183 グドンの覚悟
渉不城へ着くまでの間、グドンとボウは、治療法に関する知識を共有する作業を続けた。
最初は少しずつ慎重に行っていたものの、問題がないとわかると、共有する量を増やしスピードも大幅に速めた。
治療師としての能力が高まるにつれ、ボウは少しずつ自分に自信を深めた。皮肉なことに、ドミアールから強制されたことが、今は、彼女がこれから生きる上での大きな糧となりつつあった。
だからとって、ドミアールに感謝する気はなかったが、彼女から受けた躾けが途中で頓挫したことに心残りを感じている自分がいることも事実だ、とボウも認めないわけにはいかなかった。
渉不城へ向かう馬車の中、そんな彼女を見てグドンは笑った。
「訓練を続けたいなら、渉不城でドミアールに会ったとき、頼んでみてあげてもいいよ」
笑われたボウは口を尖らせ、
「あのときの苦しみを知らないから、グドンはそんなことが言えるのよ。本当にもう死んだほうがいいと、何度思ったかしれないわ」
と拗ねて見せた。
グドンも笑顔を引っ込め、
「でも、少し考えたんだけど、ドミアールに出来たのなら、おいらにもできるかもしれない。一度ドミアールと繋がらないと駄目だけど、やり方がわかれば、ボウを助けてあげられるかもしれない。治療師としての彼女の経験も、そのとき手に入れればいい」
「夢にもそんなことは考えないで。お願いよ」
彼女はすぐに拒絶した。どんな形にせよ、グドンがドミアールと繋がることを想像すると、ボウはぞっと寒気がした。
「きみが心配するような意味じゃないから、大丈夫」
それにしても、気になるのは、ドミアールと自分の能力の差だ、とグドンは改めて考えた。自分のほうが遥かに劣っていた場合、彼女に戦いを挑んでも、返り討ちにあうだけだ。戦いを挑む以上、死ぬのは仕方ないが、無駄死には嫌だった。卵を以て石に投ずでは何の意味もない。
それに、おいらが殺されそうになったとき、セイイツは、どんな行動に出るだろうか? グドンはふとそんなことを考えた。
恐らく見て見ぬ振りをするだろう。そんな気がした。
それでは、逆においらがドミアールを殺しそうになったときはどうするか? 残念ながらその場合は、ドミアールの味方をする気がした。
そうなると、敵はドミアール一人だけではなく、ドミアールとセイイツの二人ということになる。
これは頭が痛かった。セイイツと自分の間にはまだ大きな力の差があることを、グドンは自覚している。正直な話、セイイツは指一本でグドンを殺せるはずだ。それなら、何をどうやっても、グドンに勝ち目はなかった。
ドミアールに負ければ死ぬことになる。たとえ、勝っても殺すことは叶わない。こんな不公平な勝負があるだろうか? いや、そんな不公平な勝負に挑む価値があるか?
しかも、万難を排してドミアールを打ち取った場合も、グドンはセイイツに頼んで体内に残ったジュウイツの欠片を消してもらわなくてはならない。妻を殺したと自分を憎んでいる男に、助けを求めることになるのだ。こんな滑稽な話はない。
さらにいえば、ジュウイツの欠片を消したあとには、悲劇的な結果しか待っていないかもしれない。愚鈍な自分に戻り、何より大切なボウを失う…。
どう考えても、グドンには不利すぎる条件がそろっていた。
黙ってしまったグドンを、ボウが心配そうに見守っている。
渉不城へ向かう道中、グドンは常に明るかったが、一度だけ弱音を吐いたことがあった。
もし万が一、自分がすべての能力を失い愚鈍な若者に戻ってしまったら、すぐに彼の元を離れ、仲間のいる仙族のところへ戻ってほしい、と彼女に頼んだのだ、
元の自分に戻ることに不安はないし、喪失感もないが、その状態で彼女に傍にいられることは辛く耐えられそうにない、と…。
ボウは何もいわず頷いたが、もちろん、そうなってもグドンの傍を離れるつもりはなかった。グドンのいない生活はもう考えられなかったし、愚鈍に戻ってしまった彼は、彼女を拒否しない気がした。正確にいえば、拒否する能力、そうした思考をする能力を失っているのではないかと思えた。
そのときは、伴侶としてではなく、弟思いのお姉さんの役でもいい。とにかく、グドンの傍にいたい。彼から離れることは想像さえできなかった。
最悪の場合は、二人で心中することもありかもしれない。たとえそうなっても、彼女には不幸ではない気がした。
天妖都を出てほぼ一か月後、渉不城に隣接した湖までやってきたグドンとボウは、そこで一夜を明かすことにした。
そこは、渉不城を離れた際、蟻巣島の人攫いに遭遇した湖畔のすぐ傍だった。
もしかすると、これが平穏に過ごせる最後の夜になるかもしれない。二人はそんな思いの中、眠るための準備をした。
辺りには人影は見えず、湖の彼方を見渡しても、町の灯りひとつ見えない。
これが一人の半妖の力で造られたものとは、どうしても信じられなかった。と同時に、そのセイイツが現在、幸せとは程遠い状態にあることは何とも皮肉な感じがした。
力がひとの幸せに直結するわけでないと頭でわかっていても、小犬に姿を窶したセイイツを思い起こすと溜息が出る。
仕方がなかったとはいえ、息子を殺害することになった自分をセイイツは許すことができないのだろう。とグドンは思った。畜生と呼んだ息子を殺害した己も、やはり畜生以外の何者かではありえない。そんな思いからずっと犬の姿のまま生活し、人族や半妖の言葉を喋ることも拒否し続けているのではないか? そう思えて仕方なかった。
尊敬できなくとも、二人はセイイツに同情せずにはいられなかった。
もし彼に高い能力がなかったら、ドミアールと出会うこともなかったろうし、ジュウイツのような子を生むこともなかったかもしれない。
また、それ以前に、凄まじい殺し合いや権力闘争、仲間や配下の裏切りといったものに心を痛めることもなかったろう。
そう考えると、運命とは本当に皮肉で残酷なものだという気がした。
グドンも、ドミアールとの戦いになど拘らず、今すぐセイイツに頼んで脳からジュウイツを取り除いてもらい、このままどこかへ姿を消してしまいたくなった。
彼自身、自らの複雑な生い立ちや、ドミアールの悪意に満ちた攻撃に疲れ切っていた。根本的な解決にならないとわかっていても、どこかへ逃げ出したい、そんな現実逃避の心に負けそうになった。
だが、グドンはすぐにそんな自身の弱い気持ちを拒否した。
まず、ドミアールがそれを認めないだろうし、それとは別に、ここで逃げ出すことは、渉不城から逃げ出したセイイツの姿とどこか重なる気がしたからだ。ドミアールのことに決着をつけなくては、自分の中で何かが宙ぶらりんのまま残ってしまう。逃げることはただの誤魔化しで、それでは、決して前にも進めない。
渉不城で何が起きたのかはっきりさせ、ドミアールとのことにも決着をつける。今はそれが唯一の選択肢だ、とグドンは自分にいいきかせた。
ジュウイツの欠片をどう消し去るか、ボウとの関係がどうなるかは、その後、改めて考えるべき問題だろう。
二人はその夜、湖面から流れてくる冷たい風を感じながら眠りについた。
明日以降どうなるか、あえてもう考えないことにした。
そして、グドンはまた夢を見た。




