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半妖グドンの選択  作者: すいかあたま
第四章 再びの渉不城
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186 逃亡者ムダイ

 グドンが近づいたとき、船はもう半ば転覆しかけていた。

 船は、グドンとボウが渉不城を離れる際に乗ったものより多少大ぶりだが、それでも、十人乗るのがせいぜいといった感じの小船だった。

 ただ、手漕ぎの舟ではなく、船内に動力源がついていそうだ。

 その甲板上に、五六人の男女が立ち、船の縁にある手すりにつかまりながら、何とか湖に投げ出されぬよう足を踏ん張っている。

 全員、顔が蒼ざめ、波しぶきのせいで髪が顔に張り付いていた。

 これだけ湖が荒れ始めているのを見ると、すでに一人は湖に落ちたか、下りたかしたのだろう。ボウと二人、渉不城を離れたときがそうだった。理由なく、船は湖の中央付近で動かなくなる。そのままなら、すぐに死に直面することはないが、座して死を待つわけにもいかない。何とかしようと、勾玉を持たぬ者が湖中へ下りたとたん、状況が一変するのだ。それが今の状況だった。

 もうこうなってしまっては、湖に落ちた半妖を助けるのは無理だろう。今、考えるべきは、残った者たちを如何に救い出すかだ。

 グドンは改めて甲板上を凝視する。

 驚いたことに、男女の中にムダイがいた。咄嗟に、船上にホウカもいるのではないかと探したが、少なくとも甲板上には見当たらなかった。

 ムダイは、何かを手に握りしめ、湖に向かい大声で喚いている。

 握り締めているのが勾玉らしいと気づいて、グドンは、戸惑いに眉根を寄せた。

 この人たちは勾玉を持っているんだ。それなら、なぜ、セイイツの呪文が解けないのだろう?

 可能性として考えられるのは、勾玉の効果が無効になっている場合だ。つまり、セイイツが勾玉を使えない状態にしたのだ。

 しかし、なぜ、そんなことをするのか?

 勾玉は、渉不城の住民が生きていくために必須の道具であるはずだ。勾玉の効力なくしては、経済活動がままならなくなる。にもかかわらず、彼は勾玉の効力を奪った。それに対する一番簡単な答えは、一時的に渉不城を封鎖する必要が生じたということだ。

 渉不城は元々よそ者は入ってこられないから、セイイツが町を封鎖したとすれば、目的は住民を外へ出さないために違いない。つまり、悪い奴を町から逃がさないためということだ。だから、封鎖した。

 そんな状況下で、ムダイたちが逃げ出した。

 おそらく、ムダイは、湖が封鎖されていると知らなかったに違いない。でなければ、勾玉を湖に向け大声で叫んでいたりするはずがない。

 いずれにせよ、彼らは自ら罠に飛び込んだ。渉不城を出航したはよいが、勾玉が役に立たず死に直面することになったのだ。

 ここで大事なのは、ムダイたちがどんな悪さをしていたのかだ。

 グドンには、その内容が大方わかる気がしたが、さらに詳しく知りたいなら、直接彼らに訊くしかなかった。

 グドンは、上空から急降下し、慌てふためくムダイたちの眼前に下り立った。

 それまで、彼らは上空のグドンにはまるで気づいていなかった。恐慌状態にあったし、波や暴風で視界もきかず、耳も聞こえない状況にあったからだ。

 それゆえ、グドンが甲板上へ降り立ったとき、あたかも突如、見えない扉から飛び出したように見えた。

 船の上にいた何人かは、腰を抜かしその場にへたり込んだ。

 ある者は合掌して天の神に祈り、ある者は腰を抜かしたまま床を這って逃げようとした。

 ムダイはぎりぎり正常な心理状態を保っていたが、それでも恐怖で顔が引き攣っている。突然、目の前に現れた見知らぬ男が、自分の味方だとはとうてい思えなかったからだ。

 それでも、ムダイはこの男をどこかで見たことがある気がして目を凝らした。

 自分はいったいどこでこの男を見たのか?

 グドンは無言で彼を睨みつけた。

 波の飛沫と吹く風のせいで眇めていムダイの目が大きく見開かれた。

 相手が誰かわかったようだ。

「ぐ、グドンか…!」

「もう勾玉は役に立たないみたいだね?」

 グドンは小さく笑い皮肉を込めて言う。

「町を離れることをセイイツに禁じられたの?」

 だが、ムダイはその皮肉にも気づかぬ様子だった。今は、突然どこからともなく現れたグドンのことで頭が一杯だ。

「どうして、おまえが…。どこから、どうやって現れた?!」

 彼らの会話に、ほかの者たちもようやく目の前にいるのが悪魔ではなく、グドンだと気づいたようだ。

 何人かは、頭の中で、

「グドン…?」

 とその名を反芻した。

 しかし、誰一人これが現実とは受け止められない。

 グドンのはずはないし、グドンのようにも見えない、と自分の目と耳を疑っている。実際、今のグドンは、彼らが知っているグドンとは大きく違っていた。

 だが、今はそんなことはどうでもいい、と誰もが気づいた。グドンだろうがヘドンだろうが知ったことか。今大事なのは生き延びることだ。

「助けてくれ!」

 突如、我に返ったように、誰かが大声で叫んだ。

 普通で考えるなら、これは奇妙な台詞だ。嵐で大揺れに揺れる小船の中、神様でもあるまいし、ただの青年が彼らを助けられるはずがない。にもかかわらず、今の自分たちを救えるのは、目の前の青年しかいない。皆、そう固く信じているようだった。

 全員がグドンへ縋るような目を向ける。

「助けてもいいけど、おいらは渉不城へ行く途中だから、あなた方も町へ戻ることになるよ。それでもいいの?」

 グドンはのんびりと彼らに訊いた。

 ムダイは顔を強張らせたが、それ以外の者は、まるで首振り人形のように何度も大きく首を縦に振った。

 グドンはムダイへ視線を投げる。

「ムダイ、あなたは?」

 逡巡するムダイに、女の一人が金切り声をあげる。

「ここで死ぬよりましでしょう! 何を躊躇っているの!」

「だが、勾玉が機能しないのは、セイイツがわたしたちの裏切りを知ったからだ。今、渉不城へ帰ったところで…」

 ムダイは最後のあがきを見せる。

「何をいってるの! 戻らなければ、今すぐ死ぬことになるのよ。そのほうがマシだというの? 早くしないと、船が転覆してしまう!」

 グドンには彼らを助ける能力があると、もう誰も疑っていなかった。問題は助けられるかどうかではなく、グドンにその気があるかないかだ。彼の気持ち一つで自分たちの運命が決まってしまう。

 ようやくそのことに気づいたらしく、ムダイも、

「もし、助けられるのであれば、頼む。助けてくれ。もし、助けてもらえるなら、どんなお礼でもする」

 グドンは笑顔になると、

「お礼はいいけど、色々話は訊きたいかな。渉不城で起こったことについて」

 また、全員が頷いた。

「じゃ、皆、これに入ってくれる?」

 と、グドンは上着から何かを取り出した。

 それは納戸袋のように見えた。とたんに、全員の顔が恐怖で凍り付く。

「冗談だろ? それじゃ、自殺同然だ!」

 自分たちは揶揄われていると思ったらしく、今にも泣きそうな顔つきで彼を見つめる。湖で溺死するのと、納戸袋で窒息するのと、どれほどの違いがあるというのか?

 グドンは失笑し、

「心配しなくていいよ。これは納戸袋じゃない。生き物だって入れられるから、死ぬことはない。どうする? 嫌なら、おいらも無理にとは言わないよ。だけど、それだと全員は助けられない。皆を一度に陸地へ運ぶのは無理だからね。それとも、誰を先に運ぶか、まずくじでも引く?」

 男の一人が甲板を這うようにしてグドンへ近づいた。

「おれは入る。どうやればいい?」

 グドンが手を振ると、男の姿はもう目の前から消えていた。

 乗員のほとんどが次々と袋の中に消え、残るのはムダイ一人となった。

「ムダイ、一つ訊きたいことがあるんだけど、あなたはドミアールという女性を知ってる?」

 何気なく放ったグドンの言葉に、ムダイの表情がこれまで以上に緊張した。それだけで、グドンは事情の大半がのみ込めた気がした。

 思ったとおり、ムダイはドミアールの手下らしい。そのことをセイイツに知られ、渉不城から逃げ出さざるを得なくなった。

 不思議なのはむしろ、セイイツがなぜこれまで彼らを放置してきたかだ。彼が最近になってムダイの裏切りに気づいたとは思えない。ドミアールが彼らのために命乞いでもしていたのか? それとも、陰でこそこそやっている者を全員殺していたら、町民が誰もいなくなってしまうと怖れたのか? 

 いずれにせよ、結局は、こうして渉不城を離れる船に乗せ、殺してしまうことにしたらしいが…。

 ムダイを袋に収納すると、それまでの嵐が嘘のようにおさまり、湖面も凪ぎ始めた。上空の黒雲がどんどん遠くへ流れていく。

 今なら、船で町へ帰ることも可能な気がした。だが、船を操縦するのはかえって面倒だし、いずれにせよ、いったんボウのところへ戻らなくてはならない。

 グドンは小船を捨て、空を飛んでボウを迎えに行くことにした。

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