をどうこうする力はない、といったグドンの言葉が、今さらながらにはったりではなかったと彼らにもわかった。
グドンはさらに瞬間移動した。多くの目には、グドンの姿が一瞬にして消えたように見えた。それが遠く離れた場所に再び現れたとき、天に向けて手を合わせる住民が何人も現れた。
「神様!」「仏様!」「グドン様!」
セイイツが生きているかどうかはわからない。だが、彼の息子が英雄となって戻ってきたのだ。
渉不城はこれでもう安泰だ!
グドンは、上空からゆっくり地上へ下り立った。
「脅すつもりはなかったけど、こうしないと静かに話を聞いてもらえない気がしたから」
詫びるようにグドンが言う。
コウギシをはじめ何人かがやっと頷いた。
ジャキュウやリャクナンがばつが悪そうに元いた場所へ戻っていく。もちろん、彼らにグドンを拘束する能力はない。かつての仕返しをされないだけでも儲けものと考えるべきだ。ホウカも悔し気に視線を逸らせた。
周りの雰囲気が落ち着くのを見計らって、グドンが口を開いた。
「まず、言っておかないといけないけど、おいらはセイイツの息子じゃない」
住人たちの間から再びどよめきが起こる。先ほどまでとは違って驚きと失望の籠ったどよめきだ。
「坊ちゃん、なぜ、今さらそんな嘘を…」
言いかける老人たちを制するように、グドンは手を掲げ、
「いや、本当だよ。セイイツにはドミアールという伴侶がいて、二人の間にはジュウイツという息子がいた。当たり前だけど、おいらじゃない。でも、彼はもう死んでこの世にはいない…。でも、今はそれが微妙になっている。そのことが、ここで起こった半妖殺しと繋がっているんだ」
グドンの説明に、住民たちは言葉もない。固まったように、グドンの言葉を頭の中で反芻している。
グドンはセイイツの息子じゃない? セイイツにはドミアールという伴侶がいる? 二人の本当の息子はジュウイツ?
そのどれもが彼らには信じられないものばかりだった。
「ドミアールというのは、あなたをこの町へ連れてきた女性のこと?」
コウギシが震える声で確認する。ドミアールはセイイツの伴侶と言われたことが、彼女にはショックだったようだ。
グドンは頷き、
「あなたに大怪我を負わせて逃げたのは彼女でしょ?」
とコウギシに問い返した。
彼女は無言で頷いた。
だが、グドンが意外に思ったのは、ほかの住民たちもこのことををはじめて聞く様子だったことだ。彼女は怪我をしたときの状況を誰にも話していないのか? なぜだろう? 彼女の次の言葉で、その謎が解けた。
「わたしが偶然ドミアールを見つけたとき、彼女はムダイと一緒だったの。そのとき二人は何かよからぬ相談をしていたようだった」
それから、気遣うようにホウカへ目を向ける。
その視線につられて、大ぜいの目が彼女に注がれると、ホウカは耐えられなくなったように視線を落とした。
コウギシは続ける。
「わたしは直感で、町で起こっている一連の事件は、ドミアールが起こしたことじゃないかと思った。彼女がどうやって町へ侵入したかも疑問だったし、皆に隠れてこそこそやっているのは、どう考えても怪しかった」
「それじゃ、ムダイもその仲間じゃないかと疑っただろう?」
とジャキュウ。
コウギシがまた無言で頷く。
「それなら、町へ帰ってすぐ、なぜ、そのことを皆に話さなかった。そうしていれば、奴が裏切者だとわかったはずだし、まんまと逃げられることもなかった」
「仲間かどうか自信がなかったからよ」
とコウギシが釈明する。
「自信がなかった?」
リャクナンも信じられぬように何度も首を振る。
「そう。わたしが見つけたとき、二人は何か言い争いをしていた。二人が陰で何か悪いことをしていたのは間違いないけど、どこまで仲間なのか、一連の事件にムダイも噛んでいるかどうかわからなかった。それに、姿を見られたドミアールがわたしを殺そうとしたとき、それをやめさせようとしたのもムダイだった。わたしがその場で死ななかったのは、そのお陰」
だから、事態がはっきりするまで、ムダイについては口を噤んでいたということだろう、と誰もが察した。
コウギシは改めてグドンへ顔を向ける。
「わたしの知っているのはこうした断片だけよ。一連の事件を本当に彼女が起こしたかどうか確信もない。だから、何か知っているのなら、教えて欲しい。グドン、皆、真相を知りたいの」
彼女の言葉に、誰もが頷いた。その中には、ホウカも含まれていた。
グドンは頷いて、
「その前に、何枚か絵を見てもらいたいんだ」
と上着の懐から折り畳んだ紙を取り出した。
それが、ドミアールのアジトで見つけたグドンの肖像画だ、とボウはすぐに気が付いた。
グドンはあんなものをいつの間に懐へ忍ばせたのか、と彼女は驚くと同時に、彼をコソ泥といった自分の言葉が強ち間違っていなかったと知り、内心苦笑した。。
「この肖像画は誰が描いたものかわかるひとはいる?」
グドンが肖像画を広げて皆に見せると、多くの者が体を乗り出して覗き込んだ。
「それは、あなたの肖像画でしょ?」
とヤセイ。
「そうでもあるし、そうでないともいえる」
グドンが答えると、彼女は失笑し、
「何よそれ。どう見ても、あなたじゃないの。その絵と今回のことと何か関係があるの?」
その質問にグドンが答えるより先に、
「それはムダイが描いたものだ」
と、どこからか声が上がった。
声の主を探そうと皆が周りを見回す。そんな中で、ホウカが驚いた顔でアンカイを見詰めている。声の主は意外にもアンカイだった。
これにはグドンも驚いた。無口で、グドンとは一線を画しているアンカイが、彼の質問に自主的に答えるとは思ってもみなかった。
だが、グドンのそんな思いはかまわず、アンカイは、学者が研究内容を講義する口調で絵に関する自説を述べた。
「それはただの肖像画じゃない。見たら凡そ見当がつくと思うが、そこに描かれているのは、グドンを正確に縮小して模写したものだ。つまり、実際のグドンの腰骨から踵までの高さと絵の中の同部位の高さの比率は他の部位の比率ともぴたりと一致する。さらに、肖像画のグドンは衣服を身に着けているが、その前にまず骨格の状態から描かれているんだ。それに皮膚をつけて裸の状態にし、さらに衣服を着せたのが、この肖像画だ。だから、特殊な技術で衣服だけを剥ぎとれば、裸のグドンが出てくる。さらにその肌を消し去れば、実物とまったく同じ骨格が浮かび上がる。もしかすると、その下には、内臓や血管まで描かれているかもしれない。これは、芸術であると同時に、医修の描く解剖図にも匹敵するものといっていい」
彼は話し終わると、まるで拍手を求めるように周囲を見回した。
だが、実際の反応はそれとは程遠く、多くの者はポカンと口を開け、どう受け止めればよいか困惑している様子だった。また、ある者は、状況をまったく無視した彼の振る舞いに不機嫌そうな表情を浮かべている。
微妙な雰囲気を感じたグドンは、ゴホンと咳払いをし、
「じゃ、これはムダイが描いたものだとはっきりしたわけだね。それがわかれば十分だよ。ありがとう、アンカイ」
心から礼をいう彼に、今度はアンカイが嫌な顔になった。自分の貴重な意見陳述を無視されたと思ったらしい。
「それが何なの? グドン、早く説明して」
じれたヤセイがアンカイには目もくれず催促した。
「これは、ドミアールのアジトで見つけたものだ。つまり、ドミアールとムダイはずっと前から繋がっていた。力関係からいって、ムダイは彼女の手下だったと思っていい。長年にわたり、おいらの状況をドミアールに報告していた」
「でも、何のために?」
ヤセイがいうと、コタンフも続けて、
「おまえはドミアールの息子じゃないんだろ? 自分でそう言ったじゃないか。だったら、その女がどうしておまえに関心を持つ?」
答えようと口を開きかけたグドンは束の間言い淀んだ。出来れば皆の前で公表したくなかった。だが、これは問題の核心だ。避けて通ることはできない。彼はそう思い直し、
「それは、おいらの体がジュウイツのものだからだよ」




