189 混乱
彼らのいた池の畔から町の中心地までは、歩けばかなりの距離があったが、今のグドンが空を飛べばあっという間だった。
最初グドンは、町民の姿が見えたら、すぐ地上へ下りるつもりでいた。能力をひけらかすことで、無用な騒ぎを起こしたくなかったからだ。
ところが、町の中心部へ向けて飛びながら、そうした考えが見当違いであったと彼は気づいた。飛翔中、誰一人、住民の姿を見なかったからだ。
これは通常ならありえないことだった。まだ日が沈むまでには時間があるし、いくら住民の数が限られているといっても、山中の無人地帯とはわけが違う。あちらこちらに活動している住民の姿が見られて当然だった。
やっと半妖らしい姿が見えたのは、町の中心部を越えて、湖へと向かう道へ出たころだった。何人かの住民が急ぎ足で波止場へと向かって歩いて行く。
グドンとボウは、彼らに気づかれぬよう地上へ下りると、その後をつけていくことにした。
「ムダイさんたちが船で町を離れたとわかって、皆、波止場に集まっているのかしら?」
前を行く住民たちに聞こえぬよう、ボウが抑えた声を出した。
「うん。それ以外考えられないね」
それならそれで皆を集める手間が省ける。とグドンは前向きに考えた。
だが、実際に波止場についてみると、現状はグドンが考えていたよりずっと深刻だった。
船着き場では、住民が二手に分かれ一触即発の状態だった。
いや、一触即発というより、もうすでに何度か小競り合いが起こったあとのようで、二手に分かれた陣営のどちらにも、怪我人と思しき半妖の姿が見えた。中には傷の具合がひどいのか倒れたままの者もいる。これが住民同士の諍いで出た負傷者であるなら、現在の混乱はグドンの想像以上といえそうだった。
緊張状態で二つの陣営が睨みあう中、グドンとボウは誰にも気づかれず集団の背後に近づいた。
二つの陣営にはどちらにも首領と思しき半妖がいた。いっぽうはジャキュウ、もういっぽうはリャクナンだ。そしてさらに、二つの陣営から少し離れ、仲間外れになっている二組が見える。一組はホウカとアンカイ、もう一組はコウギシとヤセイだ。
グドンの目は当然ながらコウギシのところで停止した。彼女はやはり渉不城へ戻っていたのだ。
彼女はもう普通に外出できる状態に見えたが、今も疲れ切った表情で、馬車止め用の石の上に腰を下ろし視線を地面に落としている。その背後に、彼女を気遣う顔つきでヤセイが立っていた。
コウギシは町へ戻ったあと、住民たちに何を語ったのだろうか? グドンはそれが気になった。住民の殺害にドミアールが関係していると話したろうか? ドミアールとムダイたちの関係についてはどうだ? 自分を助けてくれたのがグドンやセイイツだと知っているだろうか?
だが、見るかぎり、彼女が積極的に混乱の解決にかかわろうとしているようにも見えない。それどころか、彼女はまったくの部外者の立場に置かれているように見えた。
ひょっとすると、彼女は今も五里霧中の状態にあるのかもしれない、グドンにはそんなふうに思えた。きっとどこかでセイイツに放り出され、わけが分からぬまま渉不城へ戻ってきたが、町は彼女以上に混乱を極めていた。これで途方に暮れるなというほうが無理だ。
ホウカとアンカイへ目を向けると、こちらはさらに悲惨な状態のようだった。
ホウカは泣いたあとらしく、目が赤く腫れ、涙の乾いた肌は干からびて生気を失っている。アンカイはその隣に寄り添ってはいるが、やや困惑の面持ちで、彼女から少し距離を置くように立っていた。
父親が突然失踪した彼女の気持ちは推して知るべしだ。何よりも最大の衝撃は、ムダイが自分を置き去りにしたことだろう。曲がりなりにも親子だと思っていた相手から見捨てられたのだ。これには、さすがにグドンも少々同情せずにはいられなかった。
そうした中、両陣営の小競り合いがまだ続いている。
両陣営は、町を捨てるかどうかで揉めているらしい。リャクナンが町を離れることを主張しているのに対し、ジャキュウはそれを阻止する側らしい。
離れたい者がいるのであれば、勝手に行かせればいいようにも思えるが、問題はその数があまりに多すぎることだ。両陣営の半妖の数を見るかぎり、約半数が町を離れたたいと主張しているようだ。それを認めることはすなわち町全体の崩壊を意味した。
さらに、町を離れるための手段も紛糾の元になっていた。わかりやすくいうなら船と勾玉だ。
町の半分の住人を運ぶ船などない。仮にあったとしても、町を離れた半妖はもう二度と戻っては来ない。半妖は戻ってこなくても構わないが、困るのは、船が向こう岸についたまま放置されることだ。さらに、勾玉には数に限りがあるから、すべてを持ち去られては、町としては死活問題となるのが必定だ。
それゆえ、町を捨てることに反対する住民たちは、せめて移住希望の住民たちに時間的な猶予を求めた。時間が経って混乱が収まれば、町を離れたいという者の数も減るかもしれない。
だが、移住を希望する者たちにそんな心の余裕はなかった。今は先を争って町から逃げようとしている状況なのだ。ムダイたちが町を離れたのはきっと何か差し迫った事情があったからに違いない。であれば、一日でも長くここに留まることは、それだけ自らの命を危険に晒すことになる。彼らも生き延びるため必死だった。
大体の状況がのみ込めたところで、グドンは大きくため息をつきボウと顔を見合わせた。今の彼女はボウ自身の仮面をつけていて、半妖たちにも見える状態だった。住民の何人かが二人を振り返り、少しずつグドンに気づく者も現れ始めて、その驚きの波がほかの者たちにも広がりつつある。
これ以上、傍観者として知らん顔を決め込むのは無理だった。
ボウに許可を得るため視線を送り、彼女が頷くのを待って、グドンはゆっくりと両陣営の中央へと向かった。
多くの者ははじめ彼を無視していたが、やがてそれがグドンだとわかると、あちらこちらで息をのみ、何やら囁き合う声が聞こえ始めた。
それがやがて住民全体へ広がっていく。
何やら異様な雰囲気に、それまで視線を伏せていたコウギシやホウカも顔を向ける。
ホウカはすぐに相手がグドンとわかって目を瞠ったが、コウギシは、ほかの多くの者がそうだったように、眉根を寄せ、誰なのか訝る様子を見せた。変化したグドンの容姿を見るのは、これがはじめてだったからだ。
束の間あって、コウギシは刮目し、思わず立ち上がって彼のほうへ近づこうとする。ホウカはほんの少しだけ生気を取り戻し、その顔にいつもの陰険な表情を浮かべた。
グドンは中央へ出ると、
「今、そうした言い合いをするのは意味がないと思うよ」
と、ジャキュウとリャクナンに向かって彼らの注意を引こうとした。
御多分に漏れず、二人ははっと息を吸い込んで、
「グドンなのか?」
と示し合わせたように同じ言葉を口にした。
面白くなったというようにコタンフが顔に笑みを浮かべる。ヤセイも、コウギシの顔色を窺いつつ、グドンに視線を向け頬を緩めた。
「おまえ、どうやって町へ戻ってきた? それとも、ずっとどこかに隠れていたのか?」
ジャキュウが眼光鋭く言う。
「空を飛んできたんだよ」
正直に答えるグドンに、相手は鼻を鳴らし、
「町がこんなことになっているのは、おまえのせいでもあるんだぞ。それを何だ。空を飛んできただと? 皆に申し訳ないとは思わないのか」
と吐き捨てた。
これにはリャクナンも同意見だったらしく、
「おまえの処分はあとで考える。黙ってどこかに座っていなさい。今はおまえのような半端者が口を挟むような場ではない」
彼はコタンフへ視線を向けると、グドンをここから連れ出すように合図した。
コタンフは仕方なさそうにグトンへ近づく。
それを見て、ヤセイが彼らのほうへ向かっていく。明らかにグドンに加勢するつもりのようだった。彼女のあとにはコウギシも続いた。
自分も後れを取ってはならじと、ホウカも立ち上がってその仲間に加わろうとする。もちろん、彼女はグドンを捕縛する側だ。アンカイは、彼女を守るようにその傍に従った。
「グドンに手出しをするのは、わたしが許さないわよ」
コウギシが厳しい声を出す。
「きみにそんなことをいう権限はないな」
リャクナンが言うと、
「その通りだ」
とジャキュウも賛同した。
グドンはコウギシに笑顔を向ける。
「怪我は治ったようだね。よかったよ。本当に心配してたんだ」
それから、ジャキュウたちの顔をちらりと見て、
「大丈夫。このひとたちに、おいらをどうこうする力はないから」
と余裕を見せる。
ジャキュウを始め、何人かが大声でハハハと嘲笑った。
「少し体がでかくなったくらいで、わたしたちを打ち負かせる気でいるらしいぞ。まさに身の程知らずもいいところだ」
住民の幾らかはそれに賛同するように笑い声をあげたが、多くの者は、固唾をのんで両者のやり取りを見つめている。
彼らにとって、グドンはまだ英雄セイイツの息子だった。
「今回のことにも、こいつが一枚噛んでるんじゃないのか?!」
住民の誰かが、多くの者の心にあった疑問を口にした。
「小僧が戻ったことと、ムダイの失踪が無関係とは思えないぞ」
とほかの誰かも唱和する。
とたんに、ホウカの視線が尖った。
「そうなの? 今回のことは、あなたが仕組んだことなの?」
聞いたグドンは、呆れて声も出ないというように溜息をつく。
「仕組む? 何をどうやって? おいらはたった今町へ戻ってきたばかりだけど?」
ホウカが黙ると、グドンは続けて、
「おいらはね、町で死者が出たり、コウギシが襲われたりしたことの真相を説明しに来ただけだよ。こんな騒ぎになっているのも、元はといえばそれが原因でしょ? でも、聞きたくないから、無理にとは言わない」
「真相だって?」「真相?」
誰もが眉間に皴を寄せ、嘲りを発しようとしていた口を閉じた。皆、そのことを心から知りたいと願っていたからだ。
「おまえが真相を知っているというのか?」
とジャキュウ。
「少なくとも、ここの誰よりも詳しく知っていると思う」
多くの住民が彼の話に耳を傾けようとしたとき、ホウカが反対する声を上げた。
「この子をまず捕まえるのが先でしょ? 以前のように牢獄に繋いで、ゆっくり尋問すればいい。でも、真相を知っているなんてただの出鱈目よ。こんな子に何かを期待するのは間違ってる」
それまで平静にやり取りを聞いていたボウの顔が曇った。グドンの彼女に対する考えは偏見ではなかったのかもしれない。そんな気がし始めたからだ。ホウカの言動には明らかにグドンに対する蔑視と悪意が感じられた。
「ちょっと待って」
グドンの傍に近づいたコウギシが、ほかの者を制して発言した。
「それより、さっきグドンが言ったことの真意を尋ねるべきよ。グドン、あなた、わたしたちが町を離れるかどうか議論をするのは意味がないと言ったわよね? それは、どういう意味? 何か深い意図があって言ったの?」
グドンの顔に笑みが広がる。ようやく知性のある相手に出会えてほっとしたといった顔だ。
「いずれにせよ、この町からは出られないからだよ、コウギシ。湖はセイイツが封鎖した。今、船で乗り出せば、湖の中央で立ち往生して死ぬことになる」
グドンが言うと、その場にいた誰もが愕然となった。




