188 もらった時間?
はじめは渉不城の船着き場へ直接下りるつもりでいたが、グドンは計画を変更し、町のはるか上空を越え、いったん人里離れた山奥へ出て、そこで地上へ下りた。下りたのは、かつて仙族が沐浴をしていた池の周辺だ。
今は真冬だから周辺は寒々としていて景色も凍っているように見える。半妖たちが近づくことはあり得ないし、今の二人にはぴったりの場所だった。
一度は、建物のある鉱山へ行くことも考えたが、ボウの健康を考えやめにした。
地上へ下りたとき、ボウはまだ不機嫌だった。
グドンが抱いていた腰から手を放すと、すぐに彼から離れ、これ見よがしに着衣の腰のあたりを手で払って見せた。あなたに触れられて汚れてしまったと言わんばかりだ。
グドンは苦笑するほかなかった。
「自分一人で何でも決めてしまうのは、やめてくれるんじゃなかったの?」
そっぽを向いたまま彼女は皮肉を言った。
「説明するつもりだったよ」
出来る限り優しさを込めてグドンが言う。
「でも、セイイツ本人の前では話しにくいこともあるでしょ?」
「話しにくいこと? 随分礼儀正しいお坊ちゃまなのね、グドンは。セイイツさんやドミアールがその十分の一でも公平にわたしたちを扱ってくれるといいけど」
ボウはやっと彼に顔を向け、
「それで、ここでならその話しにくいことを話してもらえるの?」
「もちろん。でも、おいらにも確信があるわけじゃない。ただの思い込みで、間違っている可能性もある。それでもいいなら…」
彼の持って回った言い方に、ボウは再び溜息をつく。
「グドンらしくない」
「わかったよ」
それでも、しばらく逡巡してから、
「ボウは、どうして、セイイツがドミアールを湖に連れてきていたと思う?」
「どうして?」
思わぬことを訊かれ、ボウは小首を傾げたが、考えてみれば、湖の小船に二人が一緒にいたのは奇妙だった。しかも、ドミアールは甲板で気を失っていた。普通に考えれば、セイイツが彼女を気絶させたと見るべきだろう。だが、何のために? セイイツは、まだドミアールを愛しており、敵対するつもりはないのではなかったか? それなのになぜ?
彼女が答えを出す前に、グドンが言った。
「ドミアールは、渉不城でおいらを待ち伏せしていたんだと思う。たぶん、どこからか、おいらたちの行動について情報を手に入れてたんだ。問題は、待ち伏せして、何をしようとしていたか。元々、彼女の目的は、この体からおいらを消して、ジュウイツを復活させることだった。そのために、ゴウイツを利用しようとまでした。でも、失敗した。残る手は? この体からおいらだけを追い出し、ジュウイツを復活させる能力のある者がいるとすれば、あとはセイイツだけど、セイイツにその気がないのは明らかだ。それなら、どうするか?」
ボウは息をつめてグドンの回答を待つ。何やら嫌な予感がした。
「ドミアールは、おいらを殺す決心をしたんだと思う」
ボウがはっと息をのむ。答えが予想外だったからではなく、予め彼女が予想し、かつ一番恐れたものだったからだ。
「ドミアールにとって、この体はジュウイツのものであって、ほかの誰かが利用するのは許せない。母親の感情としては理解できなくはないよね。どんな親だって、息子の体が乗っ取られ、平気で町を歩いているのを見るのは辛い」
「でも、それは今に始まったことじゃないでしょ? グドンはずっと平気で町を歩いていた。でも、ドミアールはこれまで何もしてこなかった。それに、元々、グドンをこんな目に遭わせたのは誰? ジュウイツの母親である彼女に、そんなことを言う資格はないわよ」
憤然と、ボウが反論した。当然、グドンにではなくドミアールの発想に。
「ちょっと待って」
と、グドンは彼女を制し、
「問題は、きみが言うように、今になって、ドミアールはなぜおいらを殺そうと決心したかだよ。彼女は元々おいら、いや、ジュウイツの体を傷つけたくないと思っていた。それなのに、なぜ突然心変わりしたのか?」
「理由があるの?」
「うん。理由は二つ。一つは、このままおいらが力をつけ続ければ、自分でジュウイツの欠片を消してしまう可能性があるとわかったこと。ボウもそう言ったでしょ? おいらの成長は驚異的だと、ドミアールも同じことを考えたんだ」
ボウは思わず俯いた。自分が余計なことを言ったせいで、ドミアールがグドンを殺す決心をしたように感じたからだ。
グドンは続けた。
「もう一つは、この体が持つ力だよ。ドミアールばかりかセイイツまでもが、ジュウイツはもう死んだと思っていた。だけど実際には、彼の欠片が生き残っていた。これは凄い生命力といわなくてはならない。しかも、この体に憑依したことで、ただの半妖であったはずのおいらまでとんでもない力をつけるようになった。つまり、この体は特別なんだ。当然、ジュウイツ自身も特別だと考えていい。だとしたら、たとえ、おいらを殺しても、ジュウイツが生き残る可能性はあるんじゃないか? そう考えたとしても不思議じゃないよ。もちろん、一定の危険性はあるにしても、一か八かかけけてみる価値はある。どうせ、このままなら、ジュウイツはこの世から消されてしまうんだから」
ボウも仕方なく頷く。グドンの話は一応理屈が通っていた。自分ならもちろんそんな考え方はしないが、あのドミアールなら十分ありえた。
「でもね、ボウ、もっと大事なのは、それに気づいたセイイツがどうしたかだよ」
とグドン。
「捕まえて、気絶させて、湖へ連れてきたんでしょ?」
「そして、船の上でおいらが来るのを待っていた。なぜ? おいらに対する殺害を止めるだけなら、ドミアールをそのままどこかへ連れていけばいい。湖に連れてくる必要はないんだ。ましてや、渉不城でおいらがこれまでのことに片を付けるまで待つなんて、余計なお世話だし、馬鹿げてるよ」
「だったら、どうして?」
グドンは大きく息を吸い込み、
「セイイツはドミアールを殺すつもりなんだと思う」
と、断言するように言った。
一瞬、虚を突かれたようにボウは言葉を失った。ドミアールを殺す? その言葉の意味が脳に浸み込むまで、口を開きかけたまま身動きできない。
「で、でも、ドミアールを処罰する気はないといったでしょ?」
しばらくして、彼女はやっとそれだけ口にした。
「そう。だけど、そうじゃない」
「え? 何、それ?」
「処罰しないのは自分の手でと言う意味さ。以前なら、おいらが殺すことも認めなかったろうけど、今は違う。ドミアールがおいらを殺す決心をしたことが、セイイツに決断を促した。物事には限度があると彼は言ったけど、ドミアールはその限度を超えてしまったんだ。だから、自分では手を下せないけど、おいらが代わりにやってくれるなら、それを認める気になった。ドミアールを渉不城から連れ出したのは、愛する彼女が殺される姿をほかの者たちに見せたくないからだ」
ボウの顔に何ともいえない表情が浮かぶ。
「だけど、セイイツさんはあなたに勝ち目はないとも言わなかった? セイイツさんに助けてくれる気があるなら別だけど、そのつもりはないとはっきり言ったわ。だったら、どうやってドミアールを殺すの? 返り討ちに会うの関の山よ。違う?」
「だから、セイイツは、おいらに時間をくれたんだ」
「時間をくれた?」
グドンは頷く。
「ドミアールを殺す力をつけるための時間だよ」
グドンの頭の片隅には時間の能力のことがあった。あれはきっとセイイツがヒントを与えてくれた能力だ。
「でも、戦うのはもうすぐでしょ? そんな短い時間に力なんてつくの?」
グドンも首を振る。
「それはおいらにもわからない。でも、そう考える以外に彼の行動を理解する方法はない」
ボウは思わず厳しい顔になった。今の話は全部グドンの推測に過ぎない。ボウはそう思ったが、口に出してはいわなかった。推測に過ぎないのは、グドン自身が一番よくわかっているだろうから。
「それなら、これからまず何をするの?」
代わりに、彼女はそう言った。
「ドミアールのことは別にして、町の仲間に会う必要があるね。これまでのことにけじめをつけるというより、これから、この町をどうするのか、彼らに考えてもらわないといけないから。今回の一件で、町は大きく変わってしまう気がする。その前に、皆にこれまでの経緯を説明しないと。この町はおいらに優しかったとはいえないけど、それでも、十年近く暮らした町だから…」
頷いたボウは彼に寄り添った。
「さっきは違うことを言ったけど、その考えには、正直、わたしも賛成。それじゃ、町の皆を集めることから始める? それとも、誰か特定の人たちにまず事情を話す?」
グドンは束の間思案し、
「たぶん、町は今混乱状態にあると思う」
「混乱状態? どうして、そう思うの?」
「別天袋の中にいるお客さんの中には、渉不城の幹部もいるからだよ。彼らが突然失踪したのに、大騒ぎにならないほうが変だ。それに、もしかすると、コウギシはもう町へ戻っているかもしれない。それなら、彼女のもたらした情報で、町はもっと混乱してるはず」
別天袋の客といわれ、ボウはグドンを小さく睨んだ。また、何か隠し事をされている気がしたからだ。
「グドン、あなたまだわたしに話していないことがあるんじゃないの?」
グドンは慌てて両手を掲げる。
「善人のおいらを悪者呼ばわりするのはやめてよ。別天袋に入らないのを選んだのはきみなんだから。お客さんがいることもちゃんと話したよね。具体的に誰がいるかは別に隠してたわけじゃない。きみには関心がないだろうと思ったんだ」
「それで、誰がいるの?」
「ムダイとか…」
「ムダイさんって、町の一番の幹部でしょ?」
ボウが思わず目を丸くする。
「なぜ、彼を袋に入れたまま監禁しているの?」
「監禁なんてひと聞きが悪いけど、実際、彼には後ろ暗いところがあって、町から逃げ出そうとしてたんだ。だから、袋に収容してある。詳しいことは、町の仲間に話すときに、おいおいわかってくると思うよ」
まだ何か言いかけるボウを制し、グドンは再びボウを抱きかかえ宙に舞い上がった。
「今は時間を無駄にするのはやめにしよう。きみにもすぐ理解できるから」
ボウの耳元でそういうと、彼は町の中心地へ向けて飛翔を開始した。




