187 セイイツの胸の内
グドンが湖畔に戻ると、こうした出来事に慣れてきたのか、ボウは笑顔で彼を迎えた。
「問題は解決できたの?」
と、当たり前のように訊く。
グドンは頷くと、
「何人かお客さんを連れてきたんだ」
「お客さん?」
「そう。これから彼らも一緒に町へ渡ることになるけど、きみは、お客さんと一緒に別天袋に入るのがいい? それとも、おいらと空を飛ぶ?」
彼女はどちらも気乗りしない様子を見せた。別天袋に入るのは問題外だが、空を飛ぶのも出来れば願い下げにしたい。
「ほかに方法はないの?」
拗ねて見せる彼女にグドンは冷たく、
「ボウは段々贅沢になるよね。仙族には、贅沢が何よりの敵じゃないの?」
「このことと、贅沢に何か関係があるの?」
グドンは笑顔になると、いきなり彼女の体を抱え、承諾を得ることなく空へ飛び出した。
思わずボウが悲鳴を上げる。
だが、上空三十メートルを超えるころには、どちらも声をあげて笑い出していた。
別にそのルートを選んだわけではないが、渉不城へ向かって飛ぶと、自然に乗り捨てた小船の上空を通過することになった。
今や、船は無人で宛もなく波間を漂っている…はずだったが、驚いたことに、甲板上には生き物の影が見えた。
先ほどムダイたちを収容した際には甲板上に出ていなかった者がいて、見落としたのかと思ったが、そうではなかった。
影がセイイツだとわかったからだ。
上空に静止し、セイイツを見下ろすグドンを、セイイツも凝視する。
彼が船上でグドンを待っていたのは明らかだった。
それ以外に、セイイツがここに現れる理由がないし、まさか、湖の美しさに見とれ、ここで暇つぶしをしていたわけでもないだろう。だが、今さら自分をここで待ち伏せして、いったい何の話があるのだろう、とグドンは訝った。
天妖都の城壁外で彼と話をしたのはまだひと月ほど前のことだ。その間に何か大きな変化があったとも思えない。それでも、グドンが船上へ下りる気になったのは、甲板に横たわるもう一つ別の影が見えたからだ。
意識を失い普段とは様子が違うから、はじめはそれが誰かわからなかった。
だが、よく見ると、ほかでもないドミアールだった。
ドミアール?
驚いて刮目するグドンの腕の中で、ボウもはっと息をのむ。
これは愈々、彼女との関係をセイイツ自らが処理する決意を固めたということか? グドンの目の前で彼女を処刑する? それとも…。
とにかく、確かめずにはいられず、ボウを抱いたまま甲板に下りると、セイイツと向き合った。
「これは、どういうこと?」
ドミアールに視線を向けつつ、グドンはセイイツに説明を促す。本来なら、セイイツが自ら話し始めるのを黙って待つべきだったが、無口なセイイツが沈黙したまま時間を無駄にしてしまう可能性もある。それで、仕方なくグドンが先に口を切ったのだ。
(見た通りだ)
セイイツが答えたが、見た通りとはどういう意味か、グドンにはさっぱりわからなかった。
ドミアールをなぶりものにしようがどうしようが、グドンの好きにしてよいという意味か?
隣りでボウも疑わしそうにセイイツを見る。二人とも、彼の意図がまるで読めなかった。
(おまえたちは、これから渉不城へ行って、これまでに起こったことを町の仲間に説明するつもりだろう? それが片付いたら、ここへ戻ってこい。わたしはここで待っている)
「ここへ来たら、その後は? おいらとドミアールを対決させるの?」
ボウがはっとグドンに視線を向けたが、セイイツは平然と、
(そうだ)
と頷く。
グドンは胸を大きく上下させ冷静になろうと努めながら、
「それなら、今ここで対決させればいいんじゃないの? おいらを先に渉不城へ行かせる理由は何?」
(今対決すれば、おまえは町の者に事情を説明する機会を永久に失うかもしれない)
「それは、おいらが対決に負けてここで死ぬという意味?」
(そうだ)
そこまで黙って聞いていたボウだったが、セイイツの物言いにとても我慢ならず、思わず前へ進み出た。
「あなた方夫婦は、どうしてそこまで自分勝手なの? この女性は、周りに害悪を垂れ流している。あなたはそれを知っているし、止めることもできる。なのに何もしない。しかも今度は、彼女を始末する汚れ仕事をグドンに押し付けようとしている。まるでそうした機会を与えてやるから喜べという感じだわ。あなた方の頭の構造はどうなってるの?」
セイイツは返事をしなかった。変わらず無表情にグドンを凝視している。
グドンは宥めるように彼女の背に軽く触れ、改めてセイイツへ、
「あなた自身がドミアールを処罰する気はないの? 少なくとも、これ以上おいらをつけ回さないよう説得するつもりは?」
(ない)
「それはおいらやボウ、被害を受けたほかの者たちに不公平だとは思うわない?」
(この世は元々不公平なものだ)
「だったら、ジュウイツを殺さずに、好きにさせておけばよかったのに」
(ものには何事にも限度がある)
「ドミアールの行為は限度を超えていない?」
(わたしにとっては、そうだ)
グドンは大きく息を吐いた。
正直、目の前の男を怒鳴りつけたい衝動に駆られていたが、そんなことをしても何も変わらないのはわかっていた。
「じゃ、現実的なことをいくつか訊かせて。ここで今、ドミアールと戦ったとして、おいらに勝てる見込みはある?」
(ない)
ボウの口元から思わず声が漏れた。それは悲鳴のようにも聞こえた。
「それなら、対決しないで、今すぐおいらの脳からジュウイツを消してもらうことは可能? そうしてくれたら、おいらとボウはこのままどこかへいなくなると約束する」
(駄目だ)
「仮に対決して、おいらがドミアールを殺したら? あなたは復讐しない? 復讐しないで、おいらの頭の中のジュウイツの影を消してくれる?」
(二つの質問の答えは、どちらもそうだ)
「ドミアールを殺しても、復讐せず、ジュウイツを消す?」
(もう答えた)
グドンは小さく頷き、ボウへ向き直った。
「行こう」
「嫌よ!」
ボウは珍しく逆らった。
「こんな馬鹿げた話を受け入れるの? だいたい、渉不城へはもう行く必要ないでしょ? ドミアールはここにいるし、半妖の仲間に今さら事情を説明して何になるの? 誰が裏切者で、町が今どうなっていようとグドンには関係ない。このまま二人でどこかへ行きましょ? 大丈夫よ。グドンは凄い速度で成長してる。今は無理でも、いつか自分でジュウイツを消せる日が来るわ。こんな頭のいかれた男性に頼む必要もなくなる。力をつけて、確実にドミアールを殺せる自信がついたら、渉不城へ戻ってきましょ」
ボウの瞼には涙が浮かび、それが静かに頬を流れ始めている。
彼女の言うことはすべて理にかなっている、とグドンにもわかっていた。それでも彼は、首を横に振った。
「ボウ、おいらを信じてくれる?」
「あなたを信じる?」
思わぬことを言われ、彼女は戸惑った。
「信じてくれるなら、ここはいったん渉不城へ戻ることを許してほしい。駄目?」
どう返事をすべきか言葉を探しあぐねているボウを前に、グドンは再びセイイツへ視線を戻した。
「あなたがドミアールをここへ連れ出した理由は何? もし、その答えがおいらの想像する通りなら、一度だけあなたを信じてあげてもいい。町の皆と話をしてから、また、ここへ戻ってくる」
セイイツは返事をしなかったが、小さく頷いたようにも見えた。
「じゃ、最後にもう一つだけ。あなたは今後、渉不城へ戻る気はあるの? つまり、城主として渉不城に住む気があるかという意味だけど」
(ない)
躊躇いのないその言い方に、グドンは溜息をついた。渉不城には、今もセイイツの生存を信じ、帰還を待ち望んでいる者たちが大ぜいいる。セイイツは、彼らの思いなど一顧だにしていないことがこれではっきりした。
「行こう」
グドンはもう一度ボウへ顔を向け、同じ言葉を繰り返した。
一瞬の逡巡ののち、溜息をついたボウが仕方なさそうに頷く。グドンの決定を今は納得できないが、ここで言い争いをしたくなかった。渉不城へ渡ったあと、二人で話し合う時間はいくらでもある。この土地を離れ二人で姿を消すのは、それからでも遅くなかった。
グドンは彼女の腰を抱くと、空へと飛び上がった。




